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一度は見たい京都・奈良の仏像「第十回」美的センスに秀でた仏像の傑作 秋篠寺、薬師寺

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仏像の美しさは様々であり、ときに穏やかでときに厳しく私たちを見守っています。ここでは、奈良県の数ある仏像の中でも、特に美的センスに秀でた三体を紹介します。

伎芸天立像(秋篠寺)

伎芸天立像(秋篠寺)

奈良市の秋篠寺(あきしのでら)は、平城京の街区からやや北西に外れた秋篠の地にあります。樹木が生い茂る間を縫って伸びる参道や庭園の苔が美しく、鎌倉時代の和様仏堂様式の本堂の静謐な佇まいが知られていますが、この寺の「伎芸天立像(ぎげいてんりゅうぞう)」を目当てに訪れる人が多いことでも有名。

国宝の本堂内の須弥壇(しゅみだん)には、本尊の薬師三尊像や十二神将などの所蔵が並べられていますが、その向かって左端に安置されているのが伎芸天立像です。高さ2メートルを超える木造の仏像ですが威圧感がなく、むしろそのやわらかな表情と頭を少し傾けた仕草が、今にも私たちに語りかけてくれそうな優しさをにじませています。

秋篠寺は奈良時代の創立ですが、鎌倉時代に起きた火災で多くの建造物が消失しました。この伎芸天立像も頭部は奈良時代製作の物ですが、体部は鎌倉時代に補作された物です。しかし、時代を超えて補作された物とは思えない程の自然な作りとなっており、現在でも見る人の心を魅了しています。

「伎芸天」とは

「伎芸天」とは

伎芸天は、仏教に取り入れられた異教の神である「天部」のひとつで、古代ヒンドゥー教のシヴァ神が歌や舞を楽しんでいたとき、髪の生え際から突然生まれた天女だと伝えられています。姿が美しく楽器を奏でることに秀でていたとされ、芸事の神として敬われているのです。

しかし、伎芸天を表した古い像は秋篠寺の伎芸天立像の他には見つかっておらず、これが唯一の作例として知られています。

詳細データ

名 称
秋篠寺(あきしのでら)
住 所
〒631-0811 奈良県奈良市秋篠町757
TEL
0742-45-4600
交通アクセス
「平城駅」下車 徒歩11分
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薬師三尊像(薬師寺)

薬師三尊像(薬師寺)

「南都七大寺」に数えられる奈良市の名刹・薬師寺の本尊が、「薬師三尊像(やくしさんぞんぞう)」です。造立された正確な年代は不明ですが、飛鳥時代から天平時代にかけて作られた金銅仏の中でも最高傑作と讃えられています。

中尊は薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)であり、薬師如来の左脇には日光菩薩立像(にっこうぼさつりゅうぞう)、右脇には月光菩薩立像(がっこうぼさつりゅうぞう)が控える構成の三尊です。薬師如来が堂々とした結跏趺坐(けっかふざ=足を組んで座る姿勢)の豊かな体躯を持ち、厳しさを感じさせる男性的な像であることに対して、両脇の菩薩像はひねった豊かな腰つきと、しなやかな指先が女性的な美しさに満ちており、三尊に絶妙な安定感を与えています。

この三尊のバランスや身に着けている物の描写などが醸し出すやわらかな調和は大変美しく、気品高い崇高美が「最高傑作」の呼び名にふさわしいことは言うまでもありません。

「白鳳仏説」と「天平仏説」

「白鳳仏説」と「天平仏説」

薬師寺は創建時、現在「本薬師寺(もとやくしじ)」と呼ばれる飛鳥の地にありましたが、710年(和銅3年)に北の奈良盆地に平城京が建設されたことに伴い、現在の場所へ移転した歴史を持っています。この歴史の歩みが、薬師三尊像の「白鳳仏説」と「天平仏説」の論争を巻き起こしました。

すなわち、薬師三尊像が造立されたのは飛鳥時代なのか(白鳳仏説)、平城京遷都以降なのか(天平仏説)を示す記述が複数残されていることから、造立年代の詳細が現在でも不明です。しかし、どちらの説を採ってもこの薬師三尊像が当時の律令国家にとって重要な仏像であり、釈迦如来が主流の時代から薬師如来主流の時代の転換期となった物であることは間違いありません。

詳細データ

名 称
薬師寺(やくしじ)
住 所
〒630-8563 奈良県奈良市西ノ京町457
TEL
0742-33-6001
交通アクセス
「西ノ京駅」下車 徒歩3分
施設の詳細を見る

聖観世音菩薩像(薬師寺)

聖観世音菩薩像(薬師寺)

薬師寺東院堂の本尊が「聖観世音菩薩像(しょうかんぜおんぼさつぞう)」です。「薬師三尊像」と同様に正確な造立年代は不明ですが、同時期に作られた仏像であると考えられています。

均整の取れたプロポーションとしなやかな腕の描写は大変美しく、顔立ちも穏やかで端正に作られています。「薬師三尊像」の「日光菩薩」「月光菩薩」に見られる女性的な腰のひねりは、この聖観世音菩薩像には見られず、どことなく若い男性のような佇まいであることも特徴のひとつと言えます。

衣が薄く描写されているために、ひだの流れの下に足が透けて見えますが、これは古代インドのグプタ王朝の影響を受けたものであると言われています。グプタ王朝は、それまでのギリシアからの影響が濃く残されていたガンダーラ時代とは異なり、外国からの影響を排除した純インド風の仏教芸術が栄えた王朝であり、その文化が隋・唐といった中国の国家を経て日本に渡来したと考えられているのです。

左手を挙げている理由とは

左手を挙げている理由とは

一般的に聖観音菩薩が手を挙げた形を取る際は、右手を「施無畏印(せむいいん)」に挙げ、左手には「水瓶(すいびょう)」と呼ばれる瓶を持つ例が多いのですが、薬師寺の聖観世音菩薩像はその手の形が反対になっています。

左手を挙げる観音菩薩像と言えば、薬師三尊像の「月光菩薩」と同じですが、一説によればこの聖観世音菩薩像は薬師三尊の脇侍仏として作られたのではないかとも考えられています。

しかし、その学術的根拠や記述は発見されておらず、薬師寺の謎のひとつとして現在にも伝えられているのです。

詳細データ

名 称
薬師寺(やくしじ)
住 所
〒630-8563 奈良県奈良市西ノ京町457
TEL
0742-33-6001
交通アクセス
「西ノ京駅」下車 徒歩3分
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