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一度は見たい京都・奈良の仏像「第九回」時代の変遷から感じる趣の妙 新薬師寺、中宮寺、法華寺

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飛鳥仏教文化が栄えた飛鳥地方や、平城京が置かれた奈良市には、作成された時代によって様々な仏像が多く点在しています。その表情やモデルとなった人物を推測することも鑑賞のポイントのひとつであり、これらの知識を得て仏像を鑑賞することでより奥深く趣の妙を感じられます。

十二神将(新薬師寺)

十二神将(新薬師寺)

奈良市の新薬師寺は、奈良時代に建てられた寺院で、かつては「南都十大寺」に数えられる程の大規模な寺でした。

この新薬師寺の本尊は薬師如来坐像ですが、この像の周りには「眷属(けんぞく)」と呼ばれる従者たちが配置され、薬師如来を守っています。その眷属の数は12。これらは総称して「十二神将」と呼ばれています。ふくよかで穏やかな印象の薬師如来に対して十二神将の描写は激しく、気迫と凄みに満ちた激しさがほとばしっているのが対照的です。

十二神将は、奈良時代に作られた塑造(藁を混ぜた粘土で作った物)であり、江戸時代末期の地震で壊れたのちに補作された1体を除いた11体が作成当初の物で、日本最古の塑造の十二神将です。現在は、ほとんど残っていない色彩は作成時には極彩色であり、今よりもさらに激しい恐ろしさを醸し出していたと推測されています。見開いた目の力強さを演出するために、瞳には色ガラスの吹き玉が用いられるなど、芸術的センスも十二分に感じさせる名像であると言えます。

十二神将/十二夜叉大将と十二支

十二神将/十二夜叉大将と十二支

「十二夜叉大将(じゅうにやしゃたいしょう)」とも呼ばれる十二神将は、薬師如来を中心に、同じく12で構成される干支と同様の位置に並べられています。

新薬師寺の十二神将では、以下の通りになっています。

  • 毘羯羅(びから)大将・・・子
  • 招杜羅(しょうとら)大将・・・丑
  • 真達羅(しんだら)大将・・・寅
  • 摩虎羅(まこら)大将・・・卯
  • 波夷羅(はいら)大将・・・辰
  • 因達羅(いんだら)大将・・・巳
  • 珊底羅(さんでら)大将・・・午
  • 頞儞羅(あにら)大将・・・未
  • 安底羅(あんてら)大将・・・申
  • 迷企羅(めいきら)大将・・・酉
  • 伐折羅(ばさら)大将・・・戌
  • 宮毘羅(くびら)大将・・・亥

詳細データ

名 称
新薬師寺(しんやくしじ)
住 所
〒630-8301 奈良県奈良市高畑町1352
TEL
0742-22-3736
交通アクセス
JR桜井線「京終駅」下車 徒歩22分
施設の詳細を見る

菩薩半跏像(中宮寺)

菩薩半跏像(中宮寺)

奈良県生駒郡斑鳩町の中宮寺は、隣の法隆寺と共に聖徳太子に縁深い寺であり、法隆寺に対し尼寺として1,300年にわたり守られ続けています。この寺の本尊が如意輪(にょいりん)観音と伝えられている「菩薩半跏像(ぼさつはんかぞう)」です。

クスノキの寄木造で製造されたこの像は、台座に腰掛け右足を左膝の上に乗せ、右膝に着いた右肘の先の右手は軽く曲げられてほほに当て、左手は右足首に添えられています。目を閉じうっすらと浮かべた微笑みは日本的情緒にあふれており、流れるような曲線美とリアルな人体表現が特徴の傑作仏像です。

世界三大微笑像のひとつ

世界三大微笑像のひとつ

飛鳥時代彫刻の最高傑作とも謳われる菩薩半跏像がある中宮寺は、伝説によれば母の菩提を弔うために聖徳太子が母の住んでいた家を寺としたことが始まりとされています。菩薩半跏像の情緒たっぷりの微笑みは、このことが由来しているとも伝えられています。

またこの菩薩半跏像は、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」と並び「世界三大微笑像」にも数えられています。聖徳太子の想いは、日本のみならず世界からも高い評価を得ているのです。

詳細データ

名 称
中宮寺(ちゅうぐうじ)
住 所
〒636-0111 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2
TEL
0745-75-2106
交通アクセス
JR関西本線「法隆寺駅」下車 徒歩16分
施設の詳細を見る

十一面観音立像(法華寺)

十一面観音立像(法華寺)

奈良市の法華寺(ほっけじ)は、聖武天皇の皇后である光明皇后(701~760年)が開いた寺で、創立当初は「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」と呼ばれていました。この地には、もとは光明皇后の父である藤原不比等(ふじわらのふひと)の邸宅があったと考えられています。

仏教を中心とした国家建設を進めたことで知られる聖武天皇ですが、一説によれば光明皇后は聖武天皇よりも仏教に厚く帰依しており、東大寺や国分寺・国分尼寺の建設を進言したのは光明皇后であったとも言われている程です。この法華寺は、全国の国分尼寺の総本山として建てられた経緯があり、そのために本尊の「十一面観音立像(じゅういちめんかんのんりゅうぞう)」は、光明皇后の姿を映した仏像であると考えられています。

蓮池の上を歩く両足は、あたかもバランスを取っているかのように繊細な瞬間を捉えており、右足親指は少し上を向いて今にも動き出しそうな気配が漂います。光背には、蓮の花と葉を交互に配置した珍しいタイプであり、豊かなプロポーションの体躯を包むように広がっています。

「国分寺・国分尼寺」とは

「国分寺・国分尼寺」とは

仏教による国家鎮護を図り、741年(天平13年)に聖武天皇の命で日本の各国に建設されたのが国分寺と国分尼寺です。正式には、国分寺は「金光明(こんこうみょう)四天王護国之寺」、国分尼寺は「法華滅罪之寺」と呼ばれます。

つまり、これらの名の寺が全国各地に建てられる中、現在の法華寺は全国の国分尼寺と同名の寺として存在していたのです。これは法華寺が総本山であることの何よりの証左であり、その本尊に光明皇后の姿を映したことからも光明皇后が国分寺・国分尼寺にかけた情熱の強さが推測できるのです。

詳細データ

名 称
法華寺(ほっけじ)
住 所
〒630-8001 奈良県奈良市法華寺町882
TEL
0742-33-2261
交通アクセス
近鉄奈良線「新大宮駅」下車 徒歩12分
施設の詳細を見る
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