滋賀県野洲市大篠原にある大笹原神社(社格は旧郷社)は、須佐之男命(すさのおのみこと)とその妻である櫛稲田姫(くしなだひめ)、2神の御子(みこ)である八柱御子神、宇多天皇、宇多天皇の御子(みこ)・敦實親皇(あつざねしんのう)、佐々木高綱公の6神を祀っています。ご利益には「厄除け」、「良縁」、「五穀豊穣」の効果があるとされ多くの信仰を集めています。
大笹原神社

(建造物)
歴史 History

大笹原神社の起源は定かではなく、平安時代986年(寛和2年)越知諸実氏が社領を寄進、社殿の造営を行ない、鎌倉時代1256年(康元元年)には篠原六郎光友が社殿の修復に携わりました。
その後、近江国(滋賀県)の守護大名、佐々木高綱公(平安時代末期から鎌倉時代初期の武将)の氏神として人々の信仰を集めてきました。1414年(応永21年)社殿再建の際に吉備(きび)国(岡山県)から須佐之男命(すさのおのみこと)、櫛稲田姫(くしなだひめ)を大笹原神社へ分霊。
その後も何度かの社領の寄進、社殿の修復が行なわれ、室町時代中期1414年(応永21年)鏡山近くの古城山に置かれていた岩倉城主であり、佐々木氏の末裔(まつえい)である「馬渕定信」が現在の社殿を再建。約50年毎に屋根のふき替えが行なわれ、現在まで社殿を維持しています。古くは「牛頭(ごず)天王総社」と呼ばれていましたが、明治時代に名称を現社号に改名し現在に至ります。
特徴 Characteristic

赤い鳥居をくぐり、参道を歩くと見えてくる境内には、拝殿、本殿の他、5つの境内社があります。
本殿に向かって左側にある「篠原神社本殿(御祭神は石凝姥命(いこりどめ)」は1425年(応永32年)に建立され、1931年(昭和6年)に国の重要文化財に指定。
春日造(春日大社に特徴的な神社建築様式)の社殿が美しい篠原神社の建築様式は、小さいながらも高欄(こうらん)付きの縁をめぐらした凝った造りになっています。
大篠原は粘り気の強い良質のもち米が収穫できることから「鏡餅」の発祥の地としても知られ、古くは東山街道(江戸時代は中山道)を行き交う人々に名物の餅がもてはやされたことから鏡餅の元祖を祀った神社(別名「餅の宮」)として親しまれています。
拝殿の奥に佇(たたず)む本殿は京都金閣寺の10年後、1414年(応永21年)に建てられ、中世神社における傑作の1つとして国宝に指定。社殿は三間社流造様式(さんげんしゃながれづくり)で、屋根は桧皮葺(ひわだぶ)きの入母屋造です。
向拝や母屋の柱間にある蟇股(かえるまた)と呼ばれる蛙が股を広げたような建築部材や、建具の格子に花模様をあしらった花狭間の格子戸、上部の欄間(らんま)には透かし彫りを施し、本殿側部に立つ脇障子には花模様の浮き彫りなど、規模は小さいながらも見応え十分な装飾の数々は華やかながらも落ち着きのある東山文化の様式を存分に感じることができる貴重な神社です。
拝殿の横にある木々に囲まれた庭には「寄部池(よるべいけ)」と呼ばれる池があります。その昔、日照りが続き干ばつに見舞われた際、大笹原の人々が雨乞いのために神輿(みこし)を2基沈めて祈願したところ、どんな日照りの日でも、この池の水は枯れることなく水を湧き続けるようになったと言う伝説を持つことから、大笹原神社は水神の神社としても信仰を集めており、拝殿の前では幾度となく雨乞いの神事が執り行なわれていたと伝えられています。