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神社・寺・教会用語集(か行)



神社や寺、教会を検索できる「旅探」が、神社・寺・教会に関する用語(か行)をご紹介します。建物から行事のことまで、神社や寺、教会のことがよくわかる用語集をご活用下さい!

海宮伝説

海宮伝説とは、有名な民話のひとつである「浦島太郎」の原型になったとされる日本神話である。日本書紀と古事記のなかに登場する海幸彦(うみさちひこ)と山幸彦(やまさちひこ)の話のこと。山幸彦は神武天皇の祖父にあたる人物。この神話によると2人は兄弟であり、弟の山幸彦は山の猟が得意、兄の海幸彦は海の漁が上手であった。しかし、ある日猟具を交換して漁に出かけたところ、山幸彦が兄に借りた釣り針を失くしてしまう。兄に許してもらえずに山幸彦が困っていると、塩椎神(しおつちのかみ)に教えられ、小舟で綿津見神(わたつみ)の宮殿へ行くことになる。宮殿では海神である大綿津見神(おおわたつみ)に歓迎され、その娘である豊玉姫(とよたまひめ)と結婚。楽しく暮らすうち3年の月日が経った。山幸彦は地上へ帰り、失くしていた釣り針と霊力のある玉を豊玉姫から与えられ、この玉を使って海幸彦を懲らしめると言った内容である。

開祖

開祖とは、最初に宗派を開いた人のことである。主に仏教の宗派に関して使う言葉であり、宗祖、開山とも言う。また、寺院を創設してその初代の長を務める人のことも開祖と呼ぶ。これに対して、キリスト教におけるイエス・キリスト、仏教におけるゴーダマ・ブッダなどひとつの宗教を創り上げた人は教祖と呼ばれる。開祖で代表的な人物は、天台宗の最澄(さいちょう)、真言宗の空海(くうかい)、浄土宗の法然(ほうねん)、浄土真宗の親鸞(しんらん)、臨済宗の栄西(えいさい)、曹洞宗の道元(どうげん)、日蓮(にちれん)宗の日蓮などである。彼らは開祖でありながら、時の経過とともに信仰の対象となっている。開祖が彫刻や絵画のモチーフにされることも多く、そうした作品は御影堂(みえいどう)や祖師堂(そしどう)に安置された。

戒名

戒名とは、仏教に関連する用語で、出家した人が守るべき戒律を受け入れる立場になったことを証明する名前である。「法諱」(ほうい、ほうき)と呼ばれることがある他、浄土真宗や日蓮宗では「法名」と称されるのが一般的。位牌に記載される物としても知られ、亡くなった人を称え、仏の弟子になって浄土に往生するために故人に与えられる物、と言う意味もあり、戒名を授けるのは菩提寺の住職、あるいは菩提寺のない場合には葬儀を取り仕切る僧侶である。本来、戒名はどんな身分の人でも2文字で構成される。それに加え生前、寺院に多いに尽くしたり、社会的に高い貢献をしたりした人に付けられる「院号」や、仏教徒としての位や性別・年齢などにより異なる「位号」などがプラスされて戒名が長くなっていく。

戒律

戒律とは、「戒」と「律」と言う2つの仏教用語を合わせた複合語。日本ではひとつの言葉として用いられるが、本来は仏教において異なる意味を持つ。戒は、仏教徒であろうとする人が自分を抑制して守るべき戒(いまし)めであり、道徳とも言える物である。戒を守ることは人生における苦しみを和らげ、幸福を得るもとになるので自主的に行なわれる物とされ、破っても罰則はない。一方で律は、組織がスムーズに活動できるための規則や、仏教をきちんと後世に伝えるために制定された規則を意味する。僧侶に取っては守るべき厳しい規則であって破ると罰が課せられる。しかし、律は在家信者に取っては縛られるものではなく、知る必要もないとされる。

回廊

回廊とは、教会や修道院、寺院、宮殿などの建物構造に採用されることがある廊下の名称のひとつ。建物の大切な場所や中庭などを取り囲むように、途中で折れ曲がり地点を含みながら続く長い屋根付廊下のことである。日本の寺院においては、柱が2本ある1間幅の回廊を単廊、柱が3本ある2間幅タイプの物を複廊と呼ぶ。回廊のうち、庭側にある壁面は開放されており、外側にあたる壁面は連子窓(れんじまど)が備えられるなどの仕様になっている寺院が多い。回廊は廊下ではあるが、外と建物とを仕切る役割も持つ。また、行事のときなどには参列者や神官の居場所にもなる。西洋ではキリスト教に関連する建築や宮殿などでも中庭を囲む回廊が多く造られてきた。

格衣

格衣とは、日本の神社における神職の装束のひとつ。祭祀服としては正式な物ではないが、比較的シンプルで取扱いが容易なことから、日常的な祈祷や、地鎮祭など外で祭を奉仕するときなどに着用されることがある。略服とも言われる。神職に就く人は普段、白衣と身分に合った袴を着用しているが、格衣はその上に羽織って、丸緒などが付いた胸紐を前で結ぶだけで着装が可能。格衣は、直垂(ひれたれ)の上衣の脇を縫った形状をしている。脇は縫いつぶしをするか、千鳥掛けと呼ばれるチェーンステッチにするなど、ひだを付けて動きやすくした物がある。袖括りの紐は、本来は露先だけを表に出す「籠括(こめくくり)」が望ましいが、狩衣と同じにされるのが一般的。

神楽女

神楽女とは、現代の巫女の一種であり、巫女のなかでも神事において神楽を舞ったり演奏したりする人のこと。歴史上、幅広い役割を担ってきた巫女のなかでも、神楽を舞うことを重視した役割であることから、神楽巫女とも呼ばれる。神楽女が有名なのは住吉大社であり、同社では古くから伝統ある神楽を継承し、宮中御神楽と同じように優美で典雅な古い手振りの舞を行なっているため、こうした神楽舞に奉仕する者として「神楽女」の名称を用いている。神楽とは神に奉納をしてその心を和ませる芸能であり、それを舞うことにより神の霊を神楽女に招く意味を持つ。そのため、住吉大社の神楽女は一般的な巫女の装束に加えて頭の上に神木である松をはじめ、鏡や神使の白鷺が飾り付けるのも特徴である。

過去帳

過去帳とは、仏教の儀式で用いられる特殊なアイテムのひとつ。帳簿であり、なかには亡くなった人の戒名や生前の氏名である俗名、死亡年月日、享年などが記される。場合によっては位牌の代わりとしても用いられる重要な物。形式としては、和紙や洋紙を折り本または和本にした物に、布や唐木などで作った表紙を付けて仕上げられる。日付は入っている物とない物があり、前者の場合は、亡くなった日の欄に必要事項を記入するようになっている。これにより、亡くなった人の命日を確認し、追善供養や謝恩を行なうのに役立てることができる。寺院が所有する過去帳は個人情報保護の観点から閲覧禁止の扱いであることが多いが、在家信者の場合は仏壇のなかの見台に配置するのが一般的。

拍手

拍手とは、神社や神棚などにおいて、手を使って神に拝む行為のこと。「柏手」や「開手」(ひらて)とも表記する。両手を合わせて、一度左右に開いたのちに再び合わせるのが基本の動作。2度目に手を合わせるときに音を出すが、これには願いをかなえるために神を呼び出す、あるいは神への感謝や喜びを表す、邪気を祓うなど諸説ある。ただし、行事や目的によっては、音を出さずに打つ「偲手」(しのびて)」が推奨される。拍手の代表的な物は、神社の参拝作法「二拝二拍手一拝」である。また、神社によっては拍手の回数が異なり、伊勢神宮では拍手が8回、出雲大社や宇佐八幡などでは拍手が4回であったりと様々。他にも、神事の最後に一同で神酒や神饌を口にする直会では、1回だけ手を打つ「礼手」(らいしゅ)が用いられるなど拍手にはいくつかの種類がある。

加持祈祷

加持祈祷とは、仏教のなかでも密教に関わりの深い言葉で、「加持」と「祈祷」と言う2つの用語を合わせた物。本来、加持の「加」は仏の慈悲の心がいつも衆生に注がれていることを意味し、その慈悲の心を良く感じ取ることができることを「持」と言う。すなわち、加持とは、願いを持つ人の想いを仏に届け、仏に加護を求める行為のこと。代表的な物に、祭壇を組んで火を焚き、護摩木をくべて「真言」(マントラ)と呼ばれる経を唱える物がある。また、祈祷は仏や神に願いを持って祈ることを意味していて、加持の手段のひとつとも言える。こうした加持祈祷により願われる内容は、心願成就や厄除祈願、災難消除、家内安全、息災安穏、交通安全など様々である。

春日造

春日造とは、日本における神社本殿の建築様式のひとつ。奈良県の春日大社に代表される造りで、寺院建築の影響を感じさせる特徴を持つ。屋根は古来より尊い形とされた切妻造で、さらに優美な曲線を描いて左右に反っている。こうした曲線を取り入れたコンパクトな建物に仕上がっているのが春日造りの大きな特徴。屋根には千木と堅魚木が修飾されており、また出入り口を妻側に設けているのは他の大社と同じだが、出入口の上部に大屋根と一体化した「向拝」(こうはい)と呼ばれる片流れの庇が設けられている。春日造りは奈良時代中期に成立したと考えられ、春日大社の他に京都の大原野神社本殿や、奈良県の円成寺春日堂などがある。

堅魚木

堅魚木とは、神社の社殿に使われる装飾の一種である。本殿の棟の上に用いられることが多い。「かつおぎ」と呼び、「鰹木」、「勝男木」といった漢字でも表現される。形状は太い丸太であり、本殿の屋根の上にあたる棟の部分と直角に数本が間隔を空けて並ぶように配置される。もともとは風が吹いても草ぶきの屋根が飛ばされないように、棟と構造体をつなぐ部材として考案されたが、時代が経つにつれて神社の格や権威を象徴する色合いも強めていった。堅魚木の丸太の数は社殿によって違いがあり、その神社に祀られている神の性別に関連している。例外はあるものの、偶数ならば女性、奇数ならば男性の神となる。

カトリック教会

カトリック教会とは、「ローマ教会」、あるいは「ローマ・カトリック教会」と呼ばれ、キリスト教の教会のなかでもローマ教皇をトップとする教会のことを意味する。誕生した時期ははっきりしないが、現代では世界各国に信徒を持ち、キリスト教最大の教派のひとつ。16世紀の宗教改革で生まれたプロテスタント教会とは相反する物であり、教義の面を含めて様々な点で異なる。カトリック教会では、キリスト教の根本概念である罪からの解放について、「洗礼」と言う儀式によって達することができると考えられており、また洗礼により内的人間の聖化と一新につながるとも説かれている。なお、カトリックとは「普遍的」「一般的」と言った意味を持つ言葉である。

家風

家風とは、それぞれの家における特有の雰囲気のこと。あるいは、その家に代々伝わる風習や流儀、作法などを意味する。日本では古代に氏制度が始まってから、先代が培った家の風格や財産、職業、さらには精神的な面での習わしも次の代へ伝え、維持することが重要とされる風潮があったため、それを実施するために家風が整えられていった。特に公家や武家などでは家訓や家法などとして家風を文書化することも行なわれてきた。また、仏教のひとつである禅宗において、修行をしている人に対する師の指導方針や、指導にまつわる独自の方法などのことも家風と呼ばれる。例えば、臨済宗の宗祖である故・臨済義玄(りんざいぎげん)は、警策や喝を使う激しい家風を持つことでも有名である。

神棚

神棚とは、日本に古くから伝わる神道に関する棚であり、各人が家のなかにおいて、神のお札を祀る場所となるところ。お札は、家内安全や商売繁盛、合格祈願など様々な願いを込めた物を神棚に置くことができる。設置場所はお札が汚れないよう、家のなかで最も清浄であり、ステータスのある場所が好ましいので、部屋の上部に吊ったり棚を取り付けたりするのが一般的。また、神棚の向きについても決まりがあり、太陽が昇ってくる、あるいは南中の方角に向けるのが良いとされることから、南向きか東向きにする。棚のなかに置く物は、中心に伊勢の天照大御神のお札、右に氏神様のお札、左に豊受大御神のお札と各家で信仰する神社のお札を置くなどの並びが推奨される。

狩衣

狩衣とは、神社で神職に携わる人が着る衣服の名称である。その神社の神主、あるいは神官や祝部(はふりべ)が着用する上着のひとつ。もともとは平安時代に公家の日常着として生まれ、狩猟のときに使えるよう、簡単に着られて動きやすい服として普及した。そののち、公的な服としての色合いを強めたが、そのときでも狩衣姿を着用して御所へ出入りすることは認められていない。当初は麻布で作られたが、次第に綾織の品物なども登場。裏地を付けて色目を重ねる製法が狩衣の美しさのポイントになっている。袖をくくる紐は薄平(うすひら)、厚細(あつぼそ)、左右縒(そうより)、籠括(こめくくり)と種類があるが、これは位階によるのではなく、着る人の年齢によって分けられている。

カルト

カルトとは、度の過ぎた教義を持つ新興の宗教集団のこと。また既存の宗教と新しい宗教を区別するために用いられる言葉。もともとは小集団を意味するが、現代では宗教に関する用語として浸透している。英語圏ではキリスト教をchurch(教会)、キリスト教の分派をsectと呼ぶが、異端と見られる小集団のことは「カルト」と称されることがある。カルトは世界各地にたくさん存在するが、強引な勧誘を行なったり、マインドコントロールによって組織に対する行き過ぎた忠誠を求めたり、多額の寄付金を収めさせたり、といった行為により、家庭崩壊や人格破壊などの問題を起こす例があり、社会問題となってきた。日本でも過去にはカルトの信徒が、教祖の死後に集団自殺をする事件などが起きている。

枯山水

枯山水とは、日本庭園に見られる様式のひとつである。水を使わずに山水の風景を象徴的に表現し、主に地形や白砂、石組みによって造られる。小石をたくさん敷き詰めて表面に文様を描き、これによって水の流れを表現するなどの方法がある。苔が生えている枯山水の庭もあるが、これはもともと石や砂のみだったところに苔が自生している。枯山水は室町時代に、瞑想にふさわしい造景として禅宗寺院を中心に広まる。歩いて散策できる回遊式の庭園とは違い、屋内から静かに鑑賞するよう構成されている。枯山水が有名な寺院は、京都府の龍安寺(りょうあんじ)、大徳寺大仙院(だいせんいん)、龍源院(りゅうげんいん)などがある。

観光寺院

観光寺院とは、仏教にまつわる寺院のうち、歴史的・文化的に価値があることによって、たくさんの拝観客が訪れる寺院のことを意味する。なかには安置する仏像や仏画などが人気を集めている場合もあり、文化財寺院とも呼ばれる。日本に多いのは地域の人々を檀家に持つ檀家寺院であるが、それらの寺院のように檀家に対して宗教活動を行なわなくても多くの人が拝観を希望するのが大きな特徴である。観光寺院は京都府、奈良県、神奈川県に集中している。例えば京都府には清水寺(きよみずでら)、延暦寺(えんりゃくじ)、醍醐寺(だいごじ)、仁和寺(にんなじ)など世界文化遺産に登録されている寺院が多数存在する。

勧請

勧請とは、離れた場所にいる神や仏に対して、こちらへ来てくれるように祈り願うこと。本祀(し)の社に祀られている神の分霊を迎えて、新しく設けた分祀の社殿に迎え入れて祀ることを意味する。もともとは仏教の用語で、仏に願って説法をしてもらい、仏がこの世に永遠にあって人々を救ってくれるようにと請う、と言う意味であった。日本では神仏習合により、仏や菩薩が日本の神の姿を借りて人々を救うと考える「垂迹神」(すいじゃくしん)が生まれ、その神託を請うこと勧請としてきた。勧請された神は勧請神と呼ばれる。九州の宇佐八幡から勧請した東大寺八幡、鹿島・香取・枚岡(ひらおか)の各社から勧請した奈良の春日大社などが有名である。

神主

神主とは、神社に奉仕する職にある人のことで、神職とほぼ同等の意味を持つ俗称。712年(和銅5年)に太安万侶が編纂した「古事記」にも神主の記載があり、本来は集団の長として、神職たちの総意を神に伝えたり神の意志を受けたり、祭祀を主宰する人を指す。かつての神社には神職として宮司(ぐうじ)、神主、禰宜(ねぎ)、祝(はふり)、巫(かんなぎ)などがいて、大神主や総神主、権神主などが存在した。この場合、宮司は主に神社全般の事務を管轄する物で、神主は祭祀に関する最上位の職である。神社に奉職する人の正式な職業名は宮司、権宮司、禰宜、権禰宜などであり、こうした人々を総称して神職、俗に神主と呼んでいる。

観音菩薩

観音菩薩とは、仏像のモチーフになる物のひとつ。仏になることを目指し、成仏を求めて修行を積む人を表現する「菩薩」(ぼさつ)の一種。菩薩は手で形を作る「印」を結ばず、それぞれが何か物を持ち、多くが立像である。条帛(じょうはく)に裳(も)と言う着物をまとい、天衣(てんね)を両肩から垂れさせ、装飾品を身に付けるのが一般的。頭部は結った髪の上に宝冠を載せる。観音菩薩の場合は、この宝冠に仏の化身である「化仏」(けぶつ)を付け、手に持つのは水瓶(すいびょう)か蓮華であることが多い。聖観音と呼ばれる通常の観音菩薩は顔がひとつで手が2本だが、密教の影響のもとで千本の手を持つ千手観音をはじめ、顔や手の数が多い変化観音が生まれた。

伽藍

伽藍とは、寺院に関する建物が複数集まってなす群のこと。伽藍に含まれる寺院は、寺院のなかでも主要な建物のみを指すこともある。もともとは、たくさんの僧侶が修業をする清浄な場所のことを意味していた。日本では伽藍と言うと、まず山門があり、これが俗世間との境界を示している。この山門をくぐってなかに入ると、本尊が祀られている本堂の他に仏塔や鐘楼、東司があり、僧が衣食住の営みを行なう庫裏や食堂(じきどう)、学習をするための場所となる講堂などがある。こうした伽藍の構成要素は宗派によって配置や名称が異なる。また、時代によっても変化しており、鎌倉時代の書物「聖徳太子伝古今目録抄」では、金堂と塔、講堂、鐘楼、経蔵、僧坊、食堂の7つが揃っている物が伽藍とされている。

帰依

帰依とは、信仰を持つことであり、その宗教を心の拠り所とすることを意味する。仏教のうちの一部の宗派では、勝れた者に対して自己の身と心をかけて深く信仰する「依伏信奉」のことを指す。中国最古の歴史書である「書経」で帰依と言う言葉が登場するが、このときは「頼りにする」と言う意味で用いられている。一般的には、仏教に帰依をすることは「三帰五戒」(さんきごかい)をすることとされ、「三宝」(さんぽう)と呼ばれる仏、仏教における法則・真理を意味する法、僧の3つを心の支えとすることを宣言する。さらに、信者が守るべき5つの規範・規則「五戒」、さらに厳しい「八斎戒」を授かり、正式な仏教徒と認められる。

記紀

記紀とは、現存する日本最古の歴史書とされる「古事記」と、国内初の勅撰歴史書である「日本書紀」の総称。古事記は、天武天皇が稗田阿礼(ひえだのあれ)に繰り返し語らせた帝紀・旧辞を、元明天皇の命により太安万侶(おおのやすまろ)が書いて編集.し、712年(和銅5年)に完成した。上・中・下の三巻から成る。上巻には天照大御神(あまてらすおおみかみ)や、イザナミやイザナギなどにまつわる神代の話が書かれ、中巻や下巻では神武天皇から推古天皇まで続く歴代の天皇の業績を物語っている。日本書記は、同じく天武天皇の命を受けて舎人新王(とねりしんのう)らが編纂して720年(養老4年)に完成。全30巻から成り、古事記と同様に神代の話から始まり、持統天皇の代までについて書いた歴史書になっている。

きざはし

きざはしとは、高さの異なるところをつなぐように、昇り降りをするために造られた段のことである。漢字では「階」と表記し、階段とほぼ同義。神社の建築に用いられる要素のひとつであり、拝殿前にある階段などを「きざはし」と呼ぶのが一般的。日本各地の神社のなかには、100段以上も続くきざはしがある神社や、たいへん急勾配に設計されたきざはしが設けられている神社もある。参拝のためにきざはしを通るときには、神が座す場所の正面にあたる正中(しょうちゅう)を意味する道の真ん中を避けるのが作法である。

忌中

忌中とは、夫や妻、子、親と言った近親の人が亡くなったとき、喪に服する期間のこと。死は穢れ(けがれ)た物であると言う考えが日本では古くから存在し、その穢れをハレの場へ持ち込まない意味がある。また、忌中の間は殺生をしてはいけない。仏式では49日、神式では50日と宗教によって期間がやや異なる。似た言葉に喪中があるが、こちらは“死者を偲ぶ期間”と言う意味であり、もとは儒教に由来する。喪中は奈良時代や江戸時代・明治時代には実施を徹底することが法律で定められており、期間は宗教を問わず1年。忌中と喪中では考え方に違いがある物の、マナーや推奨される過ごし方はほぼ同じである。

吉兆

吉兆とは、おめでたいことや良いことが起こる前兆のこと。また、十日戎のときに買い求める人が多い福笹や熊手に付ける飾りのことも吉兆と言う。飾りとしての吉兆は縁起物で様々な物があり、銭叺、銭袋、末広、打出の小槌、あわびのし、大福帳、小判、丁銀、烏帽子、臼、米俵、鯛と言った海の幸や野の幸、山の幸をモチーフにした物が主流。こうした吉兆はなかに御神徳が込められていると考えられ、それを頂くと言う信仰を受け伝える物である。福笹は家庭では家内安全、商いをしている人は商売繁盛を祈願するのが一般的で、吉兆の飾りはそれぞれの招福にいわれがある物を選ぶ。地域によって違いがあり、関東ではおかめ(お多福)、関西では戎の吉兆を必ず付ける風習がある。

祈祷

祈祷とは、祈りを捧げ、神や仏の加護を求めること。儀礼のなかで言語の形を取る物を祈祷と呼ぶ。この場合の言語には呪文も含まれ、広義では神社における祈念や、キリスト教の修道院における祈りなどがある。七五三や成人の奉告、節分の厄除けまで日常的にも多く行なわれている。狭義では、密教の世界などで行なわれる加持祈祷で、この場合の祈祷は、密教の修行者や修験者などが修業によって得た特殊な力をもとに、祭壇で火を焚き、護摩木をくべて「真言」(マントラ)を唱えると言った行為で、厄除祈願、災難消除、家内安全、息災安穏、交通安全など様々な欲求の実現を祈る物である。

祈祷会

祈祷会とは、キリスト教に関する用語のひとつで、信者が集まって祈りを捧げる会のこと。曜日などに決まりはなく、主日礼拝とは異なるときに実施される。祈祷会の起源は諸説あるが、新約聖書の「マタイによる福音書」にあるイエス・キリストの言葉から、教会の歴史のなかで自然に行なわれたとされている。祈りの方法はいくつか種類があり、必ずしも教派による物ではない。教会によっては、祈祷会では2人のグループになって祈りが行なわれたり、信徒が順番に祈ったり、全員で一斉に祈ったりする場合がある。プロテスタントの教会で行なわれる祈祷会では、祈祷書の成文祈祷ではなく、クリスチャンが形式にとらわれずに祈る自由祈祷が多い。

祈年祭

祈年祭とは、五穀豊穣と国家の繁栄を祈願するために、全国各地の神社で開催される祭りのこと。春の耕作始めに合わせて旧暦では2月4日、明治の改暦以降は2月17日に実施されるのが一般的。時期は前後することがあり、雪の多い地方では3月、4月の春祭りと併せて開催されることもある。稲の美称である「とし」を祈ると言う意味から、「としごいのまつり」とも呼ばれる。本来は農作を担う民衆による祭りだったが、豊作は国家の安泰や国民の繁栄につながることから、国家規模の行事へと発展。古くは神祇官や国司により、神社に「弊帛」(へいはく)と言う捧げ物が供えられた物で、奈良時代の書物「延喜式神名帳」には全国2861社の神々に幣帛が奉られたと記述がある。

求道者

求道者とは、信仰を求めている人のことを意味し、主にキリスト教に関連して使われる用語である。一般的には、教会には来ているが洗礼はまだ受けていない人や、洗礼を受ける準備中の人、信仰を告白していない人のことを指す。そのため教会に何度か通っていると、自身は意識していなくても、「求道者」や「求道中の人」などと称されることがある。宗派や教会によって、求道者に含まれる範囲は異なる。宗教的な悟りや真理を求めると言う意味もあるため、洗礼を受けたあとでも、真理に向かって修行し続ける姿勢を持ち、研鑚を重ねる覚悟の現れとして自らを求道者であると述べるクリスチャンも存在する。

旧約聖書

旧約聖書とは、キリスト教の正典のひとつで、ユダヤ教の正典から一部を抜粋して整えた物。もとになったユダヤ教の正典はヘブライ語で書かれており、「律法」・「預言」・「諸書」の3部39巻から成る。このなかにキリストの出現が預言されていることから、神との古い契約、と言う意味で「旧約」の文言が使われる。また、あとになって福音書や使徒書簡をまとめた新約聖書が作られるが、こちらは神との新しい契約、と言う意味で「新約」と命名された。旧約聖書には、世界は神によってどのように創られたかと言う創世神話をはじめ、ヘブライ人の指導者であるモーセと神とのエピソード、そのモーセと神との契約により生まれた十戒などが含まれる。イスラエル民族の歴史と神との関わりが描かれており、イスラム教においても重要な書となっている。

饗応

饗応とは、食べ物やアルコール類を提供して、他人をもてなすことである。あるいは、相手の言うことやすることに逆らわず賛成する、あるいは、へつらうと言う意味も持つ。その饗応を名前に含む饗応料理は、仏教においてある寺院の僧や修行僧などが、檀家の信徒からご馳走をふるまわれることを指す。饗応料理は本来、室町時代からある武家のおもてなし料理であり、戦国時代には客人をもてなす際にその料理の質が藩の威信を示す働きをするなど重要な役割も担った。時代を経て発展し、江戸時代にはより複雑となって、本膳料理へと昇華した。しかし、本膳料理は海の物、山の物、野の物、里の物と続き、ようやく饗応料理である本膳が登場するなど儀礼的な面も強く、明治時代以降には簡素化されたことで知られる。

教区

教区とは、キリスト教に関する用語のひとつ。各地に存在する教会について、ある程度のエリアを区切って行政的な管理をするために設けられた単位のこと。教区ごとに取り締まる役割を持つ教区長が存在し、主教や司教などがこれを務める。日本においては、キリスト教の最大勢力のひとつであるカトリック教会が16の教区に分けられており、北から札幌教区、仙台教区、新潟教区、さいたま教区、東京教区、横浜教区、名古屋教区、京都教区、大阪教区、広島教区、高松教区、福岡教区、長崎教区、大分教区、鹿児島教区、那覇教区がある。このうち東京教区と大阪教区、長崎教区は教会管区である。これらの教区はそれぞれがローマ教皇のもとで世界のカトリック教会を統率する組織と連携している。

教皇

教皇とは、キリスト教の最大勢力のひとつであるカトリック教会の聖職者に与えられた称号のひとつ。キリスト教の最高位の職。一般的にはカトリック教徒の精神的な指導者ともされるローマ司教のことを意味する。教皇丁は数百年以上も前から、カトリック教会の枢要機関であった。また、教皇は世界最小の国家として知られるヨーロッパのバチカン市国の国家元首でもあり、国際法上の権威も持つ。他にも教皇は、「キリストの代理人」、「全世界のカトリック教会の統治者」などの称号で呼ばれることもある。教皇の選出は、古代から中世初期にかけてはローマ周辺の聖職者による物だったが、11世紀に枢機卿に選挙権が移り、教会法によって80歳未満の枢機卿から選ぶことになっている。

経蔵

経蔵とは、仏教の寺院として配される建造物のひとつ。経堂、経庫とも呼ばれる。釈迦の教えが集約された仏教における聖典「経典」(きょうてん)をはじめ、仏教に関する様々な書物をなかに収蔵する。寺院を構成する主要な建物群を「伽藍」(がらん)と呼ぶが、鎌倉時代の書物「聖徳太子伝古今目録抄」では、金堂、塔、講堂、鐘楼、僧坊、食堂と共に、伽藍を構成する7つの建物として経蔵が含まれている。書物をなかに置いておくための工夫として、かつては高床式の造りや調湿機能に優れた校倉造などが用いられていた。書架が回転できるようになっていて、そこに書物を納めた物もあり、こうした経蔵は「輪蔵」(りんぞう)と呼ばれた。

経机

経机とは、仏壇の前に配される道具のひとつで、お経を読み上げるときに経典を載せる机のこと。経典とは、釈迦の教えが集約された書物で、仏教における聖典のこと。経机は寺院や在家の家庭、どちらの仏壇にも置くことができる。葬儀で祭壇や中陰壇の前に置くときには、白木の経机を選ぶ。在家の仏壇では、経典の他に花立や香炉、リン、数珠、火立など様々な仏具が置かれることもある。サイズは天板の横幅36〜90cm程度の物が一般的で、黒色や朱色に漆塗りされた物や唐木の物が主流。他にもインテリアに合わせやすいモダンなデザインの物や、折り畳み式で収納が便利なタイプの物なども登場している。引出しがある場合、経本や線香、ろうそく、数珠などを入れておく。

経典

経典とは、仏教の教祖である釈迦の教えを集約させた書物のこと。単に「経」と称されたり、「スートラ」、「スッタ」とも呼ばれたりする。狭義では仏典のひとつとされ、広義では仏典と同義で使われることがある。仏典は仏教の聖典であり、律・経・論と言う「三蔵」の構成をなす。律は出家した修行者が守るべき規則や道徳、論は律と経の注釈や解釈を集めた物である。経はもともと「我は(釈迦から)こう聞いた」から始まる「釈迦の口説」をまとめた文献のことを指す物であった。この経をまとめた物が、厳密な意味での経典とされる。ただし、大乗仏教などで経典が数多く作られた経緯から仏典その物の三蔵構造が崩れ、仏典を経典と表現することも増えた。

切麻

切麻とは、神道に関する道具のひとつで、祭祀のときにお祓いに使われる。「きりぬさ」と読み、漢字では切麻あるいは切幣と書く。一見すると、いわゆる紙吹雪のような小さな紙片の集まりである。素材は麻か紙であり、小さな正方形に細かく裁って刻んで作られる。それを米と混ぜて木升や唐櫃などに入れておき、祈祷の儀式の途中で神前にまき散らす。これにより、祓い清める目的がある。麻と紙が混合になった物や、米だけでなく塩を混ぜることもある。お祓いや祈祷を行なうときには、大麻(おおぬさ)や神楽鈴(かぐらすず)、玉串(たまぐし)などと同様に神社が用意してくれる。

行住坐臥

行住坐臥とは、立っても座っても、と言う意味であり、日常の立居振る舞い全般のことを指す仏教用語である。いつも、普段、常々、と言った言葉と同義で使われる。行住坐臥の「行」は歩くことで、「住」はそこに留まること、「坐」は座っていること、「臥」は横たわることで、人の根本的な動作を表す。仏教ではこれを「四威儀」(しいぎ)とも呼び、出家した修行者に対して、人間の基本的な所作においても仏の法にしたがって心と身を律していなければならないと説く。また、仏典では、仏教の始祖である釈尊は行住坐臥に禅を行なったと言った意味合いの表記があり、坐禅は坐っているときだけではなく、いつでも行なう物であるとされている。

悔い改め

悔い改めとは、一般的には悪いことや失敗をしてしまったことを悔いて、良いほうへ向かうことを意味する。キリスト教では独特のニュアンスを持ち、神から離れてしまった心を正しい方向に転換することを指している。神を礼拝しない、すなわち心が神に背を向けている状態にあることを聖書では罪としており、様々な良くないことや問題ごと、痛々しい状態に陥ると言った具体的な「罪」が現れるとされる。神に背を向けた罪を認め神に目を向ける方向へと正しく修正することが、クリスチャンとしての悔い改めである。単に反省をするだけではなく、心を改めて、キリストを信じる人になること、霊的な生活に蘇ることを意味している。

供物

供物とは、神道や仏教におけるお供え物のこと。神前やお墓などの前に、感謝の意を込めて捧げる。代表的な供物の例としては、仏教では線香やろうそく、フルーツ、菓子、缶詰、米、麦、豆など、神道では線香や酒やフルーツ、魚などの海産物、菓子などがある。霊前に供える場合は、仏教・神道のいずれにおいても故人が好きだったものが供物とされることも多い。食品を供物とするのが一般的で、同じ意味合いでも、花であれば供花(きょうか、くげ)となる。ただし、供物の内容は宗派や地域によっても異なるので、供物を用意する際には事前に確認しておくことが必要である。神社によっては調理された物は人の手が加えられたものとして不可とされるケースもある。

供養

供養とは、本来は仏教の最高位である仏をはじめ、成仏を求めながら教えに導く修行者である菩薩(ぼさつ)など、崇拝すべき物に対して、食べ物などを真心込めて供えることである。仏教用語としての供養の対象には、梵天や帝釈天、四天王、鬼子母神、大黒天、竜王、聖天、毘沙門天、金剛力士、韋駄天といった諸天も含まれる。また、死んだ人や祖先に対して冥福を祈って法事を行なうことを追善供養と言うが、日本ではこれを単に供養と呼ぶことも多い。さらにこれが転じて、命を失った人や動物、捨てる人形などに対応することを広義では供養として解釈される傾向がある。供える物には線香や焼香といった香、花き、ろうそく、菓子、飲料、湯薬、衣服などが選ばれる。

庫裡

庫裡とは、仏教に関する用語で、禅宗寺院における台所のことを意味する。庫裏、庫院、庫堂(くどう)とも表現され、寺務所をかねた台所であったが、寺院によってはまだその形態を残しているところもある。小規模の寺院などで住職やその家族の居所が寺院とつながっていることもあり、そうした居所を庫裡と呼ぶ。大きな寺院では庫裡は独立した建物として十分なスペースが確保されており、一度に数百人の食事を調理することができる。また、修行者が集団生活を行ないながら修行に励む僧堂と、仏の前に供える食べ物などを調理する場をかねることがあり、これは「大庫裏」と呼ばれる。これに対し、方丈建築のそばに設けられる物を「小庫裏」(小庫院)と言う。

宮司

宮司とは神職のひとつで、一般的な神社においては最高の職位のこと。古くは皇族の住まいに仕える人の職名であったが、ときを経て神職者のことを指すようになった。神社を代表する立場にある職は神主と思われることがあるが、正式には神主と言う職名はなく、神社に奉職する人の職業名は宮司、権宮司(ごんぐうじ)、禰宜(ねぎ)、権禰宜などである。通常宮司は各神社にひとりであり、規模の小さい神社では宮司のみが在住している場合も少なくない。住吉大社など一部の神社では宮司に次ぐ役割である禰宜の他に、権宮司(ごんぐうじ)が置かれることもある。宮司の仕事は神社の造営から祭祀、祈祷、神社に勤める職員の管理まで幅広い。

偶像

偶像とは、神や仏をモチーフにした像のことで、主に信仰やあこがれの対象となる物。すでに故人となっている宗教の始祖など、現実の世界では見ることができない物を彫刻や絵画などで表現する。素材には金や銀、銅、石、木などが用いられることが多い。こうした偶像を崇拝することは、ユダヤ教やイスラム教で禁じられており、キリスト教でも人間が偶像を造り出して崇拝することや、特定の人間を神のように祭り上げるなど、大木や山など様々な物を礼拝の対象にすることを聖書のなかで禁じている。ただし、宗派によって細かな解釈は異なり、イエス・キリストの銅像や絵画が教会に飾られているケースもある。

警策

警策とは、仏教のひとつである禅宗において、座禅のときに用いられる棒状の道具のこと。一般の人や修行中の雲水などが座禅中に怠け心や眠気に襲われたとき、巡回をしている師や僧がこの警策を使って肩あたりを打つことで覚まさせることを使用目的とする。あるいは、精神を鼓舞する意味で同様に打つことがある。通常は長さ1.2m程の扁平な板状の棒で、打つ際には背骨を避け、筋肉がある部分を狙い、警策の平らな部分を身体にあてるため、大きな音が鳴るわりには痛みは小さい。薄着をする夏にはヒノキの警策、厚着をする冬にはカシの木などと季節によって素材を変えたり、一度に打つ回数を夏は冬より少なくしたりするなどの調整が行なわれることもある。

袈裟

袈裟とは、仏教の僧が身にまとっている衣装のひとつ。布状の簡素な衣装である。糞掃衣(ふんぞうえ)、福衣(ふくでんね)、法衣(ほうえ)とも呼ばれる。仏教では出家した僧侶は財産の所有を禁じられており、衣服も財産に含まれると考えられたので、ぼろ布や端布を集めて布を作り、身を覆ったことから袈裟が生まれた。のちに僧侶の衣装として定着し、日本では様々な色や布地が用いられ、その僧侶の位や特権を表す物に発展した。現代では、宗派や用途によって形状は様々であるが、小さく切った布を縦につないだ「条」(じょう)を縫い合わせて作る縫製法は共通しており、条の数が多いほうが尊いとされる。サオと呼ばれる肩紐は右肩の方を外すのが通例。

結界

結界とは、修業のために一定のエリアを区切ることである。仏教用語としては、修業の妨げになる物が入ることが許されない区切られた空間領域のことを指す。古くは女人結界などがあった。寺院において内陣と外陣の中間、あるいは外陣のなかでも僧俗の座る席を分けるために設けられた木柵のことを結界と呼ぶこともある。また、神道において、神社などでは境界線として境内に鳥居、しめ縄、段差や扉などを設けるのも結界のひとつ。一般の家庭において年末年始にしめ縄飾りを付けたりするのも結界の実例と言える。宗教に限らず、聖なる物とそうではない物を分け、特殊な力を持つ神秘的な空間を区切る物として結界と言う言葉が使われることもある。

結跏趺坐

結跏趺坐とは、仏教やヨガにおいて採用されることがある座り方のひとつ。坐禅のときに用いられる。仏はこの座り方をよくすることから、仏坐、如来坐、円満坐結跏とも言う。あぐらのような姿勢に見えるが、右足はコウを左脚の太ももの上にのせ、左足のコウは右脚の太ももの上にのせるように組む。ひざが浮かないように尾てい骨と両ひざで正三角形を作り、その中心に重心を落とすように座るのがポイント。左右どちらの足を上にしても良いが、右足が上になると「吉祥坐」、左足が上になると「降魔坐」と名称が区別される。座禅を行なうときにこの結跏趺坐が難しい場合は、左足のみを右の太ももの上にのせる半結跏趺坐(はんかふざ)でも良い。

献詠祭

献詠祭とは、神社で行なわれる行事のひとつで、和歌を詠む行為をもって、宮中や神社に献上する祭りのこと。全国各地の神社で開催され、住吉大社では「新年献詠祭」、「松苗神事」、「観月祭」と異なる名称で年3回にわたって献詠祭が行なわれている。与えられたお題にそって神職があらかじめ和歌を作っておき、宮司などが献詠祭のときに代詠をして神前に奉納する。これにより神の心を和めるなど、歌道の隆盛を祈願するのだ。また、一般の人からも歌を募集し優れた作品を選んで披講したり、表彰したりすることも多い。有名神社の献詠祭など規模の大きい物では、一度の献詠祭で全国各地から1000首前後の応募和歌が集まることもある。

献金

献金とは、何らかの目的のために金銭を献上すること。または、その金銭のことである。キリスト教において献金は、教会を運営するのに大切な役割を果たしている。寄付や会費、参加費とは異なり、神に喜んで捧げる姿勢を持って行なうことが重視される。献金をするタイミングや方法は教会によっても異なるが、主に礼拝で集められることが多い。金額は自由で、人によっては数百円程度と言うこともある。クリスチャンである人もそうでない人も献金することは可能。礼拝に参加した物の、金銭を持参していないなど、献金をすることに納得できない場合、献金は強制ではないので不要である。

見解

見解とは、仏教用語のひとつで、修行者が師の居る特定の部屋のなかで、自己の心にある悟りの境地について表現すること。一般的に使われる「見解」(けんかい)よりも、仏教ではより狭い意味で用いられる。簡潔な言葉や動作のみで行なうのが理想であり、理論立てて話すことは好ましくないとされる。また、「禅問答」として知られるように、禅宗では修行者が悟りを開くことを目的として師から問題を課されることがあり、その問題に対する答えや見方を「見解」(けんげ)、こうした課題と見解のやりとりを「公案」(こうあん)と呼ぶ。修行者は課題をもらって瞑想に取り組み、課題についての正しい見解を得ることができたら、ひとりで師の部屋を訪れてそれを述べ、師の判定を仰ぐ。

顕現

顕現とは、はっきりと現れることを意味する。神道においては依り代に神が依り着くことで顕現を感じられるとする。そもそも神道は本質的に無偶像であり、神を直接的に目で見たり実体として感じたりすることはできない。そのため、ご神体と呼ばれる依り代を通して、神の存在が示されてきた。依り代は神や精霊の出現を示す媒体となるもので、鏡、剣、玉、樹木、石、旗、柱、御幣、動物などあり、人間が選ばれると尸童(よりまし)と称されてきた。このとき、ご神体あるいは依り代は偶像とは異なり、神の顕現を行なうための道具であるとするのが神道の考え方である。神をひとつの場所に呼び寄せて顕現することができるのも、他の宗教にはあまり見られない神道の特徴と言える。

堅信

堅信とは、キリスト教の一部の教派で重視される概念の名称で、特にカトリック教会では「洗礼」と「御聖体」と並び、キリスト教へ入信していくうえで中心となる秘跡(ひせき)のひとつ。秘跡とは、本来は見えないはずの神の恩恵の賜物が、目に見える印となって与えられることを意味する。その秘跡に含まれる堅信とは、洗礼を受けた人が信仰をより強め、聖霊の恵みを受けるために行なう約束のこと。この約束を形に表す物が堅信式であり、この儀式では堅信の証として按手(あんしゅ)と聖香油(せいこうゆ)を受ける。こうした堅信の概念や儀式は、キリスト教の宗派によっては似たような物が異なる名称で普及している場合もある。

下界

下界とは、人間界のことを意味する言葉。仏教の用語としては、色欲・貪欲・財欲と言った欲望に心を支配された者が住んでいる「欲界」のことを指し、地獄も含む。仏や神など人間を超える存在は、その上の世界に住んでいるとされている。平凡な人間は下界を越えても、物質的な条件にとらわれる場所である「色界」、それをも超えた「無色界」を生死を繰り返しながら巡る、とする三界の輪廻と言う考え方が仏教にはある。また、哲学の世界においても天使や神が暮らす世界のことが論じられており、プラトンの対話篇「ティマイオス」のなかで人間が住んでいる地上よりもはるか上に「超天空の座」があると説かれ、これに対する地上の世界が下界。

解脱

解脱とは、人間を束縛している物から解放されることである。いくつかの宗教において使われる用語であり、縛られている物から離脱して絶対的な自由を手に入れることや、人間が目指す最高の目標を示す意味合いを持つ。例えば仏教においては、心身を乱す働きである煩悩(ぼんのう)にとらわれる状態から解放されて、迷いや苦悩を生む原因となるすべての執着を手放し、悟りの世界へと脱け出すことを言う。安楽の世界を指す「涅槃」(ねはん)と言う仏教用語があるが、これと同義で用いられることもあり、仏教における究極の境地とされる。またヒンドゥー教では、精神集中が深まりきったサマーディと言う状態に入り、生死の無限の繰り返しによる迷いの境界から飛び出すことである。

荒神

荒神とは、日本で古くから信仰を受けてきた神様のひとつ。不浄を嫌う神とされ、三宝荒神とも言う。仏教の仏とも、神道の神とも明確には分かっておらず、昔から土地に根付いた信仰の対象であるとする説もある。三宝とは火の神である「火産霊神」(ほむすびのかみ) 、かまどの神である「奥津比古」(おくつひこ)、「奥津比売」(おくつひめ)の3神のことを表している。荒神はキッチンに祀られるのが古くから習わしで、キッチンで一番必要とされる火と水を守ってくれるため、すべての災難を除いて衣食住に不自由しないと考えられてきた。荒神の名を持つ神社は国内各地に存在するが、特に西日本や瀬戸内海の周辺県に多い。

皇祖神

皇祖神とは、日本において天皇家の祖とされる神のことである。一般的には天照大神(あまてらすおおみかみ)を指す。ただし諸説があり、「古事記」には、7世紀後半の神武(じんむ)天皇が即位をする前、熊野から大和に攻め入るときに神武天皇を助けた高倉下(たかくらじ)と言う人物の夢に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)が登場し、天照大神よりも優位な立場から天孫降臨を司令したとするエピソードがある。このことから、高御産巣日神が皇祖神である可能性も論じられている。また、皇祖神は天皇家の祖になった神々であるという観点から、天照大神から神武天皇まで代々の総称が皇祖神であると解釈する場合もある。

講壇

講壇とは、講義や講演などを行なう壇のこと。キリスト教においては、教会で主教や司祭、牧師などが礼拝を導いたり、説教を行なったりする場所のことである。また、説教すること自体を「講壇に立つ」と言う。教会によっては信徒講壇と言う物もあり、牧師らが宣教をする代わりに、選ばれた教会員が講壇のうえに立つこともある。この場合は説教ではなく、同じ信徒としての立場から、信仰生活に入った経緯や聖書を通して学んだことを話す。他にも、恵みについての証を話し、教会に来ている人たち全員でその恵みを分かち合って、イエス・キリストへの感謝や、その栄光を称えると言った講壇を行なう。また、牧師が普段所属しているところとは異なる教会へ出向き、講義などをする交換講壇などもある。

講堂

講堂とは、仏教にまつわる建物の名称で、僧が集まって講義や受ける場所のことである。説教を受けたり、問答をしたりすることにも使われる。大きな寺院では、仏教の聖典である「経典」をはじめとする書物を収納する「経蔵」(きょうぞう)など、用途別に小堂を設けられることが多いが、これらの小堂のひとつとして講堂が建てられてきた。寺院に関する建物群の総称である「伽藍」(がらん)のなかにあっても、講堂は鎌倉時代の書物「聖徳太子伝古今目録抄」で金堂、塔、鐘楼、経蔵、僧坊、食堂と併せて伽藍をなすのに欠かせない物とされている。配置は金堂のうしろであることが多い。大きさでは金堂に勝っても、装飾性は控えめにされるのが一般的。法隆寺の大講堂などが特に有名である。

香炉

香炉とは、熱することで香りを放つ固形物を入れて使う器であり、仏教における道具のひとつ。仏像の前で香りを焚くために用いられる。灯明あるいは燭台、花瓶と共に三具足(みつぐそく、さんぐそく)のひとつに数えられ、素材は陶磁器や金属、石などである。香炉には香木や香草などを入れ、線香や炭火、電気と言った熱源によって加熱して香りを立たせる。もとは悪臭を退けるためにインドで生まれ、仏教の法事にも使われるようになった。仏前で良い香りを出すことでその周囲を清める意味も持つ。香炉のデザインやサイズなどは様々であり、巨大な香炉を配する寺院もあり、そうした大香炉は参拝客が香りや煙を手で仰いで浴びることで身を清められるとされ、観光の名所になっている例もある。

古刹

古刹とは、仏教の寺院のなかでも、歴史ある名刹のこと。由緒がある古い寺のことである。開山してから何年が経てば古刹とされるのかなどの明確な定義はなく、日本各地に有名な古刹が存在する。刹と言う字が寺のことを指しているのは、刹は刹多羅(せつたら)、差多羅(さたら)とも表記され、土地や領地、田畑、国土などの意を持つことから転じて、神聖な土地・聖地、さらには仏が現れて衆生を教化する仏国土を意味するからである。あるいは、刹は柱や竿と訳され、古代インドなどでは寺の堂塔の前に宝珠などの目印を付けた柱や竿を建てて寺の標識としたり、僧侶が修行の末に柱の先に旗を付けて人々に知らせたりする習わしがあったことに由来する。

狛犬

狛犬とは、主に魔除けのために神社に置かれる動物型の像のこと。今ではほとんどが石像だが、昔はほとんどが木製であった。狛犬の起源は諸説あり、エジプトのスフィンクスに由来するとする説や、仏教が日本に伝来する際に仏像前に2頭の獅子を置く風習も一緒に伝わった、といった説が有力。これが時を経て宮中や寺、神社に置かれるようになった。狛犬は2体で対にして配置されるが、平安時代ごろから向かって右に獅子、左に狛犬と言う形の異なる2体を組み合わせるようになったとされている。獅子のほうは口を開けていて、狛犬のほうは口を閉じて頭に角を生やしているのが一般的。左右の2体を合わせて狛犬と呼ぶのが通例である。

金剛力士

金剛力士とは、仏教において天に住む神の一種あり、守護神を意味する「護法神」(ごほうしん)のひとつ。仁王とも呼ばれる。金剛力士を形にした金剛力士像は、口を開けた姿の阿形(あぎょう)像と、口を閉じている吽形(うんぎょう)像の2体を対にするのが一般的。猛々しい形相は2体ともに怒りの表情を表しているとされ、上半身は頑強な体を露わにし、守護神として敵が寺院内に入ることを防ぐ役目を担っている。このことから、寺院の表門などに置かれるのが一般的である。金剛力士像は各地にあるが、配置される場所柄から、時代を経て風化している物も多い。代表的な金剛力士像としては、最古の物とされる奈良県の法隆寺の物や、東大寺南大門にある高さ約8mもの巨像などがある。

業とは、古代インドの文章語であるサンスクリット語の「karman」を訳した物。本来は行為、行動を意味する。身(身体)・口(言語)・意(心)の行為のことであり、また、その行為がその先の未来に対して苦楽を導くと言う働きのことを指す。行なってしまった業は因果の道理により、その善し悪しに応じて結果をあとに生む、と言う考え方。仏教の基本的な概念のひとつとして知られるが、インドに古くから存在する多くの宗教ですでに説かれていたと言う説もある。業は、その人が死んでも失われることはなく、輪廻転生に伴って霊魂や心に代々伝えられるとされ、前世の悪業によって恥をかくことを「業を曝す」と言う。業と言う言葉だけで悪い行ないを意味することも多い。

降誕会

降誕会とは仏教の始祖である釈尊の生まれ日に行なわれる法会のことを意味する。原則として毎年4月8日に開催され、灌仏会(かんぶつえ)、花会式(はなえしき)、花祭(はなまつり)、仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)、龍華会(りゅうげえ)などとも表現される。また、浄土真宗においては開祖である親鸞の誕生日を指し、この場合は親鸞が1173年(承安3年)5月21日に生まれたとされていることから毎年5月21日が降誕会の日にあたる。降誕会では、日本の多くの寺院では甘茶で満たした灌仏桶に安置した誕生仏像を配し、誕生仏像に甘茶を掛けてお祝いする伝統がある。このとき、参拝してきた人にも甘茶がふるまわれ、字が上達することを願って甘茶で習字をするなどの催しを執り行なう。

ゴシック建築

ゴシック建築とは、建築様式の一種である。教会堂を建てる際にも良く採用され様式であり、ステンドグラスを用いたカラフルで美しい光を引き込む空間や、荘厳な雰囲気を醸す高い天井など、現代の教会にイメージされる様々な形式がこれにより確立されている。もともと北フランスでより崇高な教会を求める声に応えて考案されて花開いた物であり、12世紀後半ごろにはヨーロッパ全体へ広がった。ゴシック建築の主な特徴は、天井がリブ・ヴォールトと呼ばれる円形状であること、塔のてっぺんがとがった尖塔アーチであること、外壁を支える斜め上がりの梁であるフライング・バットレスを用いた構造であることである。ゴシック建築による代表的な建物は、ノートルダム大聖堂、ミラノ大聖堂など。

御朱印

御朱印とは、神社を参拝しに来た人のために記念として授与される物。それぞれの神社で個別の御朱印があり、墨で「参拝」の文字と参拝日の日付、神社名が書かれ、朱印が押されるのが基本である。御朱印を受けるにはまず各地の神社で売られている御朱印帳を手に入れなければならない。ひとつの神社で購入すると、1冊で他の神社を含めて40社以上の御朱印を授与できるものが多い。御朱印帳を社務所に持参して、御朱印をもらい、所定の初穂料を納めるのがマナーである。御朱印は神社によっては青や緑、黄色などカラフルな色使いのものがあったり、同じ神社であっても書く人によって若干の差が出たりするなどの点が味わいとなって、これを集めるために各地の神社を巡るファンも存在する。

ゴスペル

ゴスペルとは、ゴスペル・ソングの略で、キリストの教の新約聖書に収められている福音書の総称。ゴスペル・ソングは黒人霊歌やジャズ、ブルースなどの影響を受けてできた福音歌で、1930年代にアメリカ合衆国の教会で盛んに歌われた。この背景にはアメリカ大陸に奴隷として連行されたアフリカ人たちが、苦しい日常のなかで救いを求めて福音と出会ったと言う説がある。彼らがキリスト教を信仰し、賛美を捧げる表現として生み出した。通常の讃美歌とは違い、歌うときには全員が立って手を叩いたりステップを踏んだり、大きな声を出してソウルフルに歌うなどの特徴がある。礼拝で歌われる他、現代では教会の外でも歌われており、他の音楽ジャンルと融合するなど音楽として進化し続けている。

五体投地

五体投地とは、仏教の用語のひとつで、最高の敬意を表す礼拝方法のことを意味する。右足と左足、右手、左手、頭の5つの部分を地面に着け、仏を礼拝する物である。礼拝の対象は仏の他、身分の高い僧侶などになることもある。日本では天台宗、高野山真言宗、浄土宗などで行なわれているが、海外では特にチベット仏教の信者が多い地域で盛ん。チベット仏教の僧侶たちは巡礼として聖地へ向かう際に一歩一歩、五体投地をしながら前へ進む。すなわち、地面に両手両足と頭を着けてひれ伏し、再度立ち上がり、またひれ伏し、といった行動を繰り返す。五体投地はまず合掌をしてから始めるなど、動きや作法、回数などが宗派によって決められている。

御幣

御幣とは、神道の祭事で用いられる道具のひとつ。神に奉献する供物の一種で、ギザギザと特殊な形に裁った紙垂(しで)と呼ばれる紙を、細長い木や竹の串に取り付けた物である。紙垂の素材は、古くは綿や麻布などの布帛が採用されていた。昔は紙や布が貴重品であったことから、もともとは神への捧げものとされていたが、次第に神を招くための依り代、あるいは祓いの道具などへと意味合いが変化してきている。家庭でも神棚の手前に、供物や装飾として立てて置くことができる。紙垂は白い物が一般的で、他に赤や黒、金色、銀色などもある。形は神霊が天から降りて来る形として雷光をモチーフにしていると考えられるが、神社によっては鯛や俵などの形でそこにまつる神を表現する方法も採られている。

勤行

勤行とは、仏教に関する用語のひとつで、勤めや、励んで取り組む行為のこと。日課として行なう日常勤行の他、彼岸会など行事のときや法要のときなどにも実施する。その内容は自宅や寺院の仏壇の前で、毎日決まった時間に礼拝をしたり、経を読んだりするなどがあり、宗旨・宗派によって違う。例えば、日蓮正宗は朝と夕方に、曼荼羅の本尊のほうを向いて法華経の経を読み、題目を唱える。また、地域によっても違いがあるため、自宅で日常勤行を始める前には、菩提寺や地域の人々に正しい作法について確認を取ってから行なうのが無難。こうした勤行のベースには、宗旨・宗派についてそれぞれの経典に合わせて勤行をすることで仏教徒として善い行ないを積む、と言う考え方がある。

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