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寺の歴史



仏教における祭祀に欠かせないお寺は、仏教の布教と共に日本各地に広がって次々と建立されました。現在、全国にはおよそ75,000以上ものお寺があり、仏像に至っては30万体以上存在していると言われています。こちらでは、お寺が日本に渡来した頃までさかのぼってお寺の歴史を見てみましょう。

日本人と仏教

2013年(平成25年)に総務省が行なった調査によると、統計的に見て日本人の約8,470万人が仏教徒であることが分かりました。さらに比較的若い年齢層の人々は、自分の家が仏教に属しているということを知らないケースもあることから、実際にはもっと多くの仏教徒がいるのではないかとも言われています。

そんな一大仏教国である日本の歴史は、お寺と共に歩んできました。

中国から日本へ

日本に仏教が伝わったのは、諸説ありますが一般的には538年(宣化天皇3年)のこととされています。朝鮮半島に位置する百済から来日した使いの者によって、欽明天皇に仏像や経典が献上されました。

伝来当時は、日本に仏教を受け入れるかどうかを巡り豪族同士で争いが生まれる程意見が分かれたようです。

仏教受容派の蘇我氏と神道を擁護する物部氏は対立しますが、長い争いの末587年(用明天皇2年)に蘇我氏が勝利。同年に蘇我氏が推薦する崇峻天皇が即位し、欽明天皇以来の崇仏廃仏論争に決着がつくこととなりました。これ以降日本には、仏教が定着していくこととなり、造寺事業が積極的に行なわれたのです。

日本最古の寺

仏教が日本で受容されてからと言うもの、権力者の指示によってお寺が建てられ始めました。木造建築が主である日本においては、残念ながら火事や地震で消失した歴史的建造物も多くありますが、文献に残っている記録などを頼りに復元されたり、遺構の発掘調査などが実施されたりしています。

日本最古の尼寺・豊浦寺(向原寺)

奈良県高市群明日香村に位置する「向原寺(こうげんじ)」。浄土真宗本願寺派の寺院であり、また日本最古の尼寺である豊浦寺(とゆらでら)が営まれた場所としても知られています。

仏教受容派の蘇我稲目(そがのいなめ)は、百済の王から欽明天皇へと贈られた仏像を安置するために向原の家を浄めて寺としました。これが豊浦寺の始まりです。

しかし、その後まもなく日本に疫病が流行。仏教反対派の物部尾輿(もののべのおこし)と中臣鎌子(なかとみのかまこ)は、これを外国の神である仏像を祀ったことに対する日本の神の怒りであるとし、寺を焼き払って仏像を難波の掘江に捨ててしまいました。

このため、もうかつての豊浦寺の姿を見ることはできませんが、現在の向原寺周辺には豊浦寺の遺構が残っており、石碑が建てられています。

1957年(昭和32年)以降には発掘調査が実施され、塔、金堂、講堂跡の検出に成功。しかし現在、寺跡にはすでに民家などが建てられており、伽藍の全容はいまだに解明されていません。

日本最古の本格的寺院・飛鳥寺(法興寺)

飛鳥寺(あすかでら)も、上記の豊浦寺跡と同じく奈良県高市郡明日香村にある寺院です。こちらは日本最古の本格的寺院として、奈良の観光名所のひとつにも数えられています。

飛鳥寺は、「法興寺(ほうこうじ)」の名でも知られ、蘇我氏の氏寺として6世紀末から7世紀初頭にかけて建立されました。

都が平城京に移る際、飛鳥寺も現在の奈良市に移転。移転後のお寺は現在「元興寺(がんこうじ)」という名で、南都七大寺のひとつに挙げられます。

お寺が移転したあとも飛鳥の寺は「元元興寺」として存続していましたが、1196年(建久7年)には雷によって塔と金堂を焼失し、寺勢は衰えてしまいました。

現在、私たちが目にすることのできる本堂は1825年(文政8年)に大坂の篤志家からの援助で再建されたものですが、ご本尊である釈迦如来像(飛鳥大仏)はかつての姿を留めており、国の重要文化財としても大切に保存されています。