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神社・寺・教会用語集(た行)



神社や寺、教会を検索できる「旅探」が、神社・寺・教会に関する用語(た行)をご紹介します。建物から行事のことまで、神社や寺、教会のことがよくわかる用語集をご活用下さい!

大社

大社とは、神道において神を祭る施設名称に用いられる言葉。神社と同様の存在でありながら、社号に「大社」と言う語が付く施設の名称の一部だ。全国に多くの同名の神社があり、そのなかで宗社にあたる神社が大社と呼ばれる。社格が官幣大社・国幣大社であることが基本。神社と大社の呼称の違いは、格の上下と言うより由緒によると考えられる。かつて平安時代に制定された「官国弊社」と言う神社制度では、大社と称されたのは出雲大社のみ。第二次世界大戦以降は、国や都道府県から幣帛料を支給される神社を中心に、社格の大きい神社などで大社を称するところが増えた。代表的な例としては住吉大社や春日大社、諏訪大社、三嶋大社、松尾大社、気多大社などがある。

大社造

大社造とは、神社建築の様式を表わす用語のひとつ。神道の社殿は本を伏せたような形の三角屋根を持つ切妻造(きりつまづくり)が基本であり、この切妻造を大きく2分すると大社造と神明造(しんめいづくり)と言う2つの様式がある。この2つの区分は入口の位置を見ると分かりやすい。大社造は屋根のてっぺんである棟に対して垂直な壁に入口があるのに対し、もう一方の神明造は棟に対して水平に建つ壁に入口がある。大社造は正方形に近い形に仕上げられるのが特徴。屋根上には堅魚木と千木を用いる。大社造は古代の宮殿をもとに考案された建築様式で、その代表格は出雲大社の本殿である。大社造から大阪府の住吉大社本殿などの住吉造(すみよしづくり)、奈良県の春日大社本殿に見られる春日造(かすがづくり)と言った建築様式が派生した。

多重塔

多重塔とは、寺院の敷地内に設けられることがある建物のひとつ。3段の屋根を持つ三重塔や、5段の屋根を持つ五重塔などのように、四方形や円形などの屋根を持つ建物を複数の層にして重ねた造りになっている。そもそも仏教において塔はストゥーパと呼ばれ、始祖である釈尊の遺骨を奉安するために生み出された建造物であった。そのため、伽藍のなかでも重要な建物に位置付けられる。日本では中国の楼閣に由来するとされる多重塔が寺院において多く造られてきた。塔のてっぺんには銅や鉄製の小塔である相輪(そうりん)が付けられるのが一般的。有名な多重塔は6〜7世紀に建てられた奈良県法隆寺の五重塔であり、これは現存する木造の塔としては日本最古。高さ約31.5mの塔のなかには塑像群などが安置されている。

塔頭

塔頭とは、いくつかの建物が並んで群れをなす、大きな寺院の敷地内にある独立寺院のこと。塔中と言う漢字もあてられる。本来は禅宗の寺院のなかに設けられた高僧の墓のことを意味していて、弟子たちがその周りに小さな庵を建てて守っていた。こうした小さな庵がときを経て増えていき、それぞれが寺として独立する流れとなり、転じて塔頭と言う言葉が使われるようになったのだ。塔頭と言う名称は、塔のなかで最も上位にあることや、あるいは塔のほとりに建つことに由来すると考えられる。塔頭が存在する寺院としては京都府の妙心寺が知られる。妙心寺には枯山水の庭を持つ龍安寺をはじめ40以上の塔頭があり、その一部は一般公開で見学することができる。

多宝塔

多宝塔は、寺院に関する建築物で、仏塔の一種。大乗仏教の経典のひとつである法華経に登場する物だ。仏教の始祖である釈迦が霊鷲山で法華経を説いているときに塔が湧き出て、なかにいた多宝如来と言う仏が釈迦を讃嘆し、共に並んで座ったとされる一節に由来する。そのため、多宝塔のなかには釈迦と多宝如来の2仏が祀られる。構造としては裳階(もこし)と呼ばれる屋根が二重になった建築様式であるのが一般的だ。下の層は四角形の角柱空間と屋根、上の層は円柱の空間と四角形の屋根。塔のてっぺんには相輪(そうりん)と呼ばれる銅や鉄製の小塔が付けられる。国宝にも指定されている有名な多宝塔には、滋賀県の石山寺や和歌山県の根来寺などがある。

玉串

玉串とは、神道の祭祀などの際に用いられる道具のひとつである。特殊な裁ち方をされた紙垂(しで)などを付けて、神聖な意味をもたせた榊の枝。榊の他に杉や樫などの木材を使うこともあり、米や酒、魚、野菜などと同様に神前に供え物として置かれる。玉串にはそれを通して、祈願をする人が自身の真の心を神に捧げるとも言う。儀式のなかで神に奉げるように神職から玉串を渡されたときには作法があり、まず根本のほうを右手で持ち、葉先を左手で支えて受け取る。玉串を奉げる祭壇のほうへ進み、根元が自分の体の正面に来るよう右手を手前に引いて向きを変え、左手も根元に添えて祈念。そのあと、右手で葉先を持って時計周りに半回転させ、根元が神前に向かうようにして祭壇に供える。

鎮魂

鎮魂とは、一般的には霊魂を鎮めること、死者を弔うことを意味する用語。神道においては修行方法のひとつ。自らに活力を与えて神の気を招くことで自身の霊魂を充実させ、もともと備えているはずの霊性や霊能を蘇らせたり、悪い影響を及ぼす霊魂を払いのけたりすると言った意味を持つ。神道でも重要とされる祓いの本義を、静かに行なうこととも考えられる。この意味で天皇の鎮魂を行なう鎮魂祭が、宮中行事としても新嘗祭の前日に行なわれている。鎮魂には流派があり、全国約8万の神社を包括する機関である神社本庁では、「石上鎮魂法」を公式な鎮魂法として採用。饒速日命(にぎはやひのみこと)によって伝えられたとされる奈良県の石上神宮で実践されている。

魂振り

魂振りとは、神道における呪術のひとつ。あるいはその呪術を行なうことを指す。鎮魂(たましずめ)と同様に、霊魂に活力を与えるために行なわれる。神の気を招くことで自身の霊魂を充実させ、本来の霊性や霊能を蘇らせるべく、人の体から遊離しようとする魂を体内にしっかりと鎮めるのが鎮魂。一方、魂振りは外から霊魂を揺さぶることによって活動力を強くする物である。宮中行事の鎮魂祭(ちんこんさい、みたまふりのまつり)は天皇の霊魂に対して鎮魂と魂振りを行なう儀式。「日本書紀」などの記述では「招魂(たまふり)」と言う字があてられていた。身近な例では、神輿(みこし)を激しく揺さぶることや、神社の拝殿で手を打つことなども魂振りの一種と考えられる。

賜物

賜物とは、人が天や神から与えられている物のこと。キリスト教においては、神からすべての人へ平等に与えられる福音のことを意味することもある。具体的には才能や特技など。この場合は、自分の目的を果たしたり欲望を満たしたりためではなく、神に望まれることをするために使うことができる物を指す。与えられた物をどれだけ生かしたり、神のために奉げたりすることができるか、と言う点がキリスト教では重要だ。聖書では、知恵・知識、信仰、癒し、予言など9つの聖霊の賜物について記述がある。神から与えられる能力や個性は人によって違うが、これは神が人を差別していると言うよりも、人をそれぞれに尊く用いようとしていると解釈される。

他力

他力とは、一般的には他人や自分ではない者による助力を意味するが、本来は仏教に関する用語のひとつで、自身に備わっている能力のことを「自力(じりき)」と言うのに対して、仏や如来、菩薩などの働きを「他力」と呼ぶ。特に浄土真宗を開いた親鸞の「教行信証」には「他力というは、如来の本願力なり」と言う記述があり、「他力をたのむ」ことは浄土真宗では重要な思想とされている。この場合、如来とは阿弥陀仏のことを指しており、「他力をたのむ」とは「阿弥陀仏の本願をよりどころ」とすると言う意味を含む。また、どの宗派においても仏教は縁起を根本とする考えがあるため、自分自身のなすことはすべて、「他力」とも解釈される。

他力本願

他力本願とは、一般的には自分で努力することをせずに、自分ではない者の助力を期待する、と言う意味で用いられる四文字熟語である。しかし本来は仏教用語であり、自分自身の修業の功徳によってではなく、阿弥陀仏の本願により救済される、とする願いのこと。仏教のなかでも浄土真宗を開いた親鸞の「教行信証」に「他力というは、如来の本願力なり」と言う記述があり、浄土真宗では「他力」を阿弥陀仏の本願としている。阿弥陀仏の本願とは、命ある者はみんな悟りに導こうとする十八の誓願のことであり、本当に願っていることと言う意味。したがって他力(阿弥陀如来の本願)を信じれば、自分に備わった修行の力にかかわらず、どんな人でも極楽浄土へ往生できると説く教えがもともとの「他力本願」の意味である。

旦過詰

旦過詰とは、仏教のなかでも禅宗に関する用語のひとつ。禅宗では修行僧は特定に道場を訪れて入門を志願するが、このときすぐに玄関からなかへ入れてもらうことはできず、玄関の上がり口で頭を低くして入門を請い続ける過程が必要になる。これを庭詰と言い、通常は3日間程朝から晩まで続く。庭詰は旦過詰の前段階となる修業である。庭詰を終えるとなかに上がることが許されるが、このあとでさらに5〜7日間程は壁に面してひたすら座禅を組む。旦過詰の期間中は寝泊りするときには僧堂には入れず、諸国を行脚する修行僧たちが夕刻から翌朝まで宿泊するための仮宿である「旦過寮」と言う施設で宿泊をする。こうした旦過詰を乗り越えることはその後の修業生活を乗り切る精神力を養うと考えられている。

大黒天

大黒天とは、日本で古くから信仰される七福神の一神である。七福神は室町時代末期から成り立ち、民間信仰として今に伝わる神である。なかでも大黒天は厨房の神として親しまれている。仏教から生まれた神であり、かつて神仏習合の現象が起こったときに、日本神話に登場する大黒主命(おおくにぬしのみこと)と習合したのがその由来である。今ではその姿は、ふくよかな体をつきして打ち出の小槌(うちでのこづち)と大きな袋を持ち、頭には頭巾を被り、米俵の上に立つ物が一般的。しかし、天台宗の開祖である最澄が最初に中国から持ち帰ったとされる大黒天は、宝棒と袋を携える武神の様相であり、現代に伝わる姿は日本で和様化したと考えられている。

大嘗祭

大嘗祭とは、新しい天皇が即位したあとに初めて行なわれる新嘗祭のことである。「おおにえのまつり」とも読む。新嘗祭は神道に基づく祭祀のひとつで、五穀豊穣を祝い、神に感謝する祭のこと。飛鳥時代に始められたとされる宮中行事であり、稲の収穫が済んだころにあたる11月23日に実施される。通常は宮中近くの神嘉殿のなかで、天皇が五穀の新穀を天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめとするすべての神々に勧め、自身もそれを食してその年の収穫に感謝をする祭儀だ。大嘗祭の場合は天皇一世一代の行事であり、皇位継承にかかわる儀式のひとつとしての位置付けでもあり、古くから通常の新嘗祭とは区別されてきた。神事でも最大級とされるために盛大に執り行なわれる。

大乗仏教

大乗仏教とは、仏教を大きく2つに分けたときの流派のひとつ。「人々を救う大きな乗り物」を意味する大乗を称する通り、どんな人でも信仰があれば救われる、と説く流派である。仏教の始祖であるゴーダマ・ブッタの死後、500年程経ったときに興ったとされており、もう一方の流派である上座部仏教と仏教を2分する流派になった。上座部仏教は出家をした僧侶たちによって行なわれた流派で、厳しい修行によって悟りを開くことによって僧侶自身が救われるとする考え方である。小乗仏教とも呼ばれる。反対に、大乗仏教は出家した僧侶にも、そうではない在家の信者にも悟りの道が開かれているとする考えで、日本の仏教の成り立ちには、この大乗仏教が大きく影響している。

大日如来

大日如来とは、仏像で表現される如来のひとつ。如来とは、菩薩(ぼさつ)、明王(みょうおう)、天部(てんぶ)と共に仏像のモチーフにされ、仏の尊称のこと。このなかでも大日如来は法身物(ほっしんぶつ)、すなわち仏法の真理を体現化した如来で、大きな宇宙の生命を仏の形に表したとされている。密教の基本的な仏のひとつだ。その働きは、世の人々の煩悩や苦しみの闇を智恵の光で明るく照らし、それを取り除くと言う。仏像としては、頭髪を結い上げて宝冠を載せ、瓔珞(ようらく)や首飾り、臂釧(ひせん)と言った装飾品を着けた姿で知られる。用いられる曼荼羅には、深い慈悲を示す胎蔵界曼荼羅と、確かな知恵を示す金剛界曼荼羅の2種類がある。代表的な仏像は、和歌山県の高野山金剛峰寺にある胎蔵界大日如来座像など。

大仏

大仏とは、丈六(じょうろく)以上の大きな仏像のこと。普通の人の身長は8尺、仏教の始祖である釈迦はその2〜3倍にあたる1丈6尺であったとされ、この釈迦の身長を「丈六」と呼ぶ。丈六スケールの仏像は日本でも多く造られてきたが、なかにはそれより大きな仏像も存在した。古くは743年(天平15年)に聖武天皇が荒れた世の中を安寧にする願いを込めて「大仏造立の詔」を発したことが、日本における巨大な仏像造立の始まりともされる。これにより誕生したいわゆる「奈良の大仏」は高さ約15m。また、これと同様に有名な大仏には、13世紀ごろに造られた神奈川県鎌倉市高徳院の長谷の大仏があり、高さは13m以上ある。他にも国内には多数の大仏が存在する。

だるま

だるまとは、赤色の張子で作られる置物のこと。目の部分は黒目を入れずに白いままにしておき、何かの祈願をしてからそれが叶ったとき、黒目を書き入れるのが習わしだ。倒してもすぐに起き上がるように作られることなどから、特に商売繁盛や開運出世などの願掛けに人気。日本では宗教にかかわらず縁起物として広く親しまれているが、もともとは仏教の宗派のひとつである禅宗を開いた達磨大師の坐禅姿を模した物である。達磨大師は紀元前4世紀にインドの高貴な身分の人として生まれた人。置物のだるまには手足がないが、これは達磨大師が修行の際に洞窟の岩壁に向かって9年間もの長い間座禅を組み、手足が腐ってしまったとする伝説に由来すると言う説もある。

檀家

檀家とは、仏教の寺院に関する用語。ひとつの寺院に所属して、その寺を支援する家のことである。寺院が建つ周辺地域に住む家が多い。葬儀や祭礼、供養などの一切をその寺院に任せられる代わりに、「布施」を奉げる形で経済的な支援を行なうことが必要になる。これを檀家制度と呼ぶ。室町時代末期ごろから生まれ始めたが、江戸時代初期の宗門改めにより、地元の寺の檀家として登録することが人々に義務付けられた。現代では地方から都市へ転居する人が増えたことなどから、こうした檀家と檀家寺院との関係は弱まって檀家になるかならないかの自由度は高まっている。しかし、葬儀や法事などの仏事では、檀家制度での習わしが継承されている。

千木

千木とは、神社建築などに使われる装飾のひとつで、本殿の屋根の上に用いられる部材のことである。千木は細長く加工した木材を2本使い、入母屋造などの屋根の両端に筋交いにして設置される。太い丸太状の木材を屋根上に数本、間隔を空けて並べる堅魚木(かつおぎ)と一緒に配置されるのが通例。かつては階級の高い人の住宅にも見られたが、今では神社の社殿に使われるのみとなっている。本来は建物の強度を高めるための物であったと考えられているが、のちに神社の格や権威を象徴する物としての色合いも強めていった。堅魚木と同様に、その神社に祀られている神の性別によって形状を変える。例外はある物の、一般的には千木の先端が地面に対して垂直に削られている「外削ぎ」なら祭神は男性、地面に水平に削られている「内削ぎ」なら女性である。

稚児

稚児とは、乳児や児童のことである。また、仏教の寺院では雑用をこなす子どもが稚児と呼ばれ、古くは平安時代に公家が教育の一環として寺院に入門させた子弟のことをそう呼んだ。女人禁制の僧院では容姿の美しい男子の稚児が男色の対象となり、「秋の夜の長物語」など文学作品に描かれて注目を集めた歴史がある。寺院が何かの節目などに開催する稚児行列と言う行事があり、このときには男女の子どもが和装などに身を包んで歩き、親と共に健やかな成長を祈願する。また、神道の祭祀などにおいて、穢(けが)れがないことから男女の子どもが神霊の懸かる対象、あるいは神に仕える存在として、美しく化粧をして稚児となり、その役割を果たす。

池泉回遊式庭園

池泉回遊式庭園とは、日本庭園の様式のひとつである。江戸時代に発達した。園のなかをぐるりと歩いて散策しながら鑑賞する回遊式庭園のなかでも最もポピュラーな形式と言える。池泉回遊式庭園はほぼ中央に大きな池があり、庭園に水を取り入れているのが大きな特徴。池の周りに園路を巡らせ、池のなかには小さな島や橋、周辺には名石や築山などをあしらう物である。どこか他の場所にある景勝地をモチーフにするなど、自然の山水を表現する趣向が凝らされた。広い園内には休憩ができるように、あるいは庭園をゆっくり眺めて鑑賞できるように茶亭や東屋などが設置されるのが一般的。代表的な池泉回遊式庭園には、京都府の桂離宮、石川県の兼六園などがある。

千早

千早とは、神道における祭祀のときに巫女が身にまとう装束の一部である。神事を奉仕したり、舞や神楽を奉納したりする場合に着られるのが一般的。呉服に似た形状であり、その構成は2巾の布を用いて脇を縫わずに胸紐で前を合わせ、1巾の袖を肩袖の根もとだけを縫ってある衣装であるが、古代には白無地の1巾の絹を使って縦の切込みを入れた貫頭衣風の衣装であった。着用するときには、白い小袖である「白衣」(はくえ)と赤色をなす「緋袴」を着たうえに羽織る。祭祀の内容によっては、華やかな色や模様を施した千早を用いることもある。紋様は山藍を用いて鶴や亀、植物を表現する青摺(あおずり)をはじめ、朱色で桜や梅、その神社の神紋などが描かれることが多い。

手水鉢

手水鉢とは、神道や仏教の考えのもと、身の穢れ(けがれ)を清めるために用意される設備の名称である。手水(ちょうず)と呼ばれる手水が滝からちょろちょろと流れ出てきて、ある程度の量までそれを受けられるようにできている石造の水鉢のこと。水鉢の周りには足を乗せるための前石、そこへ続く飛び石などが配され、そうした一連の設備を含めて手水鉢と称する。簡略化した禊(みそぎ)場と言える物で、もともとは神社の拝殿へ参拝に行く前に立ち寄る手水舎(ちょうずや)と呼ばれる小さな施設のなかの一部であった。次第に日本庭園の造景のなかに取り入れられるようになったが、この背景には茶の湯の発展があったと考えられている。手水鉢には、しゃがんだ状態で手を洗うことになる蹲踞(つくばい)手水鉢、立ったままで使える立手水鉢などがある。

手水舎

手水舎とは、神社の敷地内にある施設のひとつ。拝殿へ参拝に行く前に身の穢れ(けがれ)を清めるため、手水(ちょうず)と呼ばれる洗い水が用意されている小さな施設である。簡単な禊(みそぎ)場のこと。通常、参道の途中で脇に配置されている。ここでは手水が滝からちょろちょろと流れ出ていているので、備え付けの柄杓(ひしゃく)ですくって手や口をすすぐのが作法。清め方には順序があり、まず手水舎に着いたら心を落ち着け、軽く礼をする。柄杓を右手で持って水を満杯に汲み、左手に流しかけて清めたら、左手に持ち替えて右手に水を流しかける。さらに右手に柄杓を持ち替えて水をすくい、左手に受けた水で口をすすぐ。次に柄杓を立てて柄に水を伝わらせて清め、もとの場所に戻す。最後に軽く礼をしてから立ち去る。

鎮座

鎮座とは、一定の場所に降り立ち、鎮まるように動かない状態にあること。基本的には、神道において特定の土地に神を祀ることを意味する。神道の神とはその地域の氏神であったり、神話の神であったり、源義経や徳川家康など故人であったりと様々。また、神社を創建するのと同様の意味でも鎮座が使われる。例えば、日本神話のなかで天照大神(あまてらすおおみかみ)は、安住する地を求めて各地を巡って神社を建てたが、最終的には伊勢神宮の土地に鎮座をした。これが伊勢神宮の創建と同じ意味を持つ。神の鎮座についてはより敬意を表する「御鎮座」と言う語が使われることも多い。こうした神道にまつわる「鎮座」から転じて、一般の人間や物などがひとつの場所にどっしり構えて動かずにいる状態のことを指して鎮座と言う場合もある。

鎮守の森

鎮守の森とは、神社の参道や拝殿などを取り囲むようにしてある森のこと。鎮守の杜(もり)とも表記される。かつては基本的にどの神社にも存在した。古くから神道の考え方では山や森、川、滝など自然その物に神が宿り、神社の建物のみならずその土地全体が神域であるとされている。そのため、神社の周辺の森林は維持が行なわれ、原生林を今に残す場所も多くある。例えば奈良県の春日大社近くにある春日山原始林は、約250haの広さを持ち、春日大社の神域として昔から狩猟や伐採が禁止されてきた。その結果、ユネスコの世界文化遺産「古都奈良の文化財」に含まれている。一方で、東京都の明治神宮のように、神社を創設するために鎮守の森を人工的に作った例もある。明治神宮では本来そこにあるべき植生を選ぶのを基本とし、将来的には自然な鎮守の森に発展するよう考案された。

罪とは、一般的には道徳や法律、秩序などに反する行為をすることや、悪い結果に対する責任のことを言う。犯罪とも呼ばれる。しかし、宗教的な用語としての「罪」はより厳密である。キリスト教においては神に背を向け、神の言葉に逆らうことを指す。聖書で登場する罪と言う語の原語はギリシャ語で、「的を外す」と言う意味を持つ。したがって善い行ないをしていても、キリスト教の神を知らずに的を外して生きていることは罪と解釈される。罪を捨てること、あるいは罪から救われることが大切と説かれる。また、仏教における罪とは仏法や戒、律に背くこと。そのなかでも、母を殺す、父を殺す、阿羅漢を殺す、僧団の和合を破壊する、仏の身体を傷つけて血を流すことは五逆の罪として非常に重いとされている。

天使

天使とは、キリスト教において神に仕えて働く霊的存在のこと。神と人間の間の位置付けであり、こうした天使のような存在はペルシア宗教やユダヤ教にも存在する。キリスト教においては、天使は全員が同じではなく、人間のようにそれぞれ人格を持つとされている。「使者」に由来する言葉であり、神の意向を伝える者で、神の命令を受けてそれぞれが具体的な仕事を行なう。あくまでも神から委ねられた結果の働きであるので、天使を礼拝したりお守りにしたりすることは禁じられている。天使に対する者として悪魔があるが、キリスト教においては悪魔はもとは多くの天使をまとめる長を務めていた天使だったが、あるときに神に歯向かって戦い負けたために、地に落とされたとされている。

天神地?

天神地?とは、神道に関する用語のひとつ。天にいる神々や高天原から天降った神々を指す天津神(あまつかみ)と、国土の神あるいは国津神(くにつかみ)である地?を合わせた言葉である。天と地のすべての神々と言う意味。アマツカミの神としては天照大神(あまてらすおおみかみ)や伊耶那岐命(いざなぎのみこと)など、クニツカミには大国主命(おおくにぬしのみこと)などがいる。重要な宮中行事として毎年実施される新嘗祭(にいなめさい)では、11月23日に神嘉殿で天皇が五穀の新穀を天神地?に勧め、自身もそれを食べてその年の収穫に感謝すると言う場面が含まれる。また、埼玉県の秩父神社には天神地?社と言う社があり、全国75座の神々が鎮座していることで有名。

転生

転生とは、生まれ変わることを意味する言葉。死んで他界した魂がこの世に繰り返し生まれ変わって現れることを指す輪廻転生(りんねてんせい、りんねてんしょう)と言う言葉と同様に用いられることもある。転生は仏教用語として有名だが、思想としては仏教が開かれる以前にインドのヒンドゥー教にも存在した。仏教では、前世、現在世、未来世からなる「三世」(さんぜ)の考え方があり、これによると現在世で生きている人間は前世から転生した者である。現在世で人間が死を迎えると、一時的に他界で逗留したのちに未来世へ転生する。この転生の際、因果応報によって前世での行ないが現在世に、現在世での行ないが未来世で果となって現れることもある。

典座

典座とは、仏教のなかでも禅宗の寺院におかれる役職のひとつ。禅宗寺院では修行僧は様々な職務を分担して取り組むが、典座はそのなかで食を司る役職であり、修行僧たちの食事をはじめ、仏や祖師へ供える膳などを任される役職。いわゆる炊事係であるが、禅宗では食事の調理や喫飯も修行の大切な一環であるため、重要な役職とされることが多い。こうした禅宗における典座の考え方は、曹洞宗を開き、永平寺の開祖である道元が「典座教訓」と言う書物にまとめている。この書物では、道元が中国で老典座に出会い、座禅や仏法の議論よりも食事の準備を優先する姿を批判したところ、「あなたは修行とは何であるか分かっていない」と言った趣旨の返事をもらい、禅修行の本質に覚醒したエピソードなどが載っている。

天部

天部とは、仏教用語のひとつ。如来・菩薩・明王と共に、仏像のモチーフにされ、多くの神々の総称。もとは古代インドにおけるバラモン教の神々が仏教に取り入れられた物。仏の守護神として、如来や菩薩の領域と人間との中間に位置し、仏の教えを守り、人々にこの世においての福徳を与えてくれるとされる。天部には様々な神がいる。例えば、仏教世界の中心にあるとされる須弥山(しゅみせん)の四方を守る持国天、増長天、広目天、多聞天と言う四天王も天部のひとつ。他には仏や菩薩を守護する梵天(ぼんてん)、福徳を司る吉祥天(きちじょうてん)、音楽や芸能の神として有名な弁財天(べんざいてん)、戦いの神として信仰される毘沙門天(びしゃもんてん)、伽藍の守護神とされる韋駄天(いだてん)などがある。

典礼

典礼とは、儀礼のことである。一定の規定をもって実施される儀式のことを意味する。もともとはギリシャ語で「公衆の名のもとで、または公衆のために行なわれる奉仕」と言うことを表わすレイトゥルギアという単語を訳した物。キリスト教のカトリック教会では、これを公共の宗教行事を意味する語として用いてきた経緯があり、今では公的な礼拝を実施するために決められている儀式や儀式一般を指す。あるいは、その儀式を司る人のことを典礼と言う。例えば、日曜日にある礼拝が典礼のひとつ。パンとぶどう酒を分かち合う聖餐という儀式を行なうミサや、秘跡を伴う儀式などもこれにあたる。一方で、キリスト教の信者が個人的にする奉仕活動は典礼には含まれない。

伝道師

伝道師とは、キリスト教において教えを授ける立場にある役職のひとつ。聖公会とプロテスタント教会に存在する。これらの教派では牧師が教会において中心的な教職となるが、同様の役割を果たせる人であっても、正教師の資格を持たない人を区別して伝道師と称する。正教師とは、正教師検定試験に合格したのち、教区総会の議決を経て按手礼を受けた人のこと。教師には正教師の他に補教師があり、補教師検定試験には合格して、教区総会の議決を経て伝道する者として任命を受けた教職者のことを伝道師と呼ぶこともある。伝道師は聖礼典を執行する権能を持っていない。そのため牧師よりも下位の教職とされる。あるいは、牧師の資格を有していても教会で人々を導くことをせず、巡回説教をする人などの通称としても伝道師が使われる。

東司

東司とは、寺院内にあるトイレのことである。仏教のなかでも、日本では禅宗のひとつとされる曹洞宗(そうとうしゅう)で用いられる語で、他の宗派では雪隠(せっちん)などと言う。禅宗ではトイレや入浴も修行のうちとするので、東司や浴室も重要な建築物と見なされてきた。そのため、寺院を構成する基本的な7つの施設を意味する七堂伽藍(しちどうがらん)に東司が浴室と共に含まれる。禅宗の寺院ではトイレのなかでは話をすることを禁じられているが、曹洞宗の開祖である道元は「正法眼蔵」のなかで「東司上、不説仏法の道理を思量すべし」と述べ、ひと言も話さずに仏法についても語らない意義をよく考えるように説いている。現存する日本最古で最大の東司として、室町時代に建築された京都府の東福寺の東司が有名。

灯明

灯明とは、神道の神や仏教の仏に供えられる灯火のことである。仏教において灯明は自身を燃やすことで周囲を明るく照らす働きがあるので、他人のために自分の身を削って施しをする菩薩行の象徴とも言われる。また、闇を照らす智恵の光と例えられ、灯明を付けることは供養のひとつとして重視されてきた。かつては油皿に入れた油に火を付ける灯明が使われていたが、蝋燭や電球によるものも一般的。仏壇に飾るときは、向かって右に灯明用の燭台を並べ、左に花立て、中央に線香を立てる香炉を置くのが基本である。灯明は神仏に奉げる穢(けが)れのない火であるため、消すときには息を吹きかけることは避け、手や扇であおいで消すようにするのが作法。

頭屋

頭屋とは、神社の行事や祭りを執り行なうときに、その世話役となる人、または家のことを指す。当屋、当家、頭家とも書く。古くは特定の氏が世襲してきたが、のちに1年ごとなど期間を決めて、氏子にあたる家々が当番制で持ち回るようになった。選任方法は占いやくじなどが採用されるなど、地域によって様々である。引き継ぎには頭渡しと言う手続きが踏まれていた。頭屋に選ばれると、酒や肉などを食することを慎み、沐浴などをして心身を清める潔斎(けっさい)と言う行為が求められる他、行事の際には神職に付き添って手伝いをしたり物を供えたりする。神職のいない地域では、頭屋は神主の役割も果たしていたが、神社には神職が存在するのが一般的であり、世話をする人と言う色合いが濃い。

灯籠

灯籠とは、神社や寺院などにある置物のひとつ。明かりを灯す役割があり、主に石や木でできたオブジェである。もともとは仏教において用いられた置物で、仏像に清らかな明かりを奉げ、精霊の道しるべとするために仏堂などに配置された。古くは献灯と呼ばれていた。日本へは仏教の伝来と共に中国から到来し、神社にも飛鳥時代ごろから設置され始め、神を迎える神聖な建造物として認識されていく。灯篭は各地の寺社に配されて様々な形があるが、台座(だいざ)と言う土台の上にやや細い竿(さお)と言う部分が伸び、その上に照明を内蔵する火袋(ひぶくろ)がある。上部に花のような装飾を施した請花(うけばな)と宝珠(ほうじゅ)で載せる物が基本となっている。

咎とは、人から咎められるような行為のこと。過ちやしくじり、してはならないことをすることであり、罰を受けるときもある。また、人から責められるような欠点のことを指す。キリスト教においては、咎は負目を感じることであると共に、神に背を向けたこと、すなわち罪になる。咎は罪と同じような意味でありながら、「つみとがをにのう」と言う讃美歌のなかで「罪 咎を荷のう 友なるイエスに」と言う歌詞があるのをはじめ、キリスト教では罪と咎が区別される。罪は原罪であり、咎は罪過(ザイカ)と解釈され、何か悪いことを実際に起こしていないとしても、していけないことを心のうちで思っていれば罪にあたる。罪を行為としてしまった物が咎と考えられる。

得度

得度とは、仏教に関する用語のひとつで、出家することを意味する。仏教を信仰し、修業を積むために寺院へ入るための儀式のことである。得度の具体的な行為としては、髪を剃り、戒を守ることを誓う。戒とは自主的に行なわれる道徳とも言える行為で、仏教徒であろうとする人が自分を抑制して守るべき戒(いまし)めを意味する言葉。このとき戒名も与えられる。古くは世間から離れ、親類家族との縁を断つ儀式でもあったが、家族との縁は切らなくとも良いとされる場合もある。得度を受けることは、即一人前の僧侶に認められたと言うわけではなく、それ以降の膨大な修行のスタート地点。寺院の師にあたる僧侶が得度を与えるのが本来の形式であるが仏教系の学校で集団得度の儀式を受けることもできる。

鳥居

鳥居とは、神社を構成する重要な建造物のひとつ。神域の入り口を示す建造物である。鳥居の起源は不明だが、日本神話のなかで天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸に引き篭もった際、鳥を鳴かせて外から誘い出すために鳥の止まり木を神前に置いたことなど諸説ある。台石を土台として天に向かって立つ2本の柱。それを固定させるために垂直に交わる柱である貫(ぬき)、貫と平行な位置でその上にある島木(しまぎ)、島木の上部に付ける笠木(かさぎ)、貫と島木の間に配置される額束(がくづか)などから成る。貫は柱間に収まる物と突き抜ける物があり、こうした形状などの違いにより、明神(みょうじん)鳥居と神明(しんめい)鳥居に大別される。

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