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神社・寺・教会

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神社や寺、教会を検索できる「旅探」が、神社・寺・教会に関する用語(さ行)をご紹介します。建物から行事のことまで、神社や寺、教会のことがよくわかる用語集をご活用下さい!

神社・寺・教会用語集

神社・寺・教会用語を50音順に見やすくまとめました!探している用語の行を選択して下さい。

さ行

  • 斎戒

    斎戒とは、神職に就く人が神事にあたるときに身を清めること。潔斎(けっさい)、物忌(ものい)みとも言う。心も体も清潔な状態でいるために、定められた期間は酒や肉などの飲食を慎み、言行に気を付け、沐浴(もくよく)などで身の汚れを取り除くなどの取り組みを行なう。広義では禊(みそぎ)や手水(ちょうず)も斎戒に含まれる。斎戒は701年(大宝元年)の大宝神祇令で制度化され、祭祀の規模や重要度などに合わせて斎戒の期間が定められてきた。長い物では1ヵ月とされる。この期間中には喪を弔うことや病を問うことなども禁止され、それを破ると罰せられた。規模の大きな神社を中心に、厳密に斎戒を行なっている神社もある。

  • 最後の晩餐

    最後の晩餐とは、イエス・キリストが十字架にかけられてこの世を去った日の前日に、弟子たちと一緒に摂った最後の食事のこと。「新約聖書」にこのときのことが記載されており、これによると、イエス・キリストの弟子のなかでも福音を伝える選ばれた存在である「使徒」(しと)12人が最後の晩餐に参加している。この晩餐でキリストは使徒のひとりであったユダの裏切りを告げ、パンを自身の体、ぶどう酒をたくさんの人々のために流す自身の血であると述べ、記念としてそれを食すよう命じたことなども書かれている。この最後の晩餐はレオナルド・ダ・ヴィンチなど多くの画家に描かれてきたことでも有名。教会では、この晩餐にちなんでパンとぶどう酒を民衆に与える聖餐式と言う儀式が行なわれることがある。

  • 斎主

    斎主とは、神道において神事を司る人を意味する。神社をまとめる立場にある神職がこれにあたることが多い。同じ神事に立ち会っている神職でも、斎主ではない人は斎員(さいいん)と呼ばれる。例えば葬儀では、神道の場合は個人の自宅か葬儀場で行なうが、このときに斎主、副斎主、式の進行を務める斎員、雅楽の奉納をする楽員といった役割が分担される。ただし現代では楽員は省かれ、神職2名がそれぞれ斎主、斎員となって葬儀を行なうケースが一般的になっている。斎主や斎院には御祭祀料あるいは御玉串料を納めるのがマナーである。また、他の宗教で言えば、仏教式の葬儀では僧侶、キリスト教の葬儀では牧師や司祭などが斎主にあたる。

  • 賽銭

    賽銭とは、神社において祈願成就のお礼として奉げる金銭のこと。神社に参拝するときに日頃の感謝や、祈願をしながら奉げる金銭のことも言う。神社の本殿などに賽銭箱が用意されており、ここに小銭などを投じることで神様にお供えすることができる。賽銭は供物のひとつであり、神社に対する寄付とは役割が異なる物である。古くはお米が一般的であった。お供えする金額に決まりはなく、お供えをする人の気持ちを反映した金額で良いとされる。そのため、「ご縁」を願う語呂合わせで5円玉を賽銭する人もいる。

  • 歳旦祭

    歳旦祭とは、厳密には1月1日に皇居にある賢所(かしこどころ)・皇霊殿(こうれいでん)・神殿(しんでん)と言う宮中三殿(きゅうちゅうさんでん)」で行なわれる行事である。各地の神社でも毎年の始めに恒例祭事として行なわれ、多くの初詣客で賑わう。新年の訪れを喜び、皇室のますますの反映や国家の隆盛、五穀豊穣、世界の平和、1年間の加護などを祈る。宮中三殿で行なわれる儀式は、1月1日の早朝に天皇が神嘉殿南庭で伊勢の神宮、山陵及び四方の神々を拝む「四方拝」(しほうはい)という祭儀のあと、宮中三殿において掌典長が主宰して祝詞をあげ、黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)姿を天皇が拝礼し、続いて黄丹袍(おうにのほう)姿の皇太子が続いて拝礼する。

  • 祭壇

    祭壇とは、神様や霊的な存在、故人などに供物や生贄などを差し出すために設けられた壇のこと。宗教によってその形態は様々で、仏教式の葬儀においては、故人を偲んで供養するために遺影写真や供物を飾る壇のことを指す。キリスト教では、花を飾って十字架を設置するのが基本。古代には土を盛っただけの物や、大きな石を置いた物などシンプルな物もあった。一方、紀元前でもローマ皇帝のアウグスツスがいくつかの地域を平定した記念にテベレ河畔に建てた「アラ・パキスの祭壇」は豪華で、高さ約 6m、幅 約11.6m、長さ 約10.6mの大理石の壁で囲み、外面に浮彫が施されていたと伝えられている。

  • 斎田

    斎田とは、神道に関する用語のひとつで、神にお供えをするための米を作る田んぼのことである。稲作を始める時期にあわせて、各地の神社が執り行なう祭事「御田植」(おたうえ)のときには、斎田がその会場となることが多い。斎田は全国各地に存在し、神社の所在地の近くにあってその神社が所有する物であるなど、一般の農家が指定を受けて自身が所有する田んぼの一部を斎田とする例もある。御田植は田んぼの神を祭り、穀物が豊かに実るのを祈願する行事である。また、斎田で収穫された米は、毎年11月23日の宮中及び各地の神社で行なわれる祭「新嘗祭」(にいなめさい)などにお供え物として使われる。新嘗祭は、収穫された穀物を神に奉り、感謝の意を示し、国家安泰や国民の繁栄を祈る行事である。

  • 祭服

    祭服とは、様々な宗教において、祭祀のときにその宗教の関係者が着用する衣服のこと。祭祀とは、神様や祖先を慰める儀式を意味する。集団のなかでの役割を明確にするなどの目的で着用され、宗教によって様々な祭服がある。神道では、祭祀の種類に合わせて祭服を使い分け、正装をするときには冠(かんむり)、垂纓(すいえい)、掛緒(かけお)、袍(ほう)、単(ひとえ)、指貫(さしぬき)、笏(しやく)、檜扇(ひおうぎ)などを用いる。キリスト教では、礼拝や典礼などの際に司祭が着用し、教会によって数〜10数種用意させている。様々なカラーや形が宗派によって採用されており、それぞれに意味がある。

  • 再臨

    再臨とは、キリスト教に関する用語のひとつで、人々の罪を十字架で負って天に帰ったイエス・キリストが世を裁き、神の国を実現するために「世の終わり」に再び地上に降りて来ると言う教えのこと。教会や宗派によって解釈の差はあるが、キリストは天の軍勢を引き連れて来る、天の雲に乗ってくるなど、聖書にも再臨に関する多数の記述が残っている。再臨の時期は諸説あるが、基本的には明らかにはされていない。ただし、「世の終わり」とは聖書によると、民族の対立や飢饉、地震、偽物のイエス・キリストや預言者の出現、宗教的な迫害などがその印になるとされている。

  • 榊とは、ツバキ科の常緑樹の名称である。通常、山林に自生している種である。「神」と言う字と「木」と言う字を組み合わせた漢字名の通り、代表的な神木として知られ、神道の祈祷に必要な道具「大麻」(おおぬさ)の棒部分に枝が用いられるなど神事には欠かせない。家庭の神棚などにも葉の付いた枝を供えておき、毎月1日と15日に取り替えると言う昔からの習わしがある。榊には本榊とヒサカキがあり、本来、榊とは本榊のことであるが、関東より北の地域では気候の問題から本榊が生育しにくいため、類似種であるヒサカキが代用されることがある。また、関西や中国・四国地方など地域によっては神棚には本榊を飾り、仏花や墓花としてヒサカキが使われることも多い。

  • 里宮

    里宮とは、ひとつの神社が複数の神殿を持っている場合に、山のふもとの村などにある社のことを指す。これに対して山の頂上のほうにあるのが奥宮や山宮である。便宜上、アクセスしやすい場所に里宮が設けられていることが多い。これには参拝に訪れた人が山上まで向かうのは労力を要するなどの背景がもとになっていることが多い。奥宮の建つ山が女人禁制であったことから、男女が参拝に行けるように里宮が造られたと言う例もある。里宮でも各種の祈祷や祭典、お守りの授与などを行なっていることがある。里宮は日本の各地に存在し、なかでも熊野三山のひとつで本宮大社の里宮にあたる速玉大社などが有名である。

  • 悟り

    悟りとは、気付くこと、知ること、などと同様の言葉である。仏教においてはより深い意味があり、迷いが解け、真理をよく理解して自分の物とすることを指す。仏教では悟りは52の段階があるとされており、下から数えて10段目が十信、20段目が十住、30段目が十行、40段目が十回向、50段目が十地と呼ぶ。さらに51段目の等覚、52段目の仏覚がある。仏覚はこれ以上悟りはない、と言う意味から無上覚とも呼ばれる。仏覚まで到達したのは仏教を開いたゴータマ・ブッタ、すなわち釈迦のみであった。その釈迦であっても、出家後は厳しい苦行を行なったものの悟りをなかなか得られず、29歳か35歳のときに菩提樹のもとでようやく悟りを開いたと伝わっている。

  • 作務衣

    作務衣とは、禅宗の僧侶が日常的に着る作業着のこと。彼らが行なう掃除や薪割り、農仕事と言った日々の雑事を「作務」と言うが、これに取り組むときに着用する服が「作務衣」である。サムエ、またはサムイと呼ぶ。上着は筒状の袖で打ち合わせをひもで結ぶ形式になっていて、裾が絞られているズボンとセットになっている。古くは形が決まっておらず、作務を行なうときに着ている服全般を指していたが、次第に前述したような形に統一されていった。僧侶は黒色や藍色、茶色の作務衣を着るのが一般的であり、その色は僧侶の格を表していることがある。似たような物に甚平があるが、こちらは庶民のカジュアル着であり、作務衣のほうは上着の袖が長く、ズボンも10分丈となっている。

  • 散華

    散華とは、仏教において個人を供養するために、花をまき散らす行為のことである。仏や菩薩が天人たちを引き連れて死んだ人を極楽浄土に迎えにやってくるとき、それを褒め称えるために大衆や天部の神が華を降らした、と言う故事にちなんで行なわれている。もともとはハスの花びらをはじめとする生花が使われたが、次第にハスをモチーフにした色紙で代用されるようになった。こうした紙の花を、法要のときには何千枚も御堂の屋根からまくことがあり、風情ある情景を生む。寺院によっては有名な画家が描いた原画をもとにした木版を印刷し、記念品として販売することもあり、散華を収集するファンも存在する。また、散華は戦争に行なった人が若くして戦死することを婉曲に表現するときにも使われる言葉である。

  • 参道

    参道とは、神社のなかにあって、拝殿へ向かって伸びる道のこと。社寺に参詣するとき、一般の人が歩いて通るための道である。ひとつめの鳥居をくぐって、社殿に着くまでの道が参道にあたる。道幅のうち、中央の部分を「正中」(せいちゅう)と呼ぶ。ここは神様の通り道、あるいは神様の正面にあたるところであることから、一般の参拝者は正中を避けて端のほうを歩くことがマナーとされる。正中を横切ることもなるべく避け、やむなく横切るときには軽く頭を下げるか神様に一礼をする。参道は人通りが多いメインの参道を表参道、脇道の参道は方角を付けて北参道などと呼ぶ。もともとは明治神宮の参道として作られた東京都の表参道などのように今でも名前を地名に残している例もある。

  • 賛美歌

    賛美歌とは、キリスト教における、神をたたえる歌のこと。一般的にはキリスト教の最大教派のひとつであるプロテスタント教会で、礼拝や集会などで会場にいる全員が一緒に歌う宗教歌を意味する。漢字には「讃」と言う字を使って、讃美歌とも書く。同じく最大教派であるカトリック教会では、同様の意味を持つものとして賛歌がある。賛美歌は旧約聖書にも記述があり、古くは聖歌隊によって歌われたが、そののちに民衆が歌う物へと変わり、時代と共に様々な音楽形式と融合した楽曲が増えた。有名な賛美歌には「アメイジング・グレイス」、「いつくしみ深き」、「イエス君はいとうるわし」などがある。

  • 三宝

    三宝とは、仏教において最も重要だとされる要素。具体的には仏・法・僧の3つを意味する。仏は悟りを開いた人や仏像であり、法は仏の教えやそれを文章にした経典、僧は法を信じて実際に行なう修行者のことである。仏教はこの三宝を信仰することから始まるとされている。また、寺院は三宝を包み込むように置いた空間と言える。三宝の考え方は宗派や時代によって細かな点で異なり、仏は上座部仏教では釈迦、大乗仏教では釈迦のみならず如来なども含んだ複数の存在を指す。同様に、法は上座部仏教では釈迦の説いた教えであり、大乗仏教では釈迦や如来などが説いた教えとなる。この他、仏は仏像で、法は経巻で、僧は出家者であるとする解釈もある。

  • 三方

    三方とは、神道の神事において使われる道具のひとつ。主にお神酒や食材などのお供え物を載せるために作られた木製の台のこと。素材はヒノキが中心で、他に代用の木材が採用されることもある。四角の筒型をした胴を台として、その上に折敷(おしき)と呼ばれる盆が載る構造となっていることが多い。台には4つの側面があり、3方向に穴を空けることが、「三方」の名の由来。神棚には、神のほうに穴が向かないように、折敷の継ぎめと胴に穴のある面を手前に向けて配置するのが良いとされる。一般家庭でも正月の鏡餅や桃の節句の菱餅や酒、菖蒲の節句の柏餅やちまき、十五夜のお月見団子など季節の祭事でお供え物を置く台として使い、神へ日々の感謝を表すことができる。

  • 三位一体

    三位一体とは、キリスト教で重視される教義のひとつ。三位とは、父と子と聖霊。すなわち、父なる神、そこから生まれ出た御子のイエス・キリスト、さらに、父や御子から出た者や御子を通して信者に注がれた霊などを意味する聖霊のこと。これらは互いに区別された位格であるが、本質的にはひとつであるとする見解が三位一体説となっている。これには、キリスト教が唯一神を信仰の対象とする宗教であることが根本にある。ただし、三位一体と言う言葉自体は聖書のなかに登場していない。3つはひとりの神であるが父、御子、御霊の並びでは順位が存在するという意見や、その違いがあるが神としての力と栄光においては等しいという意見、など様々な解釈や論争がなされてきた。

  • 三門

    三門とは仏教のひとつである禅宗の寺院における、門の名称である。その他の仏教の宗派では「山門」と言う字を使う場所であるが、禅宗では門は単なる入口ではなく、修行僧が悟りの境地へ至るために通過しなかればならない道筋であると考えることから、三解脱門(さんげだつもん)の略称として「三門」の漢字で表現されてきた。三解脱門とは、一切を空と考える「空門」(くうもん)、すべての執着を離れる「無相門」(むそうもん)、作為なく自然であることを意味する「無作門」(むさくもん)と言う悟りに通ずる3つの解脱の境地を表わす。京都三大門と称される南禅寺三門、東本願寺の御影堂門(あるいは仁和寺の二王門)、知恩院の三門が特に有名である。

  • 坐禅

    坐禅とは、背筋を伸ばして座り、精神を集中した状態で行なう仏教における修行法のひとつ。このときの座り方は両足を組んで右足を左の股の上にのせ、左足を右の股の上にのせる「結跏趺坐」(けっかふざ)か、片足のみを組む「半跏趺坐」(はんかふざ)である。身体を落ち着けて動じない状態にすることで、心を集中させる。呼吸によって身と心を統一することにより、体と心の統一調和を図ることができるのだ。座禅によって目指すところは宗派により異なる点もあるが、自分を見つめ直す、生まれながらにして持っている「仏性」を蘇らせるなどの目的がある。座禅は修行僧のみならず、一般の人にも人気があるため、各地の寺院で座禅体験会などが開催されている。

  • 座蒲

    座蒲とは、仏教の寺院などで用いられる丸い円座の布団のこと。座禅をするときにお尻の下に敷くことでクッション材の役割を果たし、安定した正しい姿勢で座禅を組むことができる。通常の四角い座布団を置き、その上に敷くなどの方法も採られる。主に曹洞宗で使用され、臨済宗では同様の目的で長方形をなした布団を用いる。開発された当初は蒲(ガマ)の花穂で作られていたが、今では中身は綿やそば殻、パンヤが多い。表面はビロードや綿素材などで縫製される。厚みはしっかりあり、大きさは直径30〜40cm程度の物が標準。一般のクッションとしても人気があり、瞑想を行なうときや家庭のリビングなどに置く物として使われることもある。

  • 司教座聖堂

    司教座聖堂とは、カテドラル、または大聖堂とも呼ばれ、キリスト教のカトリック教会において司教座(カテドラル)が置かれている聖堂のことである。司教座とは高位聖職である司教や大司教が執務を行なう座席のこと。カトリック教会は司牧や行政のために「教区」と言う地域区分がなされていて、教区ごとに司教か大司教がいる。通常、この各地の司教または大司教が住んでいる都市に司教座聖堂があり、なかでは教区全体の行事や集会なども行なわれる。司教座聖堂の建物は、長い歴史を刻み、格式高い物が多い。ヨーロッパにある司教座聖堂はほとんどがロマネスク様式かゴシック様式の建築物である。キリスト教のなかでもカトリック教会とは異なる教会では、同様の役割を果たす建物でも別の名称が用いられる。

  • 司教杖

    司教杖とは、キリスト教において使われる道具の名所。キリスト教カトリック教会の高位聖職である司教が、祭祀のときに手にする杖のことを意味する。バクルスとも呼ぶ。祭祀のときには、司教は祭服を身にまとい、頭にはミトラと呼ばれる冠を載せるが、これらと同様に司教の権威を表わすシンボリックな道具である。キリスト教ではイエス・キリストを「善き羊飼い」、信徒を「ストレイシープ」と例えるように、司教杖も羊飼いの杖であるシェパーズ・クルークがモチーフになっている。聖公会やルーテル教会では司教にあたる役職は主教。司教杖と同様の道具も名称が異なり、「牧杖」、または「パストラルスタッフ」となる。正教会では主教や掌院が「権杖」(けんじょう)、または「ジェズル」を使う。

  • 司祭

    司祭とは、キリスト教のいくつかの教会における位階のひとつ。カトリック教会や東方諸教会、正教会、聖公会にこの位階が存在する。例えば、カトリック教会では聖職者として司教、司祭、助祭の3つあるが、位の高さでは司祭は司教に次ぐ物である。一般的にイメージされる神父がこれに相当し、司祭は礼拝やミサを取り仕切るなどの仕事を行なう。教会によっては司祭になれるのは男性のみで、妻を持つことが禁止されているなど様々な決まりごとが存在する。一方で、プロテスタントの教会では「万人祭司」の教理によって司祭が存在せず、牧師が指導者としての立場を取る。司祭や牧師になるための資格はないが、神の呼びかけを意味する召命(しょうめい)を受ける必要がある。

  • 四天王

    四天王とは、仏教や仏法を守る役割を持つ4人の神将のこと。如来・菩薩・明王と共に、仏像のモチーフとされる天部のひとつである。もともとはインドで4つの方角を守る精霊に起源を持つ物で、門を守護する神として祀られてきた。寺院の堂内で須弥壇を中心としたとき、東に持国天、南に増長天、西に広目天、北に多聞天を配する。仏像では中国風の甲冑をまとった武人の姿をして、邪鬼を踏み据えている者が基本。ただし、広目天は筆と経巻を持つなど独自の様相をなすことも多い。日本では飛鳥時代に、聖徳太子が蘇我馬子(そがのうまこ)と物部守屋(もののべのもりや)との戦に勝つことを祈願して四天王像を彫り、593年(推古天皇元年)に大阪府の四天王寺を建立したと言う有名な伝承も残る。

  • 紙垂

    紙垂とは、神道における特殊な裁ち方をした紙のこと。主に結界を張るために建物に取り付ける注連縄(しめなわ)や、祈祷に必要な玉串など様々な道具に添えられる。紙垂があることで神聖な場所であることを示す他、玉串の場合は紙垂を榊に付けたことで遷霊がされる、といった意味合いを持つ。通常、半紙や奉書紙といった白い紙が使われる。裁ち方や折り方は流派によって差異があるが、裁ってからジグザグに折り込む吉田流と言う方法が一般的。他に、代表的な物には白川流がある。ジグザグの形は神が天から降りて来るときの雷臨の様子をモチーフにしていると考えられている。紙垂は家庭でも神棚に飾られることもあり、自作するなど神社や小売店でも購入が可能。

  • シナゴーグ

    シナゴーグとは、ユダヤ教の会堂のこと。集会所を意味するギリシャ語のシュナゴゲーに由来する言葉である。キリスト教の教会の前身となった物で、キリスト教の聖書にも「会堂」の名で記載されている。もともとは集会所であったが、ユダヤの教典である旧約聖書を読んだり解説したりする場となっていった。かつてユダヤ教徒の生活の中心はエルサレム神殿での神殿祭儀であったが、紀元70年のユダヤ戦争で破壊されてからは、シナゴークがその役割を果たすようになったのである。ユダヤ教の信者が集まって礼拝をする場所になっている他、結婚式や教育を行なう場にもなっている。シナゴークは日本を含めて、世界の各地に存在する。

  • 注連縄

    注連縄とは、神社の鳥居などに張られる縄のこと。注連縄を張ることで外からの不浄な物を神前や神聖な区域へ触れさせないと言う意味があり、神聖な場所と不浄な外界の境界線となる。そのため、神社の周辺やご神木にも張られることが多い。家庭でも正月には玄関に注連縄飾りを取り付けるなど、普段から神棚に張る習わしがある。注連縄の起源は、日本神話のなかで天照大神(あまてらすおおみかみ)が引き篭もっていた天岩戸(あまのいわと)から出たときに、もうなかへ入れないように神々が注連縄で入口を塞いだことにあると言われています。形はいくつか種類があり、編み方は左ひねりが一般的。出雲大社の物が、日本最大級の注連縄として有名である。

  • 釈迦如来

    釈迦如来とは、仏教の教祖であり、現世において唯一悟りを開いた人であるゴータマ・ブッタのこと。尊称では釈迦とも言う。如来とは菩薩・明王・天部と共に仏像のモチーフとされる物であり、釈迦を指す名称のひとつ。その如来のなかでも、釈迦の生涯を仏像に表現した物が釈迦如来像である。80年にわたる生涯のどの部分を表わすかによって、様々な釈迦如来像が造られてきた。京都の大報恩寺にある「誕生仏」は、釈迦が生まれた直後に7歩を歩き、右手で天を指し「天上天下唯我独尊」を宣言したときの様子をモチーフにしている。他にも、説法をする「説法釈迦像」、出家後に苦しい修行に励んでいる「苦行像」、入滅を迎えて横たわる「涅槃像」などがある。

  • 写経

    写経とは、仏教の聖典である経典を書き取る行為のこと。書き写された経典のことも写経と呼ぶ。経典は古くは暗唱で伝えられたが、次第に書写により文字で表わされるようになり、印刷技術が発達するまでは仏法の保存に欠かせない作業であった。また、供養や功徳、僧侶の修行と言った目的でも行なわれた。中国では六朝時代に始まり、日本では673年(天武天皇2年)に行なわれた川原寺での一切経の写経が最初とされる。国家を上げて仏教の普及が図られた時代には、官立の写経所が建てられた。一般の人が集中力を付けたり字を美しくしたりするなど、学習を目的として行なうこともある。

  • 笏とは、和装にあわせる小物のひとつで、細長い棒状の物。神職が儀礼のときに着る「束帯」(そくたい)と言う衣装の一部として用いられる。平安時代以降から公家の正装として着用されてきた。持つことで威儀を正すなどの意味合いがあり、右手に持つのが一般的だが、出雲大社では両手で持つのが伝統である。笏は中国発祥とされるが、古代ペルシャの壁画にも同様の物が描かれている。象牙で作られた牙笏(げしゃく)と、木を素材にした木笏(もくしゃく)があり、昔は位やシチュエーションによって使い分けていた。日本では明治時代に束帯が神事用の服とされたとき、木製の笏を採物として持つことが規定されている。神職が女性である場合は、代わりに扇を持つこともある。

  • 社家

    社家とは、特定の神社に神をまつる身として先祖代々、仕えてきた家柄のことを意味する。古くは神社の祭祀や行事は、地域を代表してその地に勢力を持つ氏の長者(ちょうじゃ)などが奉仕をするか、その地域の氏子や村人たちが交代で当番として行なってきた。しかし、日々な社務を取り仕切ったり、祭祀を厳粛に行なうために長期間の潔斎が必要となったりしたことから、各神社に専従で奉仕する家柄が認識されるようになって世襲制となった。有名な物では、出雲大社の社家である千家・北島家、伊勢神宮の社家である藤波家・河辺家など。1871年(明治4年)には政府によってこの世襲制は廃止されたが、地方などでは社家が存続した例も多かった。

  • 社務所

    社務所とは、神社の境内のなかにあって、事務所のような役割を果たす場所のこと。ほとんどの神社では、神職や巫女などがここに常駐している。神社の規模などによって社務所がない場合もあり、また、ある場合でもその広さは様々である。神社に関する相談ごとなどもすることができ、参拝の記念として授与される物として人気の御朱印も社務所で受け付けてくれることが多い。大きな神社では祈祷受付や授与所が別にある場合もあるが、通常は社務所でお守りやお札、おみくじなどの購入ができ、厄払いなど祈祷の申込みもできる。社務所のなかでは事務を行なうため、机やコピー機、プリンター、電話、パソコン、文房具など各種の必要な道具が用意されている。

  • 沙門

    沙門とは、出家した僧侶のこと。真理を求めて努力する人、あるいは遍歴を続ける苦行者などの意味も持つ。インドの古典語であるサンスクリット語の「シュラマナ」、または南伝上座部仏教の経典で使われるパーリー語の「サマナ」を、発音から漢文に訳した物である。仏教における出家した修行者を指すことが多い。仏教の教祖であるゴータマ・ブッダがこの世で存命だったころのインドには、自らの家庭を捨てて出家し、旅をしながら修行をする人や、新しい思想を持つ人々がおり、沙門と呼ばれていた。日本では僧侶が所属する寺院や社会的な身分を記すときに、僧侶と同じ意味合いの言葉として使用されることもある。

  • 主とは、主人のことであり、キリスト教やユダヤ教においては神を指す言葉である。古くはユダヤ人が神の名を口に出すことがはばかれることから、「わが主」を意味する「アドナイ」と言う名前で呼んだことに由来する。旧約聖書のなかで、天地の創生主が「神である主」と表現され、神がモーセに「わたしは主である。わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに、全能の神として現われたが、主と言う名では、わたしを彼らに知らせなかった」と語っている。新約聖書では、その神を表わす主がイエス・キリストに帰着された。キリスト教においてイエス・キリストを「主」と告白することは、教会での信仰告白の中心であり、キリスト教信仰の核心と言える。

  • 宗教団体

    宗教団体とは、宗教活動を行なうための団体のこと。1951年(昭和26年)に施行された宗教法人法によると、「宗教の教義をひろめ、儀式行事を行ない、及び信者を教化育成することを主たる目的とする」団体と定義されている。同法ではその具体的な内容として、「礼拝の施設を備える神社、寺院、教会、修道院その他これらに類する団体」を指す。そうした団体を包括する教派や宗派、教団、教会、修道会、司教区その他これらに類する団体も、宗教法人にあたると言う。礼拝の施設の規模は問われないが、公衆に解放されていることが求められる。宗教団体はその主な事務所がある場所を管轄する都道府県知事、または文部科学大臣の所轄であり、法人格を得るにはその所轄丁の認証が必要。

  • 修道院

    修道院とは、キリスト教において修道士たちが、共同で信仰生活を送る施設のこと。修道士とは、キリスト教の修業を積むことの宣願を立てた人であり、女性の場合は修道女と表現される。性別によって修道院は分かれており、男女いずれも結婚することはできない。キリスト教のなかでも修道院を所有する教派は、カトリック教会や東方諸教会、正教会、聖公会など。プロテスタントでは修道院を所有することはほとんどない。修道院での生活は大きく2種類あり、活動修道会では祈りを大切にしながら、各修道会の目的のもとで福祉や教育、奉仕、出版など広い分野で活動して福音宣教を行なう。もう一方の観想(かんそう)修道会は、基本的に修道院内のみで祈りと観想、労働を軸とした暮らしをする。

  • 宗派

    宗派とは、主に仏教に関して用いられる言葉。同じ宗教のなかでも教義や信仰の対象が異なることがあり、そうした違いのもとで分かれた集団のことである。歴史的な経緯によって生じた分派も多い。キリスト教の場合は、同様の意味の言葉に「教派」がある。仏教では、1940年(昭和15年)に宗教団体法が施行されるまでは、13の宗旨と、それぞれの分派を合わせて13宗56派があると考えられていた。同法施行により華厳宗、律宗、天台宗、真言宗、浄土宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮正宗、日蓮宗、法華宗、時宗、黄檗宗など28の宗派が宗教団体として認可。そののち、1951年(昭和26年)に宗教法人法施行され、28宗派の一部が独立・分派している。

  • 祝福

    祝福とは、キリスト教において、神が信徒の幸せや喜びのために特別な配慮をするという意味。具体的には必要としている物が与えられると言った物質的なことであったり、精神的な成長や心の平安と言った可視化できない物であったりする。祝福は人の願いごとをその通りに叶えてくれると言う意味ではなく、愛をもって最善の訓練を与えてくれる神の配慮が祝福と解釈されるのが基本。聖書のなかでは、ヨセフは奴隷の家や監獄で13年間忍耐し続け、モーセはエジプトの王家の血を引く身でありながらエジプト人やユダヤ人から非難され、荒野で40年間羊飼いの生活を送ったことなどが述べられている。こうした試練が神による祝福への導きと解釈される。

  • 宿坊

    宿坊とは、神社や仏教の寺院などにある宿泊用の施設を意味する。もともとは僧侶や参拝客のための物であったが、一般の観光客の利用を受け入れる寺社も少なくない。僧侶のみが利用できる施設は僧房とも呼ぶ。神社や寺院の建物そのままであったり、あるいは敷地内にある〇〇会館などの名称が付いた別の建物であったり、その寺社が運営する敷地外の建物であったりと、施設の形態は様々。一般の観光客が宿泊できる施設では、天然温泉の露天風呂を併設しているなど充実した設備やサービスを供える宿坊も増えた。一般の人が宿坊で体験できる修行はその施設によって異なるが、写経や座禅、読経、滝行、護摩行、精進料理などが用意されている。

  • 出家

    出家とは、仏教の道を求める人が、道場などに入り浸って修行に没頭すること。女性であれば、尼僧とも呼ばれる。また、出家に対して、一般の家庭生活を営み仏道修行に励むことや、あるいは人のことは「在家」(ざいけ)と言う。出家はまず、いずれかの宗派の寺院へ出家の申し入れを行ない、道場側が受け入れることで可能になる。出家の覚悟の程を見極めるために、受け入れ後に僧侶の見習い期間が設けられることも少なくない。出家後の生活は宗派によって異なる。修行は数年以上にわたり、ひとつの場所で修行を積んだあとは他の修行道場に進んだり、そのままその道場で修業を続けたり、自身が寺の住職となるなどの道がある。

  • 修祓

    修祓とは、神道においてお祓いを行なうこと。「しゅばつ」、あるいは「はらひ」とも読む。神事の前に必ず実施される物で、「祓所」(はらえど)と言う場所で「祓詞」(はらえことば)を奏上し、必要な道具と共に「大麻」(おおぬさ)」を振ってお祓いを行なう 。行事によっては塩水を注いで祓串を振ることもある。これにより心身を清らかにして、神明に親しみを求める。「祓所」(はらえど)は社殿の外に設けられるのが正式だが、社殿内に用意されることもしばしば。地鎮祭など社殿の外で実施する神事では、祭壇に向かって左側の脇に祓所を設ける。修祓の歴史は古い。神話のなかで伊邪那美命(いざなみのみこと)が死に、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)があとを追って黄泉国の穢れに触れて帰ったあと、「筑紫の日向の橘の小戸の檍原」(あはぎはら)にて禊祓を行なったのが起源とされる。

  • 須弥壇

    須弥壇とは、仏教の寺院のなかにあって、本尊を安置する場所のこと。本尊とは、その寺院が信仰対象としている物で、実際にはそれをモチーフにした仏像や絵などが須弥壇に飾られる。須弥壇の名前は仏教やヒンドゥー教で世界の中心にあるとされている架空の山「須弥山」(しゅみせん)に由来しており、須弥壇の形はその形に基づいているとされる。したがって、須弥山の概念と同様に、須弥壇の上のほうは仏の領域であり、ここに直接仏像などを安置することも多い。ただし、置き方は宗派によっても異なる。もともと須弥壇は仏壇全般のことを指していたが、中世ごろから寺院にある仏壇のみを表わす名称となり、家庭にある物は単に仏壇と呼ばれるようになっている。

  • 頌栄

    頌栄とは、キリスト教に関する用語のひとつ。プロテスタント教会において三位一体の神を讃える、神の栄光を褒め称えるために書かれた賛美歌のことを指す。三位一体とは、キリスト教で重視される教義のひとつ。三位とは、父なる「神」、そこから生まれ出た御子の「イエス・キリスト」、父や御子から出た者や御子を通して信者に注がれた霊などを意味する「聖霊」のことをいう。それぞれ互いに区別された位格でありながら、本質的にはひとつであるとする見解である。頌栄はこの三位一体への讃美において歌い、唱えられる物であり、例えば、「父と子と聖霊との神に、初めも、今も後も、栄光があるように」と言った内容の物だ。同じ意味の物でも、カトリック教会では「栄唱」(えいしょう)と呼ばれる。

  • 聖観音

    仏教では始祖である釈迦(しゃか)の他にも仏とされる者が存在するが、聖観音はそうした仏のひとつである。仏は如来(にょらい)・菩薩(ぼさつ)・明王(みょうおう)・天部(てんぶ)の4つのグループに大別でき、聖観音はそのうちの菩薩に属する。聖観音は人々をよく観察していて、その苦悩を自在に救うことができる。別名は観音菩薩。観音菩薩と言えば、千手観音や十一面観音など様々なものが存在するが、これは聖観音が人々を救うときには「三十三応化身」と呼ばれる能力を発揮し、いろいろな姿に身を変えた者である。そうした変化したあとの観音と区別するために、基本の姿のをこと指す聖観音と言う名称が生まれた。手には水瓶やつぼみの蓮華を持つのが一般的。奈良県法隆寺の百済観音立像や、薬師寺東院の聖観音菩薩像が特に有名である。

  • 精進

    精進とは、ひたむきに努力をする、誠心誠意をもって日々励むことで、古代インドの言語であるサンスクリット語で「勇者たること」を意味するvirya(ヴィーリヤ)を訳した物。仏教では苦を消滅させるための方法として八正道(はっしょうどう)と言う物がある。そのひとつに精進があり、すでに起きてしまった善くないことを断ずる、未来に起こりうる善くないことを未然に防ぐ、これまでにあった善い行ないや心の動きを増長させる、この先に善を生む、と言う4つの実践について努める。また、大乗仏教において修行の基本とされる六波羅蜜(ろくはらみつ)のひとつでもある。仏教における精進は、他人との優劣を付けるための努力ではなく、その人自身が大切だと思うことに対して継続的に取り組み、究めようとすることである。

  • 精進料理

    精進料理とは、野菜や豆、穀類のみを使った料理のこと。仏教の修業中に僧が食べる基本的な料理であり、仏教では殺生が禁止されているので肉食ができず、こうした食材を工夫して調理されてきた。精進と言う言葉には「ひたすら努力する」と言う意味があり、悟りを極めるため、おいしい物を求めることを辞めて粗食を取る行ないによって、一所懸命に仏道修行に励む方法のひとつとするものである。肉食ができないためにタンパク質などの栄養価が高い大豆が多用され、味噌や醤油、豆腐、湯葉、油揚げといった大豆を加工した料理も精進料理から多く誕生した。また、仏教式の葬儀では、故人が亡くなってから7日目に、遺族や親族、故人と親しかった人たちが集まって初七日と言う法要を行なうが、この法要のあとには精進料理や菓子がふるまわれる習わしがある。

  • 鐘楼

    鐘楼とは、寺院のなかにある建築物のひとつで、仏教法具の釣鐘である梵鐘(ぼんしょう)を吊るすための施設。梵鐘を撞木(しゅもく)と言う棒状の物で撞くことで、除夜の鐘に代表されるような、ときを告げる音を鳴らす。鐘撞き堂、鐘楼堂とも呼ぶ。梵鐘を打ち鳴らすことは供養と考えられている。伽藍のなかで鐘楼をどの位置にするかは宗派によって異なり、寺院の敷地の入口である山門と一体化した鐘門もある。代表的な鐘楼は、国宝に指定されている奈良県の法隆寺鐘楼、法隆寺東院鐘楼、東大寺鐘楼など。愛知県の久国寺には芸術家の故・岡本太郎が制作した梵鐘もあります。また、キリスト教の建物にも鐘楼があり、そこにはひとつか複数の鐘が吊るされ、同様の機能を果たしてきた。

  • 白拍子

    白拍子とは、平安時代末期に起こり、鎌倉時代にかけて広まった歌舞のことで、歌舞を行なう人のことも指す。武士や男性貴族たちが着ていた水干(すいかん)や直垂(ひたれ)と言った衣服と立烏帽子(たてえぼし)を身に付け、白鞘巻の刀をさして男装をした遊女や子どもが、鼓を伴奏に流行している歌や朗詠を歌いながら舞ったと言われています。ただし、男性が白拍子となった例もある。伴奏のない物もあり、この場合は即興の舞が披露され、素拍子と呼ばれた。白拍子が由来となった舞が伝承され、住吉大社で踏歌神事や松苗神事で行なわれている。有名な白拍子は、源義経の愛妾であった静御前(しずかごぜん)とその母親である磯の禅師(いそのぜんじ)など。

  • 神井

    神井とは、神道に関する用語のひとつで、神が飲むと言われる井戸のこと。神井から汲み上げられた水は御神水などと呼ばれ、神聖な水として大切にされます。複数の神社に神井が存在し、なかでも住吉大社の神井は毎年1月1日の早朝に行なわれる「若水(わかみず)の儀」や、6月に開催される「御田植神事」(おたうえしんじ)で使われることで有名。若水の儀では宮司が第四本宮前にある神井から水を汲み上げ竹筒に入れ、第四〜一本宮、大海神社、侍者社へお供えする。このときの水は「若水」あるいは「御神水」と呼ばれ、邪気を除き、若返りのご利益があるとされる。また、御田植神事では、御田に早苗を授受する前に御神水を四方にまいて清める。

  • 神域

    神域とは、神社の境内や、神道において神が宿るとされる場所のこと。神域とそうでない俗世間を区切るため、境内や社に段差を付けたり、柵を設置したりする取り組みがされてきた。鳥居や注連縄には、それを整えることによって邪気や不浄な物の侵入を防ぐための結界を張ると同時に、それより向こうは神域を示す役割があります。また、一般の人が参拝のため神社を訪れることは神域に入る行為のため、その前の準備として手水で身を清めるなどの作法を行なう。神社参拝の前日から飲酒や遊興はなるべく避け、当日の参拝中にも境内で他人についての不平不満を述べるなど、神に対して失礼なふるまいをしないことが望ましい。

  • 信仰

    信仰とは、神や仏などを信じて崇める宗教のベースとなる概念であり、無条件に依存して身を奉げる態度のことなどを指す。信仰の対象となっている物は様々で、仏教における如来(にょらい)・菩薩(ぼさつ)・明王(みょうおう)・天部(てんぶ)や、キリスト教における天地創造の神やキリスト、神道における八百万の神など。信仰の程度も千差万別である。不意に思い込むことは厳密な意味では信仰と異なり、宗教的な体験や儀礼を何度も行なうことによって、徐々にその人のなかに心の持ちようとして育まれていくと考えられた。信仰は個人が自身の生き方の指標とする他、同じ信仰を持つ人々が組織化したときには入信の儀礼を行なうなど、共同体の活動の中心にもなる。

  • 真言

    真言とは、古代インドの言語であるサンスクリット語の「マントラ」を訳した言葉で、インドの古い聖典「アタルバ・ベーダ」などでは呪的な言詞、なかでも呪術を伴う物を主に指す。聖なる真実の言葉と言う意味であり、何らかの教えが込められた秘密性のある言葉がこれにあたる。真言と同様の意味を持つが、比較的長い物は陀羅尼(だらに)と呼ばれます。密教では、仏や菩薩などの言葉であるとして、どの仏や菩薩が述べているかによって如来説と菩薩金剛説、二乗説、諸天説、地居天(じごてん)説に分類している。真言のなかで良く登場する単語には、「帰命する」と言う意味の「オン」、「成就あれ」の意味の「ソワカ」などがある。

  • 神座

    神座とは、様々な宗教において用いられる概念であり、神霊の降臨する場所のことを意味する。神道において、神座は神社の本殿奥とされていて、一般の参拝客は見学できない場合も多い。神霊が依り着くとされる物を神体として安置し、注連縄(しめなわ)などの装飾がなされる。古代の日本では神道の神は山や川など自然に宿っており、社殿を設けず、招き入れの儀式を行なうことで依り代に呼び寄せられると考えられていた。しかし、仏教の影響から神が常駐する場所として神社が建てられ、神が常にそこにいる場所として神座も用意されるようになった。伊勢神宮ではすでに804年(延暦23年)の「皇太神宮儀式帳」に、神座の存在が窺える記述がある。

  • 神職

    神職とは、神社において神に奉仕する立場に就いている人のことである。俗称として神主(かんぬし)と呼ばれることも多い。かつては神職と言えば神社全般の事務を管轄する宮司(ぐうじ)、祭祀に関する最上位の職である神主をはじめ、禰宜(ねぎ)、祝(はふり)、巫(かんなぎ)、その他に大神主や総神主、権神主などがいた。厳密に言うと巫女は神職に含まれておらず、神社に奉仕する職の正式名称はその神社を代表する立場である宮司の他、権宮司、禰宜、権禰宜などである。ただし伊勢神宮は特殊で、祭主、大宮司、少宮司、禰宜、権禰宜、宮掌と言う職を置いている。神社の規模が小さい場合は、このうちにいくつかの神職のみが常駐する場合もある。

  • 信者

    信者とは、ある何らかの対象について信仰をしている人のことである。信徒、檀信徒、教徒などとも呼ぶ。本来は信仰の対象は宗教の神や仏などであるが、そうではない個人や団体、物などについて熱狂的なファンであり、それに反する意見に対して客観的な判断ができない状態にある人のことを〇〇信者と称したりもする。宗教では信者であると認められるために、儀式などを経ることが必要とされる場合もある。例えば、仏教では出家信者となるには戒律を授かって剃髪をするなどの手順を踏む。キリスト教のカトリック教会では秘跡として洗礼や堅信を行なうことで信者と認められる。神道では特に儀式はなく、神社がある地域一体の住人がそのまま信者と同様の意味である「氏子」と考えられる。

  • 神饌

    神饌とは、神道において神にお供えをする食べ物のことである。御饌(みけ)とも言う。神の食事として祭事などで献上を行なう。食べ物は参列した人々がそのお下がりをもらって食する習わしがあり、この神人共食(しんじんきょうしょく)と言う行為が日本における祭りの特徴のひとつとも言われている。神饌は、素材を調理しないで生のままで供える生饌(せいせん)と、菓子などのように人の手が加えられた物を供える熟饌(じゅくせん)などがある。代表的な素材は米、酒、餅、魚、鳥、野菜、塩、水など。この他にその地域の産物やその神社に由来のある特定の物を捧げるたり、家庭に神棚がある場合は、神饌として米や水、塩などを朝に供える習わしがある。

  • 神体

    神体とは、神道において神が宿っているとされる対象物、あるいは場所のこと。「ご神体」などと呼ばれる。そうした対象物は依り代(よりしろ)と言われ、古くは山や巨石、木、川、滝など自然がこれにあたることが多かった。また、天孫降臨(てんそんこうりん)のときに瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天照大神(あまてらすおおみかみ)から授けられたと言う日本神話に由来する「三種の神器」(さんしゅのじんぎ)をもとに、鏡・玉・剣が神体とされることもある。伊勢神宮にはこの三種の神器のひとつである八咫鏡(やたのかがみ)が祀られ、外宮にも鏡が神体として祀られていると伝わっている。神体がある場所は神域であり、注連縄を張って結界を作るなどの対応がなされている。

  • 神徳

    神徳とは、神社に祭られている神の恵みや、神によって起こされる事象などのことである。噛み砕いて言うとそれぞれの神社で神へどのような加護を願うことができるのかと言うことであり、これを神から与えられることを「ご利益」と言う。その内容は神社に祀られている神によって開運、家内安全、夫婦円満、商売繁盛、出世、厄除け、交通安全、学業成就、健康、安産、縁結び、断ち物、晴天・雨乞いなど様々である。例えば、京都府の八坂神社や和歌山県の熊野本宮大社などは須佐之男命(すさのおのみこと)を祀る神社であり、厄払いの神徳があることで知られる。学問の神である菅原道真を祀る京都の北野天満宮や福岡県の太宰府天満宮などは、学業成就や合格祈願に訪れる参拝客が多い。

  • 神父

    神父とは、キリスト教の教会に奉仕する職である司祭に対して使われる敬称である。キリスト教のなかでも正教会、東方教会、カトリック教会に存在する。例えば、カトリック教会では聖職者には司祭の他に司教と助祭があるが、位の高さでは司祭である神父は司教に次ぐ物で、礼拝やミサを取り仕切るなどの仕事を行なう。教会によっては神父になれるのは男性のみとされており、妻を持つことも禁止されるなど様々な制約がある。神父になるには神の呼びかけを意味する召命(しょうめい)を受けなければいけないが、特定の資格は必要がない。プロテスタントの教会では、「万人祭司」の教理によって司祭がいないので神父もおらず、信者たちを指導する立場にあるのは牧師である。

  • 神馬

    神馬とは、神道において人間の世界へやって来るときに乗るとされる馬のこと。「じんめ」、「しんば」、「かみうま」などとも読む。実際に神社に奉納されて、神聖化された馬のことを指し、伊勢神宮や住吉大社、金刀比羅宮をはじめとする大きな神社で一般の馬とは区別して飼育されてきた。馬の種類は特に定められていないが白馬が重用される傾向がある。神馬の歴史は古く、奈良時代から皇族から庶民まで、様々な人々が祈願のために神社に馬を奉納する習わしがあった。武士が戦での勝利を祈願するときにも神馬が奉納されたことがある。のちに、規模が小さな神社では神馬の世話は負担が大きいことなどから、絵馬に置き換えられていったとされている。

  • 神明造

    神明造とは、神社建築の様式を表わす用語である。神道の社殿は本を伏せたような形の屋根を持つ切妻造(きりつまづくり)が基本であり、この切妻造のなかでも様式が神明造と大社造(たいしゃづくり)に大きく2分される。神明造は屋根のてっぺんである棟に対して水平に建つ壁に入口がある「平入り」と言う様式。一方の大社造は棟に対して垂直な壁に入口がある点が大きく異なる。神明造は奥行よりも横幅が広いのも特徴のひとつ。屋根上には大社造と同様に、堅魚木と千木を用いる。実は神明造と称されるのは伊勢神宮正殿のみとされる。この伊勢神宮の神明造にルーツを持つ建築様式の物として、京都府の上賀茂神社や下賀茂神社などに代表される流造(ながれづくり)や、大分県の宇佐八幡宮などの八幡造(はちまんづくり)がある。

  • 新約聖書

    新約聖書とは、キリスト教において、旧約聖書と並んで教典とされる物である。創世神話からヘブライ人の指導者であるモーセと神とのエピソード、十戒、イエス・キリストの出現の預言などを含む旧約聖書に対し、のちにまとめられた神との新しい契約、と言う意味で「新約」と命名された。旧約聖書はキリスト教とユダヤ教の聖書であり、新約聖書はキリスト教でのみで聖書とされている。新約聖書は1〜2世紀にキリスト教徒たちによって書かれ、その内容は27の書の集合体である。キリストの言行を記した福音書、特別な弟子である使徒(しと)たちの初代の教会の発展に関する言行の記録、初代の教会を指導した使徒たちの書簡、ヨハネの黙示録などから成る。

  • 身廊

    身廊とは、キリスト教の教会建築の一部分を指す名称。入口から祭壇にかけて続くスペースのことで、教会堂の中央に配される。キリスト教の教会堂、修道院、大聖堂などで、ロマネスク様式・ゴシック様式・古典建築のいずれにおいても採用されている。こうした建築物では入口から廊がいくつかあり、通常は奇数で配置され、そのうちの中央に設けられる物が身廊で、幅広く天井の高い空間となっている。また、身廊は円柱や角柱によって区切られて端のほうにある廊を側廊(そくろう)と呼び、こちらは天井が低い。廊の数によって単廊式、3廊式、5廊式などと分類され、5廊式の建物内では身廊が3つ存在する場合もある。身廊の高さで知られる建築物は、イタリアで約91m高の身廊を持つサン・ピエトロ大聖堂など。

  • 直日

    直日とは、仏教用語のひとつ。1日ごとに交代して居舎をしたり、器具を営繕したり、日々の作業をすべて司る役があり、その1日の幹事を行なう役が、本来の意味の直日である。そこから転じて、禅堂内において坐禅修行の一切を指導監督する責任者を指すようになった。直日は座禅修行の際、道場の前のほうに座り、時間を計測したり引磬(いんきん)と言う鳴らし物で指示したりしてその場を取り仕切る。直日の補佐役として助警(じょけい)が付くこともある。かつては、坐禅指導監督にあたる者として単頭(たんとう)と言う役職名があったが、ほぼ使われなくなっている。座禅の会場では、直日が坐る側を直日単、その対面にあるほうを単頭単と呼ぶ。

  • 地蔵菩薩

    地蔵菩薩とは、仏教の寺院などに安置される仏像の種類のひとつ。仏像は大きく分けて如来・菩薩・明王・天部の4種類があるが、菩薩は悟りを開く前の仏の姿を表わす者である。その菩薩のなかでも地蔵菩薩は、もともとは大地の恵みを与える仏として生まれた。時代を経て、地蔵菩薩は地獄の閻魔大王と同体であり、地獄で苦しむ人々を救済する仏として認識されるようになっていく。中世以降は、武士や農業、身代わりの仏として、庶民から人気を集めるようになった。地蔵菩薩の大きな特徴は、頭を剃髪して僧侶の姿をしている点である。また、望まれるものを生み出せる「宝珠」(ほうじゅ)と言う玉を手にしている。京都府の壬生寺の縄目地蔵などが特に有名。

  • 十一面観音

    十一面観音とは、仏教における菩薩のひとつ。11の顔があり、すべての方向を見守っている。苦しんでいる人を見つけやすくするために、観音菩薩が11の顔を持つように変化した物である。頭上に11の顔がある場合と、頭上の10の顔と通常の位置にある顔を合わせて11になっている場合がある。それぞれの顔を見ると、正面にある顔は善良な衆生に楽を施す「慈悲」、左のほうは邪悪な人を戒めて仏道へ向かわせる「忿怒」、右のほうは行ないの浄らかな人を励ます讃嘆の表情「白牙上出」(びゃくげじょうしゅつ)、うしろには人々の悪行を大口で笑い滅する「大笑」(だいしょう)などと、異なるニュアンスを持っている。十一面観音は奈良時代には信仰され始めており、日本にも多くの仏像が残る。

  • 十字架

    十字架とはクロスとも言われ、漢数字の十の形をした物。キリスト教の神とされるイエス・キリストが処刑をするときに架けられた道具としても知られ、アクセサリーのモチーフなどにも使われている。キリストが十字架に架けられた背景には、古代ローマ帝国において、それが最も痛みを伴う残酷な処刑方法であったと言うことがある。新約聖書によると、キリストは自ら進んで十字架への道を歩き、何も罪を犯していないのに極刑に処さられることで、人が犯した罪を贖うための代価としたと言う。また、人に仕えることや神に従うこととはどういうことかを、十字架の死によってキリストが身をもって弟子や信徒に教えているとも解釈される。

  • 受戒

    受戒とは、仏教において教団に入って仏の教えに帰依するために、戒(かい)を受けることである。戒とは、自分を抑制して守るべき戒(いまし)めであり、道徳とも言える物。戒は自主的に行なわれる物で破っても罰則はないが、守ることで人生の幸福を得るもとになると考えられている。受戒をするのは出家信者でも在家信者でも良い。受戒の作法は大乗仏教と小乗仏教によって異なり、前者では仏や菩薩に誓うので授戒する師がなくても可能である。後者では授戒の師が必要であり、厳しい物では授戒をする作法を行なうのに戒和上(わじょう)・羯磨(こんま)・教授師と言う3人の師と、七証と呼ばれる7人の証明者のもとで登壇することが求められる。授ける立場からは、この行為を授戒と言う。

  • 数珠

    数珠とは、仏教式の葬式や法事、お墓参りのときに使う道具のひとつ。念珠とも呼ばれる。仏を礼拝したり経を唱えたり、故人を供養するときに左手にかけ、右手を添えるようにして合掌したりして使う。また、数珠を所有して仏に手を合わせることで、煩悩が消えて功徳を得られるとされる。数珠は珠をつないで輪っか状にして房を付けるのが一般的で、珠の素材には木や石を採用。正式な珠の数は108個とされ、宗派によって形が微妙に異なる。また、珠の数を18〜43個くらいに減らした略式の数珠もよく使われるが、こちらは珠の種類や房の形にかかわらず、どの宗派でも使える。珠の大きさは性別があり、男性は大きい珠、女性は小さい珠の数珠を使うのが作法である。

  • 巡礼

    巡礼とは、宗教において聖地とされる場所や、神仏の霊験のある場所を参拝してまわること。キリスト教徒のパレスチナ巡礼やイスラム教徒のメッカ巡礼のようにひとつの場所を目指す物や、複数の場所を巡る物などがある。いずれも主たる目的はその地で礼拝をすることだ。日本では平安時代末期に、後白河法皇が遠く三重県の熊野三山を訪ねたことをはじめ、以降も浄土信仰をベースに極楽浄土を願う巡礼が人々の間で頻繁に行なわれてきた。弘法大師空海信仰に基づいた88の寺院を巡る四国八十八カ所霊場や、33カ所の観音菩薩を参拝することで現世で犯した罪業が消えて極楽へ行けるとする西国三十三観音巡礼なども有名。

  • 常花

    常花とは、仏教において使われる供養具のひとつで、寺院の須弥壇や家庭の仏壇に安置される本尊や、位牌の前に供えられる。「枯れない」、「常に咲き続ける」と言った意味が込められた名前の通り、生花ではなく金属や紙、布、木、プラスチックと言った素材に金メッキをあしらった造花のことを指す。色は宗派によって赤や青などカラーが付いた物でも良いとされる。モチーフは仏教の世界で最上の花に位置づけられるハスで、茎の本数は3本や5本などの奇数。仏壇などには生花も飾るが、常花を添えることで品格が上がるとされる。ただし、常花と生花のどちらを採用するかは宗派や地域によって異なるため、事前に菩提寺や地域の人に確認するのが望ましい。

  • 上座部仏教

    上座部仏教とは、仏教を大きく2つに分けたときの流派のひとつである。仏教の始祖であるゴーダマ・ブッタがこの世を去ったのち、500年程経ったころに興ったとされており、もう一方の流派である大乗仏教と仏教を2分するものになった。上座部仏教は出家をした僧侶たちによって行なわれた物で、厳しい修行によって悟りを開くことによって僧侶自身が救われるとする考え方である。小乗仏教とも呼ばれる。日本ではあまり信仰されていないが、タイやミャンマー、スリランカなどでは主要な仏教の流派となっている。一方の大乗仏教の大乗は「人々を救う大きな乗り物」を意味し、出家した僧侶も在家の信者もどんな人も信仰があれば救われると説くもので、日本ではこちらが定着している。

  • 浄土式庭園

    浄土式庭園とは、日本で古くに発達した庭園様式のひとつ。仏教の浄土思想の影響を受けて、平安時代以降に発達した。極楽浄土の世界を平面のなかに表現する物で、金堂や仏堂など建築物の前に池が広がる池泉回遊式庭園がある。平安時代の高位貴族の住まいである寝殿造においても採用された。中心的な建物である寝殿と、その左右に付属の施設である対屋(たいのや)を置いて渡廊(わたりろう)でつなぎ、さらに対屋から南の方向へ渡廊を伸ばして釣殿(つりどの)を設け、寝殿の南面に池のある広い庭を造った。この寝殿造庭園が浄土式庭園のもとになったと考えられている。浄土式庭園の代表的な物には、京都府の平等院鳳凰堂や浄瑠璃寺、岩手県の毛越寺などがある。

  • 叙階

    叙階とは、キリスト教において聖職者を任命すること。カトリック教会における秘跡(ひせき)のひとつで、叙品とも呼ばれる。秘跡とはキリスト教において神への信仰を高めるために行なわれる儀式であり、叙階の他に聖体、洗礼、堅信、婚姻、告解、終油がある。叙階は品級を授けることを意味し、上級3段である司祭・助祭・副助祭、下級4段である侍祭・祓魔師・読師・守門と言った役職がこれによって与えられます。品級を授けるのは司教であり、授けられる人の頭の上に司教が手を置き、聖霊の力が与えられるように祈る「按手」(あんしゅ)と言う方法によって行なうのが一般的。正教会では同様の物を神品機密(叙聖)、プロテスタント教会では按手礼と呼ぶ。

  • 神宮

    神宮とは、神道にまつわる施設の一種で、神社と同様の存在でありながら、社号を神社ではなく「神宮」と採用しているのが特徴。720年(養老4年)に完成した現存する日本最古の正史である「日本書紀」では、神宮の社号が使われていたのは伊勢神宮と石上神宮の他、現代の出雲大社を指す出雲大神宮のみである。そののちの927年(延長5年)にまとめられた全国の神社一覧「延喜式神名帳」(えんぎしきじんみょうちょう)では、伊勢神宮の内宮である大神宮などが神宮と表現されていた。明治時代以降には、皇室と深いかかわりがある神社や天皇を神として祀る神社の一部が、社号を神宮に改めました。第二次世界大戦終戦までは、神宮と称するには勅許が必要であった。

  • 水神

    水神とは、水を司る神のことを意味する。日本には土着の精霊や自然を信仰するアミニズムのもと、古くから神道が根付いており、川や湖、池、泉、井戸の中にも神が住むと考えられてきた。弥生時代から稲作文化が発達してきたこともあり、灌漑用水や雨乞い、堰の守護、水難防止などについても崇拝されるのが水神である。こうした水の力を神の力と関連付け、水神への畏怖と親しみを込めて供物を捧げたり祈ったりしてきた歴史がある。東京都には水神社と言う神社には、水神が八幡宮社司の夢枕に立ち、「我水伯(水神)なり、我をこの地にまつらば堰の守護神となり、村民をはじめ江戸町ことごとく安泰なり」と告げたために、その場に水神が祀られたと言う言い伝えが残る。

  • スカプラリオ

    スカプラリオとは、キリスト教の信者が着用することがある衣装のひとつ。肩からぶら下げる形式の衣装であり、修道士・修道女用のスカプラリオと、信仰者用のスカプラリオでは形式がガラリと異なる。修道士・修道女用は、肩からうしろへ吊される布状の物で膝や足先あたりまで届く物もある。中世の修道士がエプロンとして使った布に由来し、今では多くの修道会で修道服として定着している。これに比べて信仰者用のスカプラリオは小さく、ミニカード程度のサイズの物に紐を通して身に付ける。表面にはイメージ画や聖句などがデザインされており、いずれのスカプラリオもそれを使う人に対してキリスト教信者として誓約や、人生の歩み方を思い出させるような役割を果たす。

  • 救い

    救いとは、危険な状況や苦しい境遇から抜け出すことであるが、キリスト教においてはより根源的な救いを意味する。すなわち、「罪」や、その罪による「罰」から助け出されることである。この場合の罪とは神に背を向けてその言葉に逆らうことであり、それにより神の怒りを買う。また、「罪の罰」も同様に深い意味を持ち、罪を犯したことにより神の裁きを受けると言う本能的な恐れ、永遠の裁き、あるいは死のことを指す。聖書によると、人間は生まれながらにして罪深い存在であるが、その人間が「義」と認められることが「救い」である。イエス・キリストは罪人である人間のために十字架にかけられて血を流して死んだが、これによって人間は神の怒りから救われた、とされている。さらに、救いを受けるためにはキリストが救い主であると信仰することが必要であると説かれる。

  • ステンドグラス

    ステンドグラスとは、カットされた色板ガラスを鉛の桟と組み合わせる作品のこと。桟は断面がH型をしていて、そのなかにガラスのピースをはめ込むようにして作る。ガラスは青や緑、赤、黄色など様々な色があり、光を透過させることで鮮やかに輝き、桟は黒色の絵のように浮き出ることで美しく幻想的な空間を演出できる。13世紀にゴシック様式の教会建築が盛んになり、大きく取れるようなった壁面にステンドグラスが活用されたことで、キリスト教の教会建築を象徴する物のひとつとなった。また、教会にはイエス・キリストや聖人の顔を表現したステンドグラスもあり、こちらはグリザイユと言う顔料で絵を描き、窯で焼成してガラスに定着させた物である。

  • 住吉踊り

    住吉踊りとは、大阪府の住吉大社の年中行事のひとつである御田植神事(おたうえしんじ)のときに奉納される田楽舞のことである。その由来は古く、第14代の天皇である神功皇后(じんぐうこうごう)が新羅へ遠征して勝利を収めたとき、祝福歓迎のために踊ったことが始まりと伝わっている。御田植神事は稲作を始める時期に田んぼの神様を祭る神聖な行事で各地の神社で行なわれるが、住吉大社の御田植神事は重要無形民俗文化財に指定されており、伝統的な儀式を受け継ぐ物。住吉踊りはその神事のなかでも最後を飾る。白木綿の衣装に身を包んだ少女が、鈴の音が美しい団扇を手に持ち、大きな傘を中心にして飛んだり跳ねたりする。御田植神事の他、正月三が日や住吉祭、観月祭でも住吉踊りを見ることができる。

  • 住吉造

    住吉造とは、屋根は本を伏せたような形の三角屋根を持つ切妻造(きりつまづくり)で、そのてっぺんである棟に対して垂直な壁に入口がある「妻入り」が基本の神社に用いられる建築様式のひとつ。古くからある様式で、住吉大社がその代表格として知られる。出雲大社本殿の造りである大社造から派生した。茅葺や?葺、檜皮葺など屋根表面の仕上げは様々。破風は反りがなく、全体的に直線的なデザインとなっている。間口は2間、奥行は4間の長方形で、なかは内陣と外陣がちょうど半分のスペースで区切られ、回縁や御心柱はない。屋根上には建物の強度や風格を上げる役割がある堅魚木(かつおぎ)と千木(ちぎ)を配置する。

  • 厨子

    厨子とは、仏具の一種である。棚の形状をしていて、仏像や仏舎利、教典、遺骨を入れた舎利用意などをなかに収納できるよう作られている。中央から左右に分かれて開く観音開きの扉が正面にある物で、仏壇よりも小さい。大きな仏壇が置けない住宅などでは、小型の仏壇として厨子が使われることもある。木製の棚を漆塗りで仕上げた厨子他、プラスチック製の厨子なども登場している。扉は手で開けるのが基本だが、電動で開閉できる物も開発された。厨子の歴史は古く、平安時代には貴族たちが調度品を置く棚として使い、段数を増やすなどの改良を加えたりしていた。今も工芸品として残されている法隆寺の玉虫厨子や、正倉院の赤漆文欟木御厨子が特に有名である。

  • 聖歌隊

    聖歌隊とは、賛美歌や聖歌、賛美曲を歌い、キリスト教の神の愛や栄光を称える歌手の団体のこと。カトリック教会では「スコラ・カントルム」と称される。キリスト教系の各種学校や教会、修道院、礼拝堂などのひとつの組織として存在するのが一般的。古くは聖職者によって4世紀ごろからローマで結成されていたが、ルネサンス以降は子どもを含む合唱団が主流となった。キリスト教の信者であるかどうかは組織によるが、教会に属する聖歌隊であればその教会の教会員であることが多い。教会で行なわれる礼拝やミサ、イースターやクリスマスと言った年間行事、結婚式、昇天式などで歌を披露する。ドイツのライプツィヒ聖トーマス教会聖歌隊、フランスのソレム修道院聖歌隊など、世界的に知られる聖歌隊もいる。

  • 正教会

    正教会とは、キリスト教の教派のひとつで、ギリシャ正教、東方正教会とも呼ばれる。グルジア正教会や日本正教会、ブルガリア正教会、ルーマニア正教会、ロシア正教会などがこれに含まれる。「正しい讃美」や「正しい教え」と言った意味を持つギリシャ語名を和訳して、日本では「正教」の名が付けられています。正教会の基本方針は、イエス・キリストの直弟子である12人の使徒の信仰と、そこから始まった教会の在り方を継承することで、1世紀の初代教会から歴史を刻む教派であると自認している。正教会は信仰の基盤を神の啓示としており、それに基づく信仰と教えを「聖伝」と呼び、聖書は聖伝の中核と言う位置付け。正教会は各国に広がっており、日本にも組織がある。

  • 聖公会

    聖公会とは、キリスト教の教派のひとつである。イングランド国教会から生まれ、世界各地へ広まった。日本へは1859年(安政6年)に宣教師が来日し、布教の基礎を作りました。日本語の聖公会と言う名称は「聖なる公同の教会」を意味するholy catholic churchを和訳した物。各地に多数ある管区や自治区で教義は共有しているが、自治権はそれぞれにある。キリスト教の最大教会と言われるカトリック教会とプロテスタントの中間的な位置にある教派であることを自認する。その教義は「ランベス四綱領」と言う物を守ることであり、旧約・新約の聖書を教典とすること、ニケヤ信経や使徒信経に示された信仰の道を公認することなどが重視されている。

  • 聖餐

    聖餐とは、キリスト教における「最後の晩餐」になぞらえた意味において、パンとぶどう酒を口にすること。最後の晩餐は、イエス・キリストが十字架にかけられて亡くなる前日、弟子たちと一緒にした食事である。聖書によると、パンはキリスト自身の体、ぶどう酒を大勢の人のために流す自身の血と述べ、記念としてそれを食すよう弟子に命じたと言われている。のちに聖餐を儀式化した物が聖餐式であり、月に1回のペースで開催する教会があるなど、各地の教会で開催されています。この聖餐にあずかることの意義は教派によって異なるが、キリスト教の大事な典礼となっており、カトリック教会では聖餐のことを「聖体拝領」、「聖体の秘跡」と呼び、繰り返し行なうべき重要な物と位置付けている。

  • 聖餐式

    聖餐式とは、イエス・キリストが十字架にかけられる前日に、弟子たちと一緒にした最後の食事、いわゆる「最後の晩餐」に由来する儀式のこと。聖書のなかでキリストはパンを自身の体、ぶどう酒をたくさんの人々のために流す自身の血であると述べ、記念としてそれを食すよう命じたことが書かれており、これに基づいて聖餐式ではパンとぶどう酒を分け合って食す。聖餐式の目的や方法は教派によって異なり、一例には、キリストを記念し、キリストが自分たちの罪のために死んでくれたことを宣言する意味が込められている。また、聖書に予言されているキリストの「再臨」を信じる証にすると言う目的もある。聖餐式に参加するには、それをするにふさわしいかどうか、自己吟味をすることが求められます。

  • 聖書

    聖書とは、キリスト教やユダヤ教、イスラム教の教典のこと。ユダヤ教の教典は「律法」・「預言」・「諸書」の3部からなり、キリスト教の聖書はここから抜粋して整えた「旧約聖書」と、のちに福音書や使徒書簡などをまとめた「新約聖書」がある。旧約聖書の名称は、キリスト教徒が新約聖書に対して使う名称であるため、ユダヤ教では同様の書のことであっても「旧約聖書」とは呼びません。ユダヤ教の教典と旧約聖書では順序が異なる物の、創世神話をはじめ、ヘブライ人の指導者であるモーセと神とのエピソードや十戒、イエス・キリストの出現の預言、イスラエル民族の歴史と神とのかかわりなどが記されている。また、イスラム教では旧約聖書と新約聖書、さらに「コーラン」が教典である。

  • 聖水

    聖水とは、キリスト教において聖なる水とされ、主に儀式に用いられる物を指す。聖水の作り方や扱い方は教派によって異なり、キリスト教の最大教派のひとつであるカトリック教会では、司教・司祭による「聖別」と言う祓いのような儀式を経て、通常の水ではない特別な聖水となります。こうしてできた聖水は洗礼や他の秘跡に用いられたり、教会堂の入口などに置く聖水盤に入れておき、信者が教会へ入るときに聖水に指を浸すことにも使われる。正教会では聖別と同様の意味の「成聖」と言う儀式を主教か司祭が行なうことで聖水となる。成聖は神現祭のときの大聖水式で主に実施されるが、教会に備蓄している聖水が足りなくなってきたらそのつど、小聖水式を行なう。

  • 聖体

    聖体とは、キリスト教の一部の教派において用いられる言葉で、カトリック教会や正教会、東方諸教会などで、ミサや特定の儀式のときに食するパンのこと。パンをイエス・キリストの体に見立てている。これはキリストが十字架にかけられて亡くなる前日、弟子たちと一緒にした食事「最後の晩餐」がもとになっています。聖書によると、キリストはこのとき、パンを自身の体、ぶどう酒を大勢の人のために流す自身の血と述べ、記念としてそれを食すよう弟子に命じたと言われている。聖体として用意されるパンは教派によって異なり、「ホスチア」とも呼ばれる薄形の無発酵パンであるなど、イーストを用いた発酵パンなど様々。カトリック教会ではパンとぶどう酒の両方を聖体と呼ぶこともある。

  • 聖母子像

    聖母子像とは、キリスト教で崇拝される対象であるイエス・キリストと、その母親であるマリアが共に過ごす姿をモチーフとした像のことで、キリスト教のなかでも西方教会の図像のことを指す。母子の姿の他、洗礼者である聖ヨハネが題材に盛り込まれることも。養父ヨセフが一緒に含まれる物は「聖家族像」、マリアが磔刑されたキリストを抱いて悲しんでいる物は「ピエタ」と呼ばれる。聖母子像のなかでも有名なのは、フランス・パリのルーヴル美術館に所蔵されているラファエロ・サンツィオ作の絵画「聖母子と幼児聖ヨハネ」で、この絵では幼児のキリストと聖母マリア、幼い聖ヨハネが描かれています。また、ベルギー・ブルージュの聖母教会には偉大な彫刻家、ミケランジェロによる大理石造りの「聖母子像」がある。

  • 精霊

    精霊とは、幅広い意味を持つ言葉であり、一般的には山や川、土地、草木などに宿っていると考えられる超自然的な魂のことを指す。精気と同義であり、万物の根源をなす気のこと。人間や動物など生き物に精霊が宿ることもある。生き物の肉体から解放されて、自由に動くことができる霊のことも意味します。日本に古くからあったアミニズムと言う思想では、それぞれの土地に長く住み着く精霊がいると考えられてきた。土着の精霊や自然に親しみを持って信仰することが、日本の神道の起源である。精霊はひとつではなくあらゆる物に宿ることが、神道の「八百万(やおよろず)の神様」と言う概念の形成につながったと考えられる。

  • 聖霊

    聖霊とは、キリスト教に関する用語のひとつで、キリスト教で重視される教義「三位一体」(さんみいったい)で、「父」と「子」と「聖霊」として重要な3つの位格に含まれる物。三位一体では、父は神、子はそこから生まれ出たイエス・キリスト、聖霊は父や子から出た者や、子を通して信者に注がれた霊などを意味します。日本正教会では聖神(精神)と呼ぶ。聖霊はキリスト教信者の心のなかに住んでいる神とも捉えることができ、キリストがこの世から去るとき、自分の代わりに人々を助ける主として派遣したのが聖霊であるとも考えられている。ただし、三位一体や聖霊については様々な論争がなされてきており、教派によっても解釈が異なるのが実情である。

  • 説教

    説教とは、一般的に先生や親、上司などが下の立場の者に対してする教訓的な話のことで、宗教においては、教義や教典を信者、あるいはそうでない人々に説くことを言う。話された内容自体を説教と言う場合もあります。キリスト教では礼拝などにおいて、牧師たちが主題に基づいて聖書の正しい解釈をすることである。新約聖書のなかに記載されている、イエス・キリストが山の上で弟子たちに行なった説教「山上の垂訓」(さんじょうのすいくん)が特に有名で、ここには「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」と言う一節などが含まれている。また、仏教においても説教は6世紀の仏教伝来から行なわれきた歴史がある。

  • 節分祭

    節分祭とは、一般的には2月3日に煎り大豆を撒いて食べる厄除けを行なう季節行事のこと。しかし節分とは本来、季節の始まりの前日を意味し、立春・立夏・立秋・立冬と1年に4回ある。日本では季節の変わり目には邪鬼が生じると言う考え方があったため、悪霊祓いの行事が行なわれてきた。古くは宮中行事のひとつであり、「延喜式」では、大内裏の各門に色を塗った土で作った牛と童子の人形を飾る儀式などが実施された。各地で立春の前日あたりに神社で節分祭、寺院では節分会(せちぶんえ)が開催されるがその内容は寺社や地域によって異なり、神奈川県の箱根神社では、化粧をした少女の巫女が水上スキーの鬼に向けて豆を撒いたり、滋賀県の日吉大社では破魔矢を射る。

  • 摂末社

    摂末社とは、ある場所に所在する神社が複数の社からなるとき、本社とは別にある規模の小さい神社のこと。本社と同じ者に管理されていることが前提で、境内にあるか、その近くの境外に建つ場合もあります。摂社と末社があり、神社の祭神と縁故の深い神を祀っている物が摂社(せっしゃ)、それ以外の小規模の神社を末社(まっしゃ)とする傾向がある。かつて明治時代から戦前まであった近代社格制度では、官国幣社の摂社は本社の祭神の后神・御子神・荒神・地主神、本社の祭神と系譜的に連なる神のいずれかが祀られるか、特別の由諸がある神社に限られ、それ以外は末社とされた。

  • 遷宮

    遷宮とは、神社の本殿を造営・新築、あるいは修理するときにご神体を移すことを意味する。一般的には三重県の伊勢神宮の式年遷宮を指し、その他の神社が同様のことを実施するときには「遷座」(せんざ)と言う言葉が用いられることが多い。伊勢神宮の式年遷宮は20年に一度のペースで、東と西に並ぶ宮地(みやどころ)を改めることで、古代から続く通例にしたがって内宮・外宮の正宮をはじめ、14の別宮、宇治橋も造り替えられ、神の衣服や装飾品である御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)などすべてが新しく整えられる。約1300年前に天武天皇が考え、690年(持統天皇4年)に最初の遷宮が開催されてから続く祭りである。式年遷宮を行なう理由は書物としては記載がないが、建築技術の継承のためであるなどと推測されてきた。

  • 千手観音

    千手観音とは、仏像で表現される観音菩薩の一種である。菩薩とは、仏になることを目指して成仏を求めて修行を積む人を表わすものであり、手で形を作る「印」を結ばず、何か物を持って立つ姿が基本である。この観音菩薩が変化した姿である千手観音は、千の手を持つ姿を表現した物で、それぞれの手のひらに目があるとされている。造形としては42の手がある像が多く、合掌をしている2本を除いた40の手が各25の世界を守護していると言う考えから、千手とされる。1000の手は同時にいろいろな動きができ、1000の目はすべての物事を見通すことができる。なかには奈良県の唐招提寺にある千手観音像のように、実際に1000本の手が造られていた像もある。頭上には11の面を載せていることから、十一面千手千眼観音と言う名称も使われる。

  • 洗足式

    洗足式とは、キリスト教の儀式のひとつで、司祭などが教徒たちの足を洗う儀式。イエス・キリストが十字架にかけられる前日に12人の弟子たちと取った食事は「最後の晩餐」と言うのは有名な話。このときキリストが弟子たちの足を洗ったことが聖書で記されている。キリストは「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない」と述べたとされ、キリストが愛とへりくだりを弟子に示したとも解釈される。このことをもとに洗足式と言う儀式が始められた。洗足式は「聖木曜日」(せいもくようび)に行なわれるのが一般的。聖木曜日とは、キリストが死後に復活したことを祝う記念日である復活祭の前の木曜日を意味する。

  • 洗礼

    洗礼とは、キリスト教において教徒となるために行なう儀式。体を水のなかに浸す、あるいは頭に水を注ぐ、手で頭に水滴を付けると言った行為によって罪を洗い清めること。そして水のなかから引き上げられることは神の子として生まれ変わる、罪から救われると言った意味が込められている。また、洗礼を受けたことによって、それにふさわしい生き方をすることが義務付けられると言う解釈も。教派によっては「浸礼」(しんれい)や「バプテスマ」とも称される。同じキリスト教であっても、異なる教派の教会で洗礼を受けた場合、それを認めるかどうかは教会によって対応が違う。洗礼を受けるときには教派によっては洗礼名(クリスチャン・ネーム)が付けられる。

  • 前世

    前世とは、仏教用語では三世のひとつに数えられる世。過去世、前の世、先の世とも言う。三世とは前世の他に「現在世」と「未来世」からなる考え方で、これによると、現在のこの世に生まれて来る以前のすべての過去が「前世」である。現世で死ぬと次には未来世があり、未来世から見ると現世は前世となる。また、仏教における因果と言う考え方では、善行が善い果報となって現れる善因善果、悪い行ないが悪い報いを呼ぶ悪因悪果、善行がそののちの楽につながる善因楽果、悪行が苦を生む悪因苦果の4つの法則があるが、これらは生涯のうちに果が出ないこともある。前世での行ないが現在世、未来世で果となって訪れ、それが永遠に繰り返されると説かれている。

  • 僧院

    僧院とは、仏教において出家した僧侶たちが共同で暮らす施設のことである。キリスト教における修道院のような存在。仏堂と同様の語として用いられるが、厳密には仏堂は仏像を安置する場所と言う意味である。僧院と似たような言葉に僧房(そうぼう)があるが、こちらは寺院建築群に含まれるひとつのお堂であり、僧侶や尼僧のみが利用できる宿泊用の施設のことである。僧院はこの僧坊を含めた建物群のことを指す。僧院では年間行事や法要など様々な儀式が行なわれる他、修業僧たちが聖典を学んだり、信仰にまつわる品を製作したり、食事の用意や掃除をしたりと集団生活を営んでいる。宗派や僧院によって定められた規則があり、それにしたがって規則正しく1日を過ごすのが基本である。

  • 僧坊

    僧坊とは、神社や仏教の寺院などにある宿坊の一種。僧侶や尼僧のみが利用できる宿泊用の施設のことである。南都仏教では金堂など主要な建物と共に、僧坊が七堂伽藍(がらん)のひとつに含まれる。禅宗では同様の建物を僧堂と言う。かつて大きな寺院では僧侶が暮らすための広々とした大房と、中庭を挟んでその対面には僧侶の従者が住むための小子房(しょうしぼう)を建てることが多く、複数の僧侶が共同生活を送る場であった。しかし、天台宗や真言宗などでは大きな僧坊を好まず、私僧坊として子院を建てる宗派も出てきたことから、次第に僧坊は減っていった。国内で有名な僧坊は、日本では大阪府の野中寺(やちゅうじ)と神鳳寺(しんほうじ)、京都府の西明寺(さいみょうじ)。

  • 束帯

    束帯とは、神職が儀礼のときに着る服装であり、平安時代以降に天皇以下の公家が着用した衣服の一種。飛鳥時代からの官服である朝服(ちょうふく)をもとに考案され、宮中での勤務に使われる正装として定着した。上衣の袍(ほう)の色は位階を表わす。つくりについても文官用の袍は窮屈になっていたため、のちに儀式のときなどに着られるようになった歴史がある。一方で、位が比較的低い武官が着る物として上衣の袍(ほう)のサイドを縫い合わせない動きやすい衣装も存在した。束帯は複雑な組み合わせになっていて、まず下着、続いてズボン状になった紅色の大口袴(はかま)と表袴をはき、上には単(ひとえ)を着て表袴の紐を結ぶ。さらに衵(あこめ)、下襲(したがさね)、裾(きょ)を付け、上に袍を着て石帯(せきたい)と言う石飾り付きの革ベルトで腰を留める。懐に檜扇(ひおうぎ)と帖紙(たとう)を入れ、右手に笏(しゃく)を持つのが主な構成である。

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