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一度は見たい京都・奈良の仏像「第七回」奈良と飛鳥を代表する著名な仏像 東大寺、飛鳥寺

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奈良盆地には、著名な仏像が多く残されています。ここでは、奈良と飛鳥を代表する仏像をご紹介します。

盧舎那仏像(東大寺)

盧舎那仏像(東大寺)

奈良市・東大寺の本尊は、言わずと知れた「奈良の大仏様」です。正式には「盧舎那仏像(るしゃなぶつぞう)」と呼び、752年(天平勝宝4年)以来1,300年近くにわたって奈良を、そして日本を見守ってきた仏像として親しまれています。

この大仏は、平安時代末期の1180年(治承4年)と戦国時代の1567年(永禄10年)の二度、戦火によって焼け落ち、そのたびに再興が行なわれました。現在見られる姿は、頭部が江戸時代中期の1692年(元禄5年)に補修された物、体の大部分が鎌倉時代に補修された物です。

この盧舎那仏像は、仏教による国家の統治を考えていた聖武天皇の発願による物で、当初は現在の奈良ではなく、近江国(現在の滋賀県)紫香楽宮(しがらきのみや)近くの甲賀寺に造営することとなっていました。しかし、付近に山火事などの不穏な現象が多く起こったこともあり、平城京の現在地での造営へと計画の変更が行なわれたとされています。

全国から集められたのべ260万人もの人夫による足掛け12年にわたる造営工事の末、752年(天平勝宝4年)に開眼供養会(かいがんくようえ)が開かれ、この仏像に命が吹き込まれたのです。

東大寺盧舎那仏の高さは14.7メートル、大仏を覆う大仏殿は幅が57.5メートル、奥行き50.5メートル、高さ49.1メートルあり、この大仏殿は世界で最も大きな木造軸組建築としても知られています。

「毘盧舎那如来」とは

「毘盧舎那如来」とは

「盧舎那仏」とは、「毘盧舎那如来(びるしゃなにょらい)」を略して呼ぶ名前であり、「真実の教えその物を仏の姿として表した」とされる仏像です。

毘盧舎那如来は、「蓮華座(れんげざ)」という1,000枚のレンゲの花びらの上に座り、その花びらの一枚一枚には100億もの国が存在しており、かつひとつずつの国にはひとりずつの釈迦が現れると考えられています。

つまり、私たち人間が住む世界は、毘盧舎那如来が照らしている広大な世界のほんの一部に過ぎず、一方で毘盧舎那如来は宇宙全体を広く照らしているのです。仏教が持つとてつもなく大きな思想が、この大仏の姿からもよく理解できます。

詳細データ

名 称
東大寺(とうだいじ)
住 所
〒630-8211 奈良県奈良市雑司町406-1
TEL
0742-22-5511
交通アクセス
近鉄奈良線「近鉄奈良駅」下車 徒歩16分
施設の詳細を見る

阿吽の仁王像(東大寺)

阿吽の仁王像(東大寺)

大仏と並び東大寺を代表する仏像のひとつが、南大門の「阿吽(あうん)の仁王像」です。正式名称は「南大門金剛力士立像(こんごうりきしりゅうぞう)」で、門の入り口の左右に口を開けた「阿形(あぎょう)」と口を閉じた「吽形(うんぎょう)」が並びます。

木造の巨大な仏像であり、鎌倉時代の仏師である運慶(うんけい)とその息子の湛慶(たんけい)、快慶(かいけい)たちによって造営されました。高さが8メートル以上もある大きな仏像であるため、参拝者が見上げた際に最も迫力を感じられるように計算された造形となっており、その迫力は造営から800年程経った現在でも圧倒的に感じられる、ダイナミックな仏像です。

「金剛力士」とは

「金剛力士」とは

「金剛力士」とは、仏教の守護神のひとつで、煩悩を砕き仏教を守るための「金剛杵(こんごうしょ)」を手にする者の意味を持ちます。

元来は一体の神でありましたが、多くは口を開けた「阿形」と、口を閉ざした「吽形」の二体一対で安置されています。この二体の場合の金剛力士は「仁王」と呼ばれます。

「阿吽」が二体で一対となっている理由は、サンスクリット語にあります。「阿」とはサンスクリット語における最初の発音であり、一方の「吽」は最後の音です。つまり「阿吽」とは「万物において最初から最後まで」を示しており、森羅万象のすべての物を包括している意味を持っています。

詳細データ

名 称
東大寺(とうだいじ)
住 所
〒630-8211 奈良県奈良市雑司町406-1
TEL
0742-22-5511
交通アクセス
近鉄奈良線「近鉄奈良駅」下車 徒歩16分
施設の詳細を見る

飛鳥大仏(飛鳥寺)

飛鳥大仏(飛鳥寺)

奈良県高市郡明日香村の飛鳥寺(あすかでら)は、蘇我氏の氏寺で日本最古の寺院でもある「法興寺(ほうこうじ)」の流れを汲む寺であり、「元興寺(がんこうじ)」の異名も持っています。その創始は蘇我馬子の発願による物との記述が「日本書紀」などに残されており、587年(用明天皇2年)の建立とされているため、1,600年近くもの歴史を持つ寺院です。

この飛鳥寺安居院(あんごいん)の本尊が「飛鳥大仏」と称される釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)です。像高が2メートル75センチもある大きな仏像であり、「日本最古の仏像」としても知られているこの像は、諸説ありますが609(推古天皇17)年の建立であると考えられています。

建立当初は法隆寺で見られる釈迦三尊像と同様、左右に「両脇侍像(りょうきょうじぞう)」を従えていたと推測されていますが、鎌倉時代に起きた火災によって焼失してしまいました。飛鳥大仏本体も大きな損傷を受けましたが修復が施され、現在見られる顔の一部や左耳は建立当初の物であると言われています。

アーモンド型の目などには、飛鳥時代の仏像様式の特徴が見て取れますが、この大仏の表情は見る角によって異なっており、左ほほ側から眺めると厳しく、右ほほ側から眺めると優しい表情に見えるのも特徴のひとつです。

日本最古の寺院・飛鳥寺の盛衰

日本最古の寺院・飛鳥寺の盛衰

蘇我氏の氏寺として建てられた飛鳥寺は、646年(大化2年)の大化の改新によって蘇我氏が滅んだのちも朝廷などによって保護されてきましたが、都が平城京に遷移したのちに寺勢は衰えていきました。

落雷や火事などにより全盛期の姿はなくなり、江戸時代の記述には「粗末な堂に釈迦如来像が安置されている」と残されている程です。しかし、幕末期の1825年(文政8年)に現在の本堂が再建され、飛鳥大仏が再び保護される結果となりました。

詳細データ

名 称
飛鳥寺(あすかでら)
住 所
〒634-0103 奈良県高市郡明日香村大字飛鳥682
TEL
0744-54-2126
交通アクセス
近鉄吉野線「岡寺駅」下車 徒歩29分
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