ご希望の神社・寺院情報を無料で検索できます。ホームメイト・リサーチTOP

神社・寺院

神社・寺院情報

室町時代・安土桃山時代に創建した神社/ホームメイト

室町時代及び安土桃山時代は、戦国の梟雄達が覇権を競った時代。特に「豊臣秀吉」が行った天下統一に伴う集中的封建体制は、神社に対しても実施されました。太閤検地は神社に対しても行われ、領地を没収のうえ朱印状による石高をもって、これを全国の神社に寄付。兵力で政治に干渉する社寺は弾圧する一方、そうではない社寺、特に困窮した社寺は熱心に保護しました。このことから、神社の発展に寄与した時代だと言えるでしょう。
なかでも有名な神社は、「鹿島神宮」(かしまじんぐう:茨城県鹿嶋市)、「長草天神社」(ながくさてんじんじゃ:愛知県大府市)、「豊国神社」(とよくにじんじゃ:京都市東山区)。室町時代・安土桃山時代に創建したこれら3つの神社について、歴史や見どころなどを詳しくご紹介します。

鹿島神宮

鹿島神宮の歴史

鹿島神宮

鹿島神宮は、日本建国・武道の神様である「武甕槌大神」(たけみかづちのかみ)を祀る、神武天皇元年創建の神社です。創建については諸説ありますが、神宮側では神武天皇元年に初めて宮柱を建てたとし、創建年として決定。これは、1425年(応永32年)に書かれた古文書に記載があるからです。

最初の天皇である「神武天皇」(じんむてんのう)は東征の半ばで窮地に陥ったものの、武甕槌大神の「韴霊剣」(ふつのみたまのつるぎ)の神威により救われました。天皇はこれに感謝して、即位するときに大神をこの地に勅祭したと言われています。

奈良・平安時代の頃には国の守護神として篤く信仰されるようになり、20年に一度、社殿を建て替える式年遷宮(しきねんせんぐう)も実施。そして中世から近世になると、鎌倉幕府の開祖「源頼朝」(みなもとのよりとも)も武神として祀られました。

室町時代には、武家政権の神領寄進が行われながらも在地勢力による侵犯が横行。しかし、江戸時代に徳川幕府から敬われ、1605年(慶長10年)には「徳川家康」により本殿(現・摂社奥宮の社殿)が造営されました。

明治時代以降は近代社格制度において官幣大社に、戦後は神社本庁の別表神社に列しています。2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震と余震により、倒壊した部分については修復。その後、大規模な発掘調査が行われ、奈良時代に遡る遺物が発掘されており、社殿・奥宮・楼門は重要文化財に指定されています。

また、12年に一度執り行われる御船祭という行事が存在。これは天皇陛下の勅使をお迎えする例祭に続き、鹿島神宮御祭神の武甕槌大神が約3,000人の大行列・約120艘の大船団と共に巡幸して、香取神宮御祭神の経津主大神と水上で出会う大掛かりな祭典です。直近では平成26年9月1~3日にかけて執り行われました。御船祭以外にも、年間90もの催しや年中行事が行われています。

鹿島神宮の見どころ

社殿

鹿島神宮

主要社殿は、本殿・石の間・幣殿・拝殿。本殿は徳川家康、残りは第2代「徳川秀忠」の命によって、江戸時代初期の1619年(元和5年)に造営。本殿は漆塗りで柱頭・組物などに力強い極彩色が施されているのが特徴です。本殿の背後には樹齢1000年とも言われる杉の神木が立っています。

境内の参道にある桜門も、見どころのひとつ。「日本三大楼門」のひとつに数えられています。

楼門は水戸徳川初代藩主の「徳川頼房」(とくがわよりふさ)が奉納。朱色の漆塗りが特徴で、現在は重要文化財に指定されています。

鹿園

境内にある鹿園では、約30頭の日本鹿が飼育。鹿の神である「天迦久神」(あめのかくのかみ)が、天照大御神の命を武甕槌大神に伝える重要な役割を担ったことから、日本鹿は神の使いと言われています。

明治初年頃まで、奈良の春日大社と同様に「神鹿」として飼育。以前、「香島」という名前が付けられた神宮の名前が「鹿島」に変わったのも、神使と言われる鹿に由来しています。

要石

要石(かなめいし)は境内の東に位置する霊石。かつては地震が地中に住むナマズが起こすものだと考えられていた頃、そのナマズを押さえ付けるための守り神として祀られたと言われています。見た目の地上に出ている部分は直径30cm、高さ7cmほど。しかし、地中に深く入り込んでおり、決して抜くことはできません。

水戸のご老公「徳川光圀」(とくがわみつくに)は、どのくらい深くまで埋まっているのか確かめようとして7日7晩掘らせました。しかし、いつまで経っても辿り着くことができなかっただけでなく、怪我人が続出して諦めたと「黄門仁徳録」に記されています。

長草天神社

長草天神社の歴史

長草天神社

長草天神社は、1494年(明応3年)に知多郡英比ノ荘の地頭であった「藤田民部」(ふじたみんぶ)が、長草を開墾させて「菅原道真」(すがわらのみちざね)を祀ったのが始まり。

この地がかつて、英比ノ庄(あぐいのしょう)に属していたために、菅原道真の孫である「菅原雅規」(すがわらのまさのり:幼名「英比丸」[あぐいまる])も祀られています。菅原道真が学問の神様であることは広く知られており、合格祈願のために全国から参拝者が多く訪れる場所です。

長草天神社の見どころ

どぶろくまつり

どぶろく祭

長草天神社の例祭は、創建された1494年(明応3年)から行われ500年も継続。室町時代から続くこのお祭りは、毎年2月25日の直前の日曜日に実施され、長草天神社の例祭として「どぶろくまつり」が行われています。

藤田民部が寄進した田から収穫された米でどぶろくを製造して、氏子や参拝者に振る舞ったのがこの祭りの始まりです。

どぶろくまつりは奇祭と言われており、大府市無形民俗文化財に指定。ここで振る舞われるどぶろくを飲むと、1年中無病息災でいられるとされています。1665年(寛文5年)頃にお酒の醸造を一旦中止したことがあるのですが、疫病が広まってしまいました。

その後、3年ほどしてどぶろくまつりが再開。赤い顔をした猩猩(しょうじょう)がバリン(竹の棒)を手に持ち、神社周辺を歩き回ります。このバリンで叩いてもらうことでも1年間無病息災でいられるとされ、頭を叩いてもらえば賢くなれるとも言われているのです。

どぶろく酒造所

どぶろく酒造所は境内にあり、6つの酒元組が輪番でどぶろくを醸造。ここで醸造されたどぶろくを「どぶろくまつり」で参拝者に振る舞います。

1月上旬に、2月のどぶろくまつりに向けて醸造が開始。どぶろくまつりが終了する17時に醸造の道具が引き渡されますが、これを「とうわたしの儀」と言い、お祭りのラストを飾っています。

菅原道真の歌碑

長草天神社には、学問の神様として知られる菅原道真が愛した梅の花が1本植えられており、その傍には歌碑が建立。歌碑には、菅原道真が太宰府に流されるときに読まれた歌が刻まれています。

「こちふかば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春なわすれそ」とあり、合格祈願で参拝した受験生に配られるボールペンに印字されていることで有名です。

豊国神社

豊国神社の歴史

豊国神社

1598年(慶長3年)9月18日に亡くなった豊臣秀吉は、「新八幡」として祀ることを遺言。比叡山(滋賀県大津市)から稲荷山まで続く、東山連峰の秀峰「阿弥陀ヶ峰」(あみだがみね)に埋葬されました。

しかし、その遺志に反して「後陽成天皇」(ごようぜいてんのう)により、「豊国大明神」の神号を与えられます。そして「豊国社」(とよくにのやしろ)が建立したのが、豊国神社の始まり。日本最初の権現造りで、壮麗かつ雄大な社殿です。

豊臣家が滅亡したことをきっかけに、豊国社は徳川幕府によって取り壊され、豊国大明神の名も剥奪。江戸時代の間ずっと、再興されることはありませんでした。

1868年(慶応4年)、「明治天皇」は豊国神社の再興を勅命。これは、豊臣秀吉の「尊皇の精神」を高く評価したからです。1875年(明治8年)に東山の地に社殿を建立。1897年(明治30年)には、神社境外地の阿弥陀ヶ峰山頂に巨大な「石造五輪塔」が建てられました。

1898年(明治31年)には、豊太閤三百年祭が大々的に挙行。この工事のときに、土中から素焼きの壷に入った、豊臣秀吉の遺骸と思われる物が発見されました。遺骸は丁重に再埋葬されたと言われ、豊臣秀吉はいまなお阿弥陀ヶ峰山頂から京都の街を見守っています。

豊国神社は、足軽から天下人まで上り詰めた豊臣秀吉にちなみ、出世開運や仕事運の神様として全国から多くの人々が参拝。お守りや絵馬には、豊臣秀吉の馬印(馬標)に用いられた瓢箪の形が多く使われているのが特徴です。

京都の豊国神社は「とよくにじんじゃ」と読みますが、大阪にある「豊國神社」は「ほうこくじんじゃ」と読みます。どちらも同様に豊臣秀吉を祀っています。

豊国神社の見どころ

唐門

豊国神社

唐門は、境内へ進むと目に飛び込む正面の豪華な門です。豊国神社の唐門は、安土桃山時代の文化を代表する建築のひとつとして国宝に指定。

もともとは、豊臣秀吉が暮らしていた「伏見城」(京都府京都市伏見区)にありました。門には「鯉の滝登り」が彫られており、ここをくぐると立身出世のご利益があると言われています。

伏見城から「二条城」(京都府京都市中京区)へ、二条城から「金地院」(こんちいん:京都府京都市左京区)へ移されました。そして最終的には豊国神社に移築され、一度は豊臣秀吉と離れた唐門は豊臣秀吉のもとに戻っています。

宝物館

「宝物館」では、神社が所蔵する豊臣秀吉ゆかりの品々を展示。桃山造り風の建物は、1925年(大正14年)の開館時から存在し、当時の最新鋭だった鉄筋コンクリート製です。歴史に残る貴重な近代建築と言えるでしょう。

豊臣秀吉が使用していた品や高台寺蒔絵の作品・武具など、日本文化の中でも特に豪華絢爛だった桃山時代の品々を中心に所蔵・公開。また、豊臣秀吉の歯などの遺品も所蔵・公開されています。

貞照神社

「貞照神社」は1925年(大正14年)、豊国神社本殿の南隣に創建され、豊臣秀吉の正室「北政所」(きたのまんどころ)を祀っている神社。

通常、豊国神社は唐門から先に進むことはできず、豊国神社本殿やその隣の貞照神社の前まで行くことはできません。しかし、毎年正月三が日のみ唐門が開放されるため、近くまで行って参拝可能です。

貞照神社に参拝すると、男性の場合は出世できる心強い女性パートナーと出会え、女性の場合は男性の出世を支えられるご利益があるとされています。

ページ
トップへ
ページトップへ