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神道の教義と「八百万の神」



神道は、天照大御神による命を受け、稲作を通じて日本にその教えを広めていきました。「産む」ことよりも「育てる」ことを重要視した神道は、この国にすでにあった自然崇拝と相まって「八百万(やおよろず)の神」の考え方が広まることとなったのです。

「産む」より「育てる」を重視

神道は、弥生時代に伝来した稲作と深い関係がある宗教です。それは、神道が「自然の理法」にしたがうことを肝要としていることからも説明できます。

具体的な例を挙げると、季節が春→夏→秋→冬の順に移り、再び春に戻ってくるのは「自然の理法」です。つまり春になれば田に稲を植え、秋になれば収穫することは「自然にしたがうこと」であり、これこそ神道の本質となっています。しかし一方で、夏に稲が生育を進めると共に、雑草も生えてきます。ここで「善」である稲を育てるために「悪」である雑草を取り除く必要も発生しますが、雑草を抜くという「自然に逆らうこと」もまた神道の側面のひとつであると言えるのです。

「自然にしたがうこと」と「自然に逆らうこと」を正しく選択することで、「悪」を除去し「善」を育てることができます。この、「善」を「産む」だけでなく「育てる」ところにできるのが「道」である、というのが神道の根本の教義であると言えます。

神道で最も尊い神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)

神々が住んでいたとされる「高天原(たかまのはら)」を統治していた天照大御神は、皇室の祖神であり、かつ神道で最も尊ばれている神であると同時に、神道の創始者でもあります。『日本書紀』には、天照大御神が稲作を子孫に委任する内容が書かれており、神道の教えが広く伝わっていく最初の一歩が表されています。

高天原には「斎庭(ゆにわ)」という田があり、稲作が行なわれていました。天照大御神は、この斎庭の稲穂を孫である邇邇芸命(ににぎのみこと)に渡し、それを育てていくよう託し、邇邇芸命は地上に降り皇室の祖となり、高天原と同様に地上でも稲作を始め、稲を生むだけでなく育てる大切さを人々に伝えました。天照大御神の誓約を守り、神道の教えを守るために、以降日本人は稲作を続けてきたのです。

また、天照大御神の孫・邇邇芸命が祖となった皇室では、現在でも皇居内の水田で稲作が続けられており、天皇陛下が春に植えた稲を秋に収穫し、天照大御神に供えています。

神道における「神」

縄文時代の狩猟民の信仰から発生した自然崇拝と、上記の稲作文化の浸透と共に広がった神道の考えは、日本に「八百万の神」という思想をもたらしました。これは神道が多神教であり、「神」とされるものが非常に多いことを物語っています。

「神」という字は、神を祀る祭壇などを表す「示」と、稲妻が伸びる姿を現す「申」から成り立っており、「自然の霊力を祀る」のが「神」の字源であるのです。またこの字には「戦慄を覚えるような存在」という意味も持っており、同時に稲妻には、稲の実を結ばせる霊力があると考えられてきたことにも、神道と稲作との関連を見ることができます。

江戸時代に活躍した国学者である本居宣長は、神を「尋常でない霊威を発する物」と定義づけました。また「八百万の神」は姿を現さず、木や草花、海や山、そして岩などの自然物に宿っていると考えられており、肉眼で確認することのできない「神」とは人々にとって畏怖の対象でもあり、しばしば起こる疫病や災害は祟り(=神の意思表示)であるとされました。

また、神は特定の土地との密接な結び付きを持つことも特徴とされています。そのために現在でも見られる神社名は、神が鎮座している地名であることが多く、神が土地と結ばれることで「氏神様」として大切に祀られ続けているのです。