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中国地方の神社



「国作り」「国譲り」などの古代神話の舞台の一部となっている中国地方には、歴史の長い由緒のある神社が多く点在しています。そのため、宗教への信仰心から建造された神社もさることながら、古代日本の国家プロジェクトとして建設された著名な神社も多く存在しているのです。

出雲大社(島根県)

『古事記』や『日本書紀』を始め、多くの伝承で伝えられる出雲大社の創始は、高天原の天津神(あまつかみ)の命により、葦原中国(あしはらなかつくに)の国土を治めていた国津神(くにつかみ)である大国主神(おおくにぬしのかみ)の宮が建築されたことによります。大国主神は国譲りの条件として、千木が高天原に届く程の立派な宮を要求し、その結果造営された「天日隅宮(あめのすみのみや)」が出雲大社となりました。

しかし、「出雲大社」と呼ばれるようになったのは明治以降のことであり、それまでは「杵築大社(きづきのおおやしろ)」「日本大社」「天日栖宮(あめのひすみのみや)」などと様々な社名で呼ばれていた記録が残されています。

また、出雲大社の「大社造」は「神明造」とならび最も古い神社建築様式ですが、先述の大国主神の要求通り、かつては天空高い建造物であったとされていました。その高さは、およそ96メートルもある本殿であったと推測されています。この仮説は、2000年(平成12年)に発掘された直径1.35メートルの杉を3本組にした柱の跡から信憑性が高まりました。

祭神
大国主大神
住所
出雲市大社町杵築東195

厳島神社(広島県)

古来、島全体が神の島とされていた「安芸の宮島」は、松島天橋立とならび日本三景のひとつに数えられます。この宮島に鎮座しているのが世界文化遺産の厳島神社。593年(推古天皇元年)、この地の豪族・佐伯鞍職が神からのお告げを受け、市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)を祀る社殿を造営したことが創始です。

市杵嶋姫命は、海上守護の女神として古くから信仰されてきており、平安時代には瀬戸内海を治めた平清盛からも厚い崇敬を受けました。平家の絶頂時には、清盛の造営により現在とほぼ同規模の社殿が整えられ、本殿、平舞台、高舞台などの建造物を回廊で結んだ海上神殿が完成。

その後も毛利元就や豊臣秀吉などの有力な武将たちから厚い保護を受けた厳島神社は繁栄を続け、江戸時代には一般の民衆の間でも参拝が広がり「厳島詣」と呼ばれるようになったのです。

祭神
市杵嶋姫命・田心姫命・湍津姫命
住所
廿日市市宮島町1-1

吉備津神社(岡山県)

備中国一宮の吉備津神社のご神体は「吉備の中山」という山です。祭神の大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)は、第7代天皇の孝霊天皇の第三王子で、吉備の中山の麓に住んでいましたが、281歳という長寿を全うし亡くなったと伝えられています。山頂に祀られ、生前住んでいた宮に社殿を造営したのが吉備津神社の創始であるという説もあります。

その後は朝廷からの崇敬を受け、社格も上げられていき、中世になると武家からも厚い保護を受けたため、社殿の修復や社領の寄進があり、吉備津神社の規模もそのたびに大きくなっていきました。現在見られる本殿と拝殿は、室町幕府3代将軍の足利義満による建造物で、入母屋造の屋根を前後に二つ並べた屋根形式の本殿に、平入り・切妻造の拝殿が接続しています。

この入母屋屋根を二つ並べた物は珍しかったため、吉備津神社の名を取り「吉備津造」と呼ばれるようになり、大変美しいこの建築様式は、その後城郭建築において模倣され、姫路城名古屋城にも用いられました。

祭神
大吉備津彦命
住所
岡山市北区吉備津931