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関東地方の寺



「寺」と言えば、近畿地方を思い浮かべる人が多いですが、実は関東地方にも古くより人々の信仰を集める歴史ある寺院が多数残されています。こちらでは、関東地方の代表的な寺の中でも、世界遺産に登録されている「日光山輪王寺」と御護摩祈祷で知られる「成田山新勝寺」をご紹介しましょう。

日光山 輪王寺(栃木県)

元々輪王寺(りんのうじ)は、「日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)」、「日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)」と合わせ、大きな霊場「日光山」でした。新仏分離後は、日光東照宮、日光二荒山神社と共に「二社一寺」と称され、国宝や重要文化財に登録されています。また「日光の社寺」として1999年(平成11年)、ユネスコ世界遺産にも登録されました。

日光山輪王寺の歴史

奈良時代の僧勝道(しょうどう)が766年(天平神護2年)に開いた日光山。

鎌倉時代以降、日本では日本古来の神道と仏教が合わさった「神仏習合」が発展したため、寺院と神社が共存していた日光山の規模は大きくなり、全国に知られることとなります。

江戸時代には、徳川家康の側近としても活躍した天台宗の高僧「天海(てんかい)」が住職となり、1617年(元和3年)には家康の霊をまつる日光東照宮が設けられました。その後も三代将軍家光が大猷院(たいゆういん)霊廟にまつられるなど、徳川家の手厚い保護を受け、さらなる発展を遂げます。この時代に朝廷から「輪王寺」という名誉ある名称が与えられました。

その後、明治時代「神仏分離令」が発令されたことにより輪王寺は疲弊。しかし、この荒波を乗り越え、日本のみならず世界中の人々に信仰され続けています。

徳川家の墓所

徳川家ゆかりの寺院である輪王寺の大猷院廟本殿には、3代将軍家光の眠る霊廟が残され、江戸芸術の極みとも言える、赤・黒・金の華麗な装飾が施された本殿は「金閣殿」と呼ばれることもあります。

また、徳川家康は同じ日光山にある日光東照宮に葬られており「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」として神格化し、信仰の対象となっているのです。

本尊
千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音
住所
栃木県日光市山内2300

成田山 新勝寺(千葉県)

千葉県にある、真言宗智山派の成田山新勝寺(なりたざんしんしょうじ)。初詣には、明治神宮に次ぐ全国2位の参拝客を誇り、「成田のお不動さま」の愛称で多くの人に親しまれています。

広い境内には、江戸時代の建築がそのまま残る「旧本堂」、本尊である不動明王が奉安される「大本堂」、国の重要文化財でもある「仁王門」、「三重塔」、「額堂」などが並びます。

新勝寺の起源

寺の起源は諸説ありますが、939年(天慶2年)、寛朝(かんちょう)が朱雀天皇の令を受け、空海が手がけた不動明王像を手に下総の国に向かったことが始まりだと言われています。

当時の戦乱「平将門の乱」に対する平和祈願のためでした。祈願が終わり、寛朝が都へと帰ろうとしたところ不動明王像は動こうとせず、そのまま下総に留まるように告げたのです。

御護摩祈祷(おごまきとう)

新勝寺の大本堂で行なわれる真言密教の修法「御護摩祈祷」。御本尊の不動明王の前で、揺らめく御護摩の炎の中に「護摩木(ごまき)」という特別な薪を投入し、願いごとを祈祷します。これは開山当時、「平将門の乱」を収束させるために行なってきた祈祷とまったく同じで、以来1日も欠かすことなく、毎日御護摩祈祷が続けられています。

本尊
不動明王
住所
千葉県成田市成田1