四国八十八ヶ所第52番札所太山寺(たいさんじ)は、愛媛県松山市にある真言宗智山派(しんごんしゅうちさんは)の寺院です。本尊は「十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)」が鎮座。「四国八十八ヶ所(しこくはちじゅうはっかしょ)」・「伊予十三佛霊場(いよじゅうさんぶつれいじょう)」のひとつ。「本堂」は国宝、「仁王門」は重要文化財に指定されています。
太山寺(第52番札所)

(建造物)
歴史 History

太山寺の創建は、真野長者による「一夜建立のお堂」伝説が残されています。586年(用明2年)豊後国(ぶんごのくに)の真野長者と言う者が、大阪へ船で商いに向かう途中、高浜沖で嵐に襲われました。長者は命が助かるように、観音菩薩へ祈ったところ山頂から光が射し込み、高浜岸に無事に漂着。光が輝いていた山頂へ登ると、そこには十一面観音菩薩が祀られていました。「命を救って下さったのは、この観音様に違いない」と感謝した長者は、豊後へ戻ったあと木組みを整えて、高浜へ運び入れ一夜にしてお堂を建立したと言い伝えられています。
733年(天平5年)、聖武天皇の命により、僧侶・行基が本尊として十一面観音菩薩を刻んで祀ると、孝謙天皇(こうけんてんのう)・後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)など歴代の天皇が十一面観音像を奉納、朝廷から篤く信仰されるようになります。最盛期には壮大な七堂伽藍と66の子院を抱える大寺院へと発展。多くの人々から信仰を集めていきます。
天長年間(824~834年)には、弘法大師・空海がこの地に訪れ、法相宗から真言律宗へ改宗。中世には伊予国の守護大名・河野氏、近世には松山藩主・加藤氏から保護を受け、太山寺は栄えていきます。
特徴 Characteristic

太山寺は松山港を見下ろす経ヶ森(きょうがもり)の中腹に位置する寺院です。参道を進み、山門をくぐった先にあるのが、重要文化財に指定されている「仁王門」。本堂と同時期の鎌倉時代に建立され、入母屋造り本瓦葺き3間1戸の八脚門で左右には金剛力士像(こんごうりきしぞう)が安置されています。
仁王門を越えて、さらに参道を上がり「三の門」をくぐると「本堂」が見えてきます。本堂は1305年(嘉元3年)に建立。大きさは、桁行(けたゆき)7間・梁間(はりま)9間と規模が大きく、横幅より奥行きの方が大きくなっている珍しい構造。中世密教仏堂において、日本最大規模の仏堂として国宝に指定されています。
建築様式は日本古来の建築様式「和様」を基調としながらも、宋から伝わった「禅宗様」・「大仏様」の特徴も随所に見られる「折衷様式」。本堂軒下の組物は出組(でぐみ)、本蟇股(ほんかえるまた)の正面は透かし彫りが施されています。側面・背面は間斗束(けんとづか)・建具の前面は蔀戸(しとみど)。それ以外は桟唐戸(さんからど)が付けられています。
内部は、中世密教仏堂の典型的な構造。仏像を安置するための内陣と参拝するための外陣を菱欄間(ひしらんま)と格子戸(こうしど)によって2つに分けています。天井は小組天井で、建物の周囲1間のみ天井を張らずに垂木(たるき)をそのまま見せる化粧屋根裏。床は、内陣のみ床を張らない土間になっています。
内陣には、横長の宮殿厨子(ぐうでんずし)が安置。その上には重要文化財に指定されている、本尊の「十一面観音立像(じゅういちめんかんのんりつぞう)」に加えて歴代の天皇から奉納された6体の「十一面観音立像(重要文化財)」が祀られています。仏像はすべて秘仏であり、通常は拝観することができません。
他にも境内に建てられている「聖徳太子堂」は、かつて聖徳太子が伊予の国を訪れ太山寺を参拝した縁から、聖徳太子堂には法隆寺・夢殿に祀られている聖徳太子像と同じ像が堂内に祀られています。