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教会とキリスト教の歴史



キリスト教は、世界三大宗教の中でも最も信者数の多い宗教として知られています。仏教徒が多い日本国内では、あまり多数派ではありませんが、世界的に見ると仏教徒が約3億8,400万人であるのに対し、キリスト教徒は約22億5,400万人にも上るのです。

しかし、そんなキリスト教の歴史を辿ると、現在に至るまでの様々な迫害や戦争の影が浮かび上がってきます。

迫害されていた初期キリスト教

実はキリスト教が始まった時期には諸説あり、定かではありません。開祖は、イエス・キリストと言われているものの、実際にキリスト教の起源となったのはイエスの死後、紀元1世紀頃に始まったイエスの弟子による運動であったとも言われています。

そして、弟子の活動により徐々に信者を増やしていったキリスト教ですが、かつてローマ帝国統治下においては激しい弾圧や迫害を受けていました。これは、当時のローマ帝国には多神教文化が根付いていたことや、皇帝崇拝の文化であったため、イエスを「唯一絶対の神」とするキリスト教徒は、皇帝崇拝を拒み多神教を否定していたのです。

そんな厳しい状況下で、キリスト教徒たちはさらに結束を強め、キリスト教否定派の目から隠れながらもいっそう信仰心を深めていきました。

教会の原点「カタコンベ」

非公認の宗教であったキリスト教の信者は、亡くなっても公にお墓に葬ることが許されていませんでした。そこで信者たちの取った手段とは、地下に共同墓地を作ること。

これは「カタコンベ」と呼ばれ、ローマ周辺だけでも30ヵ所以上見つかっています。

個々の規模は様々で、地下5階構造になっている所、トンネル状の長い通路を持った複雑な造りの所、壁や天井にフラスコ画が描かれている所などです。

こうして造られたカタコンベはただ死者を埋葬するだけでなく、信者たちの集会にも利用されていたと言われています。

ローマ帝王公認の宗教へ

306年(応神天皇37年)に、ローマ帝国の皇帝となったコンスタンティヌス1世は、ローマ帝国第5代皇帝ネロ以来、禁止されていたキリスト教に信教の自由を与えて公認します。これは、帝国の統一を維持するために寛容な政策を採る必要があったことがひとつの理由ですが、コンスタンティヌス1世自身がブリタンニア出身のキリスト教徒・ヘレナを母として生まれたために、もともとキリスト教に好意的であったことからです。

晩年には、自らもキリスト教の洗礼を受け、初めてのキリスト教徒皇帝となったと言われています。さらに379年(仁徳天皇67年)に、ローマ帝国皇帝となったテオドシウス1世の時代、キリスト教はローマ帝国の国教に定められました。

こうして、初期は地下宗教であったキリスト教は徐々に認められるようになり、カタコンベの代わりに地上に集会場が造られて行くこととなったのです。

世界最古の教会

それでは世界最古の教会とは、どこにあるのでしょうか。それは、ローマ帝国のあったイタリアではなくアルメニア共和国にあります。

実はこのアルメニア共和国も古い歴史を持ち、紀元前1世紀には「大アルメニア王国」として繁栄していました。1世紀頃には、すでにキリスト教の布教活動が行なわれ、紀元301年(応神天皇32年)には世界で初めてキリスト教を国教として定めた国です。そして、その年からおよそ2年の歳月をかけて世界最古の教会「エチミアジン大聖堂」が造られました。

エチミアジン大聖堂は、ユネスコの世界遺産に登録され観光名所となりましたが、現在でも熱心に祈りを捧げる巡礼者の姿が多く見られます。