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寺院の建築様式



日本の寺院の建築様式は、時代の変化によって大きく変化を遂げています。大きく分けて「飛鳥様」、「和様」、「大仏様」、「禅宗様」、「折衷様」の5つです。こちらでは寺院の建築様式と代表的な寺の建築物を見ていきましょう。

飛鳥様(あすかよう)

日本で初めて本格的な寺院が建築されたのが飛鳥時代。この時代に建てられた日本最古の木造建築物「法隆寺」が代表的な飛鳥様式の建築物です。

この法隆寺の金堂を見ることで、飛鳥様式の特徴をひと目で理解することができます。まずは「胴張り」と呼ばれる柱の膨らみ。下から3分の1のところが特に太くなっており、西洋建築のエンタシスとよく似ています。この胴張りは、奈良時代の建築物にも多く見られますが、飛鳥様程の膨らみはありません。

そして屋根の重みを支えている組物部分に「雲斗(くもと)」と「雲肘木(くもひじき)」を用いているところも大きな特徴。よく見ると渦模様が彫刻してあり、芸術性の高さもうかがえます。このような凝った雲斗や雲肘木は、法隆寺の中でも金堂のみに採用されています。

また、肘木が笹繰(ささぐり)という曲線を描いていること、大斗(だいと)の下に皿斗(さらと)があること、高欄(こうらん)の中にある卍崩し(まんじくずし)の組子などが飛鳥様式の特徴です。

和様(わよう)

名前を見ると日本古来の様式のように思われがちですが、実は大陸由来のもの。6世紀頃に大陸の済の造寺工が日本へ伝えた建築様式がはじまりです。

この大陸由来の建築様式に、奈良時代から平安時代初期にかけて日本人好みの形にアレンジが加えられ、さらなる発展を遂げます。従来の大陸建築との大きな違いが床で、すべて板張りであることと、「野屋根」であることも大きな特徴です。

大陸様式では、化粧垂木が直接屋根を支える形となっていますが、この工法では急な屋根勾配に対応するのが難しくなります。そのため和様では、化粧垂木とは別に「野垂木(のたるき)」といった構造材を用い、より強い構造を実現しているのです。

和様の代表的建築物は、奈良県境近くの京都府にある「浄瑠璃寺」本堂。柱が「長押」で繋げられている典型的な和様建築と言えます。

大仏様(だいぶつよう)

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、巨大建築をできるだけ早く合理的に建てるために使われた建築様式。1181年(治承5年)の南都焼討後、東大寺大仏殿の再建時にも利用されました。このとき再建された大仏殿は火事で焼失しましたが、大仏様で建てられた建築物は兵庫県にある「浄土寺」浄土堂に残されており、創建時の構造を見ることができます。

大仏様と和様の大きな違いは「肘木」の形。大斗の上に肘木を乗せる和様とは違い、大仏様では柱に直接肘木を差し込む「挿肘木」が特徴です。また柱の連結方法も特徴的で、横材である長押を連結していた和様に対し、大仏様は柱に直接穴を開けて貫を通していました。これら独特の新技術をたくさん用いた大仏様は、大仏殿などの大きな建築物を短期間で再建するのにとても効率的だったことが分かります。

禅宗様(ぜんしゅうよう)

「唐様(からよう)」とも呼ばれ、鎌倉時代に栄西による禅宗伝来と共に日本に伝わった建築様式。現存する日本最古の禅宗様建築物は、山口県下関市にある「功山寺」仏殿です。外観から見る最大の特徴は大きく反り上がった軒のある屋根。この大きな軒の下には詰組(つめぐみ)が並んでいます。また、先細りになった繊細な垂木も特徴的です。構造は大仏様とよく似ており、柱に穴を開け、貫を採用しています。

大仏様が徐々に廃れていったのに対し禅宗様は全国的に普及しました。この理由は諸説ありますが、大仏様を日本に持ち込んだ「重源」没後、普及する者がおらず大仏様の建設が困難になったこと、巨木が枯渇したことで柱や梁が細く繊細であった禅宗様は材料が手に入りやすかったことなどが挙げられます。

折衷様(せっちゅうよう)

鎌倉時代には、和様を基本としその中に大仏様や禅宗様を取り入れた「折衷様」と呼ばれる建築方式も広まりました。折衷様を代表する建築物と言えば兵庫県にある「鶴林寺」本堂です。和様をベースに造られた鶴林寺本堂には、大仏様の貫や挿肘木、そして禅宗様の詰組などの要素が加わり折衷様ならではの造り。また、和様をベースに大仏様のみの特徴を加えた造りは「新和式」と呼ばれ折衷様と区別されることもあります。