ご希望の神社・寺・教会情報を無料で検索できます。

施設検索/ホームメイト・リサーチTOP

ホームメイト神社・寺・教会リサーチ

神社・寺・教会情報

神社の歴史



神社の歴史は、神道の歴史の流れによって徐々に確立して今日に至っています。そもそも神道は、自然発生的に成立した宗教であるため、神社の歴史についてもその根源ははっきりしておらず、日本に古くから存在する自然崇拝からの流れが源流であるとされているのです。

自然の精霊崇拝時代~農耕神時代

神道の成立は、稲作文化が大陸から伝来したのちであると考えられています。それ以前の縄文時代には、山、森、獣などが「精霊」として崇拝されていました。「精霊」とは物質的な身体を持たず、超自然的な存在、あるいは力を指し、自然世界に宿った霊や魂を意味します。それらには「ミ(神・霊)」「チ(霊)」「タマ(魂・霊)」「モノ(物)」「ケ(怪)」「ヌシ(主)」などと呼ばれる物があり、これらの言葉は現在でも「イカヅチ(雷)」「ミズチ(蛇)」「コダマ(木霊)」「オロチ(大蛇)」「モノノケ(物の怪)」などの中に名残が見られます。

こういった精霊を崇拝していた縄文の狩猟採集民の時代ののち、稲作文化を営む農耕民族の時代が到来。不安定な狩猟文化に比べ生産性が高く安定した農耕文化の推進は、人々の宗教観を変貌させていき、農耕の守護神を祀るようになっていきました。作物に豊穣をもたらす絶対的な存在の太陽や、稲作に欠かせない水に対しての崇拝が高まっていき、太陽神や農耕神を崇める文化が熟成していったのです。かつて縄文人が崇拝していた精霊は、弥生人にとっては「八百万(やおよろず)の神」として取り込まれていき、神道の原型が現れてきました。

律令国家の成立~武家政権とのかかわり

飛鳥時代から奈良時代の律令体制の頃に、本格的に神道が確立されたと考えられています。この頃の政治体制は唐にならったものであり、国家の法令である律令が定められましたが、この中で神道を規定する「神祇(じんぎ)制度」も確立されていきました。

平安時代初期に発せられた法律集『延喜式』の中の『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』では、神社のランキングである「社格」が定められ、そこに記載された有力な神社を「式内社」と呼び、社格制度が整えられたのです。

平安時代末期から鎌倉時代にかけて武家政権が確立されると、武士が神社の保護を盛んに行なっています。例えば、広島県にある厳島神社は、平治の乱で勝利をして太政大臣にまで昇りつめた平清盛が厚く信仰し、現在見られる海上社殿の造営を援助したり、多くの宝物を寄進したりしました。また、平家のライバルである源氏の源頼朝は、幕府を開いた地・鎌倉の鶴岡八幡宮への信仰心が厚く、ここを鎌倉幕府の宗社として、また源氏の氏神と定めた他、元々海岸沿いにあった八幡宮を現在地に遷し、社殿を造営するまで崇敬しました。

その後も各地の神社は、その土地を治めた武将たちから厚い信仰を受け、現在でも武将から寄進された建造物などを多く目にすることができます。

国家の宗祀(そうし)時代~戦後

明治時代になると新政府により、天皇を中心とした中央集権国家の建設が進められ、その根幹に神道が置かれました。近代社格制度を定め、神社を「国家の宗祀(=最も尊び祀ること)」とし、神社は民衆のための宗教施設ではなく、非宗教的な国家祭祀として国の政治に利用されるようになったのです。これは戦後まで続き、その後は「神社本庁」のもとで宗教法人として扱われるようになり、現在に至っています。