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秋の神社・寺・教会情報

学問の秋には「学業の神様」が祀られている神社で合格祈願しよう



志望校の合格祈願に神社へお参りに行く場合、せっかくなら学業にまつわる神様の祀られる神社にお参りしたいものです。日本国内には学業の神様が祀られる神社が多く存在します。学問の秋に、合格祈願のために訪れたい神社をご紹介しましょう。

「学業成就の神様」と言えば菅原道真

「学業成就の神様」と言えば菅原道真

学業成就の神様として一番有名なのが、「菅原道真」です。なぜ菅原道真が現代の受験生に神様として崇められているのかというと、その理由は彼の歩んだ人生にあります。菅原道真は幼少の頃より学問に秀でていて、わずか5歳で和歌を詠むなど、周りからは神童と称えられていました。その後も勉学に励んだ菅原道真は、当時学者では最高位である文章博士(もんじょうはかせ)に昇進。学問以外にも弓道にも長けていた菅原道真は、文武両道の面を持ち合わせる人物だったのです。このように神童と呼ばれ、その後の人生でも学び続けた菅原道真を「学業の神様」として祀っている神社は多く、「天満宮」、「天神」あるいは「菅原神社」と呼ばれています。菅原道真が祀られている神社の中で有名なのが、東京にある「湯島天満宮」、京都の「北野天満宮」そして福岡の「太宰府天満宮」。これらの神社は特に受験生に人気があり、受験シーズンには多くの人が合格祈願を行なっています。

菅原道真以外の学業の神様を祀る神社

このように、学業成就の神様と言うと菅原道真ですが、実は菅原道真以外にも学業の神様が存在します。菅原道真以外の学業にまつわる神様を祀る神社をご紹介しましょう。

報徳二宮神社

神奈川県小田原市にある「報徳二宮神社」に祀られている二宮尊徳は、かつて多くの学校で銅像が建てられていた二宮金次郎であることで有名です。二宮尊徳は神奈川県小田原市に生まれましたが、幼い頃に両親が亡くなり一家離散、親戚の家に預けられることになります。そこで二宮尊徳は朝晩一生懸命働きながらわずかな時間を見出しては勉強に励みました。懸命に働き、学び、知識を身に付けた二宮尊徳に注目した小田原藩は、家老である服部家をはじめ大名旗本の財政再建を依頼。それ以外にも、多くの農村から復興の手助けを任されるなど、世のため人のために尽くす人生を送りました。1894年(明治27年)には、二宮尊徳の教えを慕った報徳社の総意で二宮尊徳を祭神とする神社が創建され、それが「報徳二宮神社」となっています。眠る間も惜しんで学びに励みながら先人の教えを身に付け、人のために捧げた数々の功績を残した尊徳。その二宮尊徳が祀られる「報徳二宮神社」は、学業成就、合格祈願の神社として有名です。神社の拝殿にはかつて小田原城にあった米蔵の石が礎石として使われています。天保時代の大飢饉が小田原市を襲った際、藩主の命を受けた尊徳が米蔵を開き人々に配布、多くの人々が飢えを免れました。米蔵の石を拝殿の礎石にした理由は、二宮尊徳への敬意の表れです。

秩父神社

埼玉県にある「秩父神社」の祭神は、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)という神様です。八意思兼命は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が石の洞窟に閉じこもってしまった際に、天照大御神を外に出す知恵を集まった八百万の神々に授けたという神話が有名。そのため、八意思兼命は知恵の神様や学びの神様と敬われ、受験祈願に訪れる人が後を絶ちません。「秩父神社」の創建は2,000年以上前で、関東屈指の古い神社です。秩父神社の社殿北側には「北辰の梟(ふくろう)」と言う名の彫刻が見えます。この彫刻は体が正面の本堂を向き、顔の向きは180度正反対の真北。これは、北極星を向いていると言われています。この神社の信仰は「北辰北極星」。この方角には妙見(菩薩様)が出現すると言われています。そのため、古くからこの神社では神とゆかりの深い鳥として梟が祀られてきました。さらに、秩父神社の絵馬にも「北辰の梟」が描かれています。これは、神として祀られている鳥ということで縁起のよいものともされ、さらに西洋の文化も取り入れて造られました。梟はギリシャ神話に出てくる知恵の女神である「アテナ」の使いとされている鳥です。この神話から、西洋では知恵の神と言われています。これらの由来から知恵のシンボルでもあり、神とゆかりの深い鳥と言われるようになりました。

参拝は受験シーズン前の秋ごろがおすすめ

秋は、合格祈願や学業成就の祈願をするため神社に行くのにおすすめです。受験直前である冬に参拝をするよりも、秋に参拝に行くことには様々な利点があります。ひとつは、秋は受験日までまだ日数があるため、時間的に余裕があること。受験日が迫っていると勉強も追い込みに入ります。もし行きたい神社が遠い場所にあり、長距離移動や宿泊が必要な場合でも、秋に参拝を計画すれば、受験直前よりも余裕が持てるので、目的の神社に参拝をすることが可能です。次に挙げられるのが冬に流行する病気の感染を防げること。冬の時期は、インフルエンザやノロウィルスなどの感染症が猛威を振るいます。受験生にとって、感染症にかかることは絶対に避けて通りたいところです。冬に神社のような人が大勢集まる場所に行くというのは、病気に感染する可能性を高くします。流行の病気に感染しないためにも、冬を避けて秋に参拝をし、冬は不要不急な外出を避けることで身を守ることができるでしょう。最後の利点は、秋には参拝と同時に美しい景色が堪能できることです。例えば、目的の神社やその周辺が受験祈願の他に紅葉が楽しめる場所であれば、参拝をしながら紅葉狩りもできるという、受験生にとっては良い気分転換にもなります。

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秋になると、神社やお寺、教会では様々な行事が催されます。それぞれ宗教的な起源に基づいた行事が多いですが、現在では宗教色を特に感じずに楽しめるようなお祭りもあります。

神々が集まる出雲大社

神々が集まる出雲大社

10月の異称は「神無月(かんなづき)」です。これは一説によると、10月に全国の神がある場所へ一堂に集まるため、国から神がいなくなることから呼ばれるようになったと言われています。

その神々が集まる「ある場所」とは、島根県出雲(いずも)市の「出雲大社」です。全国の他の場所と異なり、ここには神々が集まってくるため、出雲地方では10月を「神在月(かみありづき)」と称し、神々をお迎えするための様々な儀礼が執り行なわれます。旧暦10月10日には、「国譲り神話」の舞台としても知られる稲佐の浜において行なわれる「神迎神事(かみむかえしんじ)」で神を迎えたのち、稲佐の浜から出雲大社へと続く神迎えの道を通じて案内し、大社である神楽殿(かぐらでん)にて「神迎祭」を執り行なうのが慣わしです。全国から旅をしてきた神々は、本殿を挟んで東西に19ずつの扉がある社(やしろ)「十九社(じゅうくしゃ)」を宿として鎮められます。通常閉められている「十九社」の扉は、神々が宿る一週間だけはすべて開かれた状態となり、この時季にだけ見られる貴重な十九社の姿を拝むことができるのです。

また、旧暦10月の11日・15日・17日には「神在祭」が執り行なわれ、ここで全国の神々が話し合いを行ない、人間には予知することができない諸般のことや男女や仕事上の縁結びについて、「神議り(かみはかり)」で決められると伝えられています。

秋のお彼岸

「彼岸(ひがん)」は春と秋にありますが、秋のお彼岸は、毎年9月の秋分の日を中日とした前後3日の、合わせて7日間です。お彼岸の最初の日は「彼岸の入り」、期間の真ん中に当たる秋分の日は「彼岸の中日(なかび)」、最後の日は「彼岸明け」と呼ばれています。

この「彼岸」は、昼間の長さと夜の長さが同じである秋分の日の時季に、仏様の供養をすることにより、人生を終えたあとには極楽浄土へ導かれると信じられていたことから庶民に広まっていきました。「彼岸」には本来「あちらがわの岸」という意味を持っており、煩悩と迷いに満ちた現世の向かい側の境地、つまり「悟りの世界」を意味しています。お寺では「彼岸会(ひがんえ)」などの法要が多く行なわれ、それぞれの家庭では先祖の供養のためにお墓参りをする時季です。先祖を敬い、今自分が生きていることに感謝しましょう。

収穫感謝祭

秋の収穫感謝祭は、単に「感謝祭」と呼ばれることもありますが、神からの恵みを感謝するキリスト教の行事です。アメリカでは11月の第4木曜日、カナダでは10月の第2月曜日が「感謝祭(Thanksgiving Day)」となっており、祝日と定められています。日本のプロテスタントの教会では、勤労感謝の日(11月23日)に近い11月の第4日曜日に「収穫感謝祭」が行なわれており、その年に収穫された作物を教会に持ち寄って神に捧げ、感謝の礼拝を実施。これは必ずしも厳かな儀式ではなく、賛美歌やゴスペルが歌われたり、演劇などが催されたりすることもあり、楽しい雰囲気で開催する教会も多くあります。

収穫感謝祭の起源については諸説ありますが、最も有力な説は、1620年(元和6年)にイギリスから、現在のアメリカ・マサチューセッツ州にメイフラワー号で渡ってきた清教徒たちが始めたという説です。清教徒たちがアメリカ大陸に入植したのち、大変厳しい冬に直面して食糧不足に悩んでいたところ、先住民たちの助けによって半数が生き延びることができました。翌年、清教徒たちの育てた作物が無事収穫できたことから、救済してくれた先住民たちを招き、収穫物を神に捧げ感謝する催しを開いたことが、今の収穫感謝祭となったとされています。この後、収穫感謝祭は徐々に宗教的意味合いが薄れ、庶民がみんなで楽しむ秋の行事となり、親しまれていくようになりました。