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一度は見たい京都・奈良の仏像「第八回」名刹に残る個性的で美しい仏像 興福寺、元興寺

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興福寺や元興寺など、国家による仏教政策によって保護されてきた名刹には、個性的で美しい多くの仏像が今でも残されています。製作された時代によって、技法や表情の違いを見つけるのも仏像鑑賞の楽しみのひとつでしょう。

阿修羅像(興福寺)

阿修羅像(興福寺)

藤原氏の氏寺として7世紀に創建された奈良市の興福寺(こうふくじ)は、奈良時代には国家による守護を受け、その後も皇室やときの権力者たちに手厚く守られてきた名刹です。寺所有の数多くの文化財を収蔵・展示する「国宝館」では、仏像をはじめとする寺宝を見ることができます。

中でも有名なのが、「乾漆八部衆立像(かんしつはちぶしゅうりゅうぞう)」です。「八部衆」とは、仏教保護のために異教から集めた8つの神を表した像であり、「阿修羅(あしゅら)」「五部浄(ごぶじょう)」「沙羯羅(さから)」「鳩槃荼(くばんだ)」「乾闥婆(けんだつば)」「迦楼羅(かるら)」「緊那羅(きんなら)」「畢婆迦羅(ひばから)」の八神で構成されています。

特に「阿修羅像」は、出色の仏像として知られており、3つの顔と6本の腕を備えた三面六臂(さんめんろっぴ)の異形の像であることと、阿修羅でありながら憂いを帯びた表情が特徴。「阿修羅」とは、戦いの神であるために一般的には勇ましい表情で表現されることが多い中、この興福寺の阿修羅像は見る角度によっては苦悩の顔つきさえ感じさせる、非常にリアルな描写で作られた美しい像であり、現在でも多くの人々が魅了される貴重な仏像であると言えるのです。

「八部衆」とは

「八部衆」とは

元来は、古代インドにおいて森羅万象に宿る精霊として描かれてきた「八部衆」は、仏教が庶民に広がるにつれて仏教の諸尊(如来・菩薩・明王・天)の内の「天」に分類されるようになりました。

三面六臂の阿修羅のように異形の姿で表されるケースが多く、「五部浄」は象の冠をかぶり、「沙羯羅」は頭の上にとぐろを巻いた蛇がおり、「迦楼羅」の頭は鳥の物となっているなど、ユニークでありながらもどこか親しみやすい神々です。

詳細データ

名 称
興福寺(こうふくじ)
住 所
〒630-8213 奈良県奈良市登大路町48
TEL
0742-22-7755
交通アクセス
近鉄奈良線「近鉄奈良駅」下車 徒歩7分
施設の詳細を見る

天燈鬼・龍燈鬼立像(興福寺)

天燈鬼・龍燈鬼立像(興福寺)

興福寺は、たびたび火災の被害に遭ってきた歴史がありますが、そのたびに再建を繰り返してきたことも事実です。

特に平安時代末期の1180年(治承4年)の「治承寿永の乱」の際の焼き討ちによる被害は大きく、大半の伽藍が消失してしまいました。しかし、このときも信円(しんえん)と貞慶(じょうけい)の二人の僧を中心に大規模な復興が行なわれ、当時の最高峰の仏師による仏像の再製作が進められました。

興福寺国宝館に保存される「天燈鬼(てんとうき)・龍燈鬼(りゅうとうき)立像」も鎌倉時代の再興時に作られた像のひとつです。二本の角と三つの目を持った天燈鬼は口を開いた「阿形(あぎょう)」で、左肩には灯籠を乗せています。対になる龍燈鬼は腹の前で両手を組み、右手は上半身に巻き付く龍の尻尾をつかみ、口を閉じた「吽形(うんぎょう)」をしています。頭に乗せた灯籠を睨むような上目遣いの目が、なんともユーモラスな像です。

この二体一対の像は、共に木造寄木造で作られており、鎌倉仏像らしい力強さと今にも動き出しそうな躍動感、そして微笑ましさすら感じさせる表情が特徴の、鬼彫刻の中でも傑作とされている仏像で、その親しみやすさから高い人気を誇っています。

「邪鬼」とは

「邪鬼」とは

「天燈鬼・龍燈鬼」は、仏教において災いをもたらす「邪鬼(じゃき)」の一種です。一般的には、持国天(じこくてん)、増長天(ぞうちょうてん)、広目天(こうもくてん)、多聞天(たもんてん)の「四天王」に踏み付けられる姿で表されることが多く見られます。

しかし、こうした災いの種となる鬼ですら仏教によって救われるということを広く伝えるために邪鬼の像は多く作られ、知られています。特に興福寺の「天燈鬼・龍燈鬼」は、日本人の「鬼」のイメージの原型であるとされているため、現在でも愛される理由のひとつとなっているのです。

詳細データ

名 称
興福寺(こうふくじ)
住 所
〒630-8213 奈良県奈良市登大路町48
TEL
0742-22-7755
交通アクセス
近鉄奈良線「近鉄奈良駅」下車 徒歩7分
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薬師如来立像(元興寺)

薬師如来立像(元興寺)

奈良市の元興寺(がんごうじ)は、蘇我馬子が創建した飛鳥寺(法興寺)から派生した寺で、かつては興福寺や東大寺、薬師寺などと並ぶ「南都七大寺」に数えられる程の大寺院でした。中世以降には寺勢が衰退し、現在では五重塔跡と小さな堂が残されているのみとなってしまいました。

しかし、元興寺にあった国宝に指定されている「木造薬師如来立像」は現在、奈良国立博物館に保存されています。平安時代初期に作られたこの薬師如来立像はカヤの一本木から彫り出された堂々たる仏像で、やや険しい表情ながらも、厚みのある体躯やひだの太い衣が悠然とした印象を与える慈悲深さに満ちた像です。右手は手のひらを前に向けた「施無畏印(せむいいん)」で、下げた左手には薬壷を備えています。

もとは元興寺五重塔に安置されていましたが、幕末の1859年(安政6年)に五重塔が火災にあった際には運び出され、現在までその姿を残すことができました。

「一木造」とは

「一木造」とは

この元興寺薬師如来立像のように、一本の木材から彫り出した技法を「一木造(いちぼくづくり)」と呼びます。奈良時代末期から平安時代前期にかけてこの技法が多く採用されていますが、木材の湿度の低下による収縮によって表面に割れが生じやすいことが欠点となっています。

しかし元興寺薬師如来立像は、一木造による像でありながら、製作から千年を経た現在でも保存されていることから、いかに優れた彫刻であるかが容易にうかがい知れます。

詳細データ

名 称
元興寺(がんごうじ)
住 所
〒630-8384 奈良県奈良市芝新屋町12
TEL
0742-22-5218
交通アクセス
JR桜井線「京終駅」下車 徒歩10分
施設の詳細を見る
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