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人に話したくなる神社・仏閣のお話「第四回」民話に出てくる怖い者の正体

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日本に伝わる民話・伝承において、妖怪や幽霊などといった怖い者の存在は欠かせません。「古事記」や「日本書紀」が書かれた8世紀以前は、神話と歴史が入り混じっており、神と妖怪、そして人間の境目は曖昧でした。
妖怪や幽霊など、人間ではない怖い者としての認識がされ始めたのは平安時代に入ってから。以来現代に至るまで、子どもだけでなく大人までも、恐怖に陥れているのです。

鬼

鬼

民話に出てくる怖い者の中でも最も有名で、最強なのが「鬼」。

人間の倍以上の背丈で、頭には1本あるいは2本のツノを生やし、毛深い体に虎の皮のふんどしを履いています。目をかっと見開き、大きな牙をむき出しにし、凶暴で人間を食べると言うのだからとても恐ろしい妖怪です。

当たり前のように怖い者の代表として知られる鬼ですが、いつから日本にいて、いつから恐れられるようになったのでしょうか。

鬼のルーツ

鬼のルーツ

古代から恐れられていた鬼ですが、元々「鬼」とは、目に見えない不思議な現象を起こす者のことをまとめて言った言葉でした。日本語の「おに」というのは「おぬ(隠)」が転じた物だと考えられており、「隠れていて姿の見えない物」という意味があると言われています。

日本で最も古く鬼の記録が残る物は、8世紀前半に書かれた「出雲国風土記(いずものくにふどき)」と日本最古の歴史書「日本書紀」です。
出雲国風土記には、「昔或人、此処(ここ)に山田を佃(つく)りて守(も)りき。その時、目一つの鬼来りて佃(たつくる)る人の男(をのこ)を食(くら)ひき」との記述があり、「目一鬼(まひとつおに)」というひとつ目の鬼が、両親の前で息子を食べたと書かれています。

また日本書紀には、天皇の葬儀の日に「鬼有(あ)りて、大笠を着(き)て、喪(も)の儀(ぎ)を臨(のぞ)み視(み)る。衆(ひとびと)、皆(みな)嗟怪(おかし)ぶ」との記述があり、鬼が山の上で葬儀の様子を眺めていたというさまが分かります。出雲国風土記の鬼は「怖い者」としての鬼の記述ですが、日本書紀の方は神や祖先の霊などといった意味の鬼の記述です。このように、8世紀前後の古代日本では「鬼」という存在がまだ曖昧であったことが分かります。

鬼の姿形の定着

鬼の姿形の定着

元々、姿が曖昧ではっきりしない存在であった鬼。しかし、平安時代末期から鎌倉時代にかけて広まった仏教の「地獄」の思想(悪いことをした人間は地獄に落とされ死後裁きにあう)から姿形が定着するようになりました。

今もお寺などで見ることのできる地獄絵図を眺めると、おなじみの赤鬼、青鬼、黒鬼が鉄の棒を片手に死者を押しつぶしたり切り刻んだりと、恐ろしい場面が多数描かれているのが分かります。今までの得体のしれない怖い存在であった鬼のイメージとこの地獄の思想が重なり、強くたくましいが恐ろしい、現代の鬼としての姿が民衆の間に広まっていったのです。

鬼が登場する民話

鬼が登場する民話

鬼の民話と言えば「百鬼夜行(ひゃっきやぎょう)」が出てくる話が多いでしょう。「百鬼夜行」とは、夜中に徘徊する鬼をはじめとする妖怪の群れ、行進のこと。特に平安時代から室町時代にかけての民話には百鬼夜行の描写が多く描かれていました。中でも有名なのが宇治拾遺物語や今昔物語の百鬼夜行。宇治拾遺物語には、修行僧が摂津の国の竜泉寺で100人もの化け物に出会ったとの話があります。

当時、百鬼夜行に遭遇すると魂を取られ死んでしまうという伝えがありましたが、この話ではお寺の不動明王に祈ったお陰で命は取られませんでした。また「こぶとりじいさん」のもととなった、同じく宇治拾遺物語に所収される「瘤取り爺」。こちらでも鬼の描写がされており、鬼が出てくる民話として有名です。

現在でも、子どもから大人まで誰もが知る「桃太郎」、「一寸法師」など鬼が出てくる民話は多数存在しています。これらは鬼を倒すことで、誰もが幸せになれるお話。また、春に行なわれる節分行事でも鬼は豆で退治されますが、退治することで家庭に福がやってきます。この考えは、鬼は良いことをもたらす神や祖先の霊でもあるといった、日本書紀にあるような古代日本の鬼の性質も残っているとも言われています。

天狗

天狗

鬼と並んで有名な日本の妖怪が天狗。特徴的な赤い顔と高い鼻を持ち、山伏の格好をしています。自由自在に空を飛ぶことができ、神通力も使いこなします。

手に持ったうちわで暴風を起こすこともあり、怒りっぽくて怖い妖怪です。鬼よりも人間に近い姿形をしており、大半が霊山に住んでいます。

天狗のルーツ

天狗のルーツ

日本で最も古い天狗に関する記述は「日本書紀」にあります。
そこには、雷のような音を立てて落ちた流れ星を、唐から帰国した寺の僧「旻(みん)」が「これはただの流れ星ではない、天狗である」と語ったということが書かれています。

元々中国では、不幸や事件を知らせる「流星」のことを天狗と呼びました。古代日本の天狗の意味は、現代の私たちが想像する天狗とはまったく違った存在だったのです。そんな古代の流星としての天狗ですが、この考えは日本に根付くことはなく、その後の書物に登場することはしばらくありませんでした。

再び登場したのは、平安時代に入ってから。「旧事本紀(くじほんぎ)」という神話や言い伝えを集めた書物に登場する、鼻の長い動物の頭と人間の体を持った「アマノザコガミ(天狗神)」が、現在の天狗のイメージにそっくりだと言われています。

天狗の成立

天狗の成立

その後、鎌倉時代から室町時代にかけて天狗は現在の山伏のような服装となり、鼻が高い人間のような顔へと変化していきます。これは日本で盛んだった山岳信仰「密教」の修験道が影響しています。

当時、厳しい修行を積み神通力を手に入れた修験者や、国から保護され権力を手に入れた寺の密教僧たちがおごり高ぶり、いつの間にか天狗に化けてしまったという伝説もあります。これが転じて、自慢に高じている人のことを「天狗になった」と言うようになりました。

天狗の行動

天狗の行動

江戸時代になると「天狗かくし」と呼ばれる人さらいの天狗の話が多く見られるようになります。鬼も人間をさらうことがありますが、目的は食べるため。しかし、天狗は食べるためではなく、家来のように自分の仕事を手伝わせるなど、各地を連れ回したあとに家に帰してくれることも多いとされています。

天狗かくし以外にも、突然笑い声が聞こえる「天狗笑い」や、空から石を降らす「天狗つぶて」、突然囃子の音が聞こえる「天狗囃子」、夜中に怪火を灯す「天狗の火」などユニークな行動が特徴的。

日本各地にこのような天狗にまつわる伝説や民話が残されています。
中にはあまりにも悪事をはたらく天狗に困った民衆が、天狗を神として祀ったことでいたずらが落ち着いたこともあるとされ、これらは天狗神社として、全国各地に存在しています。

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