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神社・寺院

神社・寺院情報

奈良時代に創建した神社/ホームメイト

奈良時代には律令制度が整い、神社を鎮守の守として全国各地に祀りました。神社は人々が一堂に集まる場所でもあったので、時の権力者は神社を組織化して人々を掌握。近世とは異なり神社が政治利用されていた時代だったため、政治と結びついた神社が大々的に発展したのです。
奈良時代に創建された神社の中でも有名な「春日大社」は奈良県奈良市春日野町にある神社で、ユネスコの「古都奈良の文化財」に登録。「伏見稲荷神社」は、京都市伏見区深草にある神社で、全国に約3万社あると言われる稲荷神社の総本社です。そして、神田明神は東京都千代田区外神田二丁目にある神社。日光二荒山神社は栃木県日光市にある世界遺産に登録された神社です。
奈良時代に創建した春日大社、見稲荷神社、神田明神、日光二荒山神社の4つの神社について詳しくご紹介します。

春日大社

春日大社の歴史

春日大社

社伝によると、768年(神護景雲2年)に「藤原永手」(ふじわらのながて)によって鹿島を祀る「武甕槌命」(たけみかづちのみこと)、香取を祀る「経津主命」(ふつぬしのみこと)と、「枚岡神社」(大阪府東大阪市)が祀る「天児屋根命」(あめのこやねのみこと)「比売神」(ひめがみ)を合わせて、御蓋山(みかさやま)の麓に4殿からなる社殿が造営されたことが、春日大社の創建の経緯だとされています。

また、平城京(奈良県奈良市・大和郡山市)に遷都がなされた710年(和銅3年)に「藤原不比等」(ふじわらのふひと)が武甕槌命を春日の御蓋山に祀り、春日神と称したことが創建とする説もありますが、いずれにせよ神社創建の過程で藤原氏が大きくかかわっていたことには変わりありません。

平安京(京都府京都市中心部)に遷都された平安時代においても藤原氏は栄華を極めたため、春日大社はますます繁栄。鎌倉時代から江戸時代にかけては、政治の中心が武士に移り変わったため、かつての栄華も影をひそめましたが、関係の深かった「興福寺」(奈良県奈良市)のおかげで一定の繁栄を保つことができました。この時期、多くの寺院がたび重なる戦災や火災の被害を受けるなか、その影響をほとんど受けなかったことも繁栄の一因です。

明治時代に入った1871年(明治4年)に春日神社へと改称。同時に官幣大社(かんぺいたいしゃ:当時の国・朝廷が財政的に支援する神社)として「官幣大社春日神社」となりました。

しかし、1946年(昭和21年)12月に近代社格制度(明治維新以降、新たに神社を等級化した制度)が廃止され、官幣大社という名称が外れて春日神社の名のみが残りましたが、他の春日神社と混同されてしまうことを防ぐため、春日大社へ改称します。

春日大社の見どころ

一之鳥居

春日大社

一之鳥居は836年(承和3年)に造られたと言われており、1634年(寛永11年)に再建。高さは7.75mあり、「気比神宮」(けひじんぐう:福井県敦賀市)や「厳島神社」(いつくしまじんじゃ:広島県廿日市市)の大鳥居に並ぶ「日本三大鳥居」のひとつ。「春日鳥居」という、代表的な鳥居の形をしています。

本殿

4棟並んで建っている本殿は、すべて春日造。神社建築において社殿の一部、または全部を一定年限ごとに建て替える制度である「式年造替」(しきねんぞうたい)により、平安時代末頃の建築様式を受け継いでいます。拝殿はないため、一般の参拝者は本殿前の中門から参拝。第一殿から第四殿まですべて国宝で、1863年(文久3年)に建立されました。

それぞれ異なる祭神を祀っており、第一殿は武甕槌命、第二殿は 経津主命、第三殿は天児屋根命、第四殿は比売神です。

国宝殿

1973年(昭和48年)に建てられた「宝物殿」を2016年(平成28年)にリニューアル。これが国宝殿となりました。春日大社に伝わる神宝類や貴族・武士奉納の甲冑(鎧兜)・日本刀など、国宝や重要文化財の宝物約3,000点を収蔵・展示しています。

伏見稲荷大社

伏見稲荷大社の歴史

伏見稲荷大社

伏見稲荷大社の創建については諸説ありますが、711年(和銅4年)2月初午の日に、「秦伊呂具」(はたいろぐ)が稲荷山の三ヶ峰(みつがみね)に「稲荷大神」を祀ったことが創建だという説が有力です。

平安時代には、「弘法大師」(こうぼうだいし)が稲や農業の神であった稲荷神を東寺の守護神として迎えたことがきっかけとなり、稲荷信仰が全国に広まりました。

室町時代には「応仁の乱」(おうにんのらん)により社殿が焼き尽くされてしまいましたが、勧進(かんじん:寺社や仏像の建立、修繕などのために寄付を募ること)が行われたことによって修復。1589年(天正17年)に「豊臣秀吉」が大規模な寄進を行い、楼門の建立が行われました。

江戸時代になると、社会の発展と共に稲荷信仰が爆発的な人気となりました。大名や旗本などの武士が「無病息災・子孫繁栄」を願ったり、商人が「商売繁盛」のご利益を期待したりするようになったのです。なお、通常の稲荷神社と混同を避けるため、伏見稲荷大社と改称されました。

伏見稲荷大社の見どころ

千本鳥居

千本鳥居

伏見稲荷大社最大の見どころである「千本鳥居」は、まるで朱色のトンネルのような幻想的な美しさで、海外の旅行者からも人気が高い名所。

江戸時代に、願いと感謝を込めて建てられたのが千本鳥居の始まりだと言われています。

伏見稲荷大社の神使とされる動物は狐で、境内に数多く鎮座。

様々な時代に作られたので1体ずつ表情が異なり、それぞれ「玉」や「鍵」、「巻物」、「稲穂」などを咥えています。

楼門

伏見稲荷大社の楼門は、天下を統一した戦国大名である豊臣秀吉によって、1589年(天正17年)に建立されました。臥せっていた母親の病が寛解したことへの感謝として寄進。重要文化財に指定されています。

ご本殿

ご本殿は、「稲荷造り」と呼ばれる建築様式の重要文化財。檜皮葺に唐破風の屋根が特徴です。五穀豊穣を司る五柱の神様がひとつに合祀する形で祀られています。

本殿は応仁の乱によって焼け落ちましたが、1499年(明応8年)に再興。桃山風の豪華な彫刻も見どころです。

神田明神

神田明神の歴史

神田明神

神田明神は730年(天平2年)、武蔵国豊島郡芝崎村(東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に入植した出雲系の氏族である「大己貴命」(おおなむちのみこと)の子孫、「真神田臣」(まかんだおみ)によって創建。神田は、もともと伊勢神宮の御田(おみた:寺社や皇室などが所有する領田のこと)があった場所でした。

935年(承平5年)に「平将門の乱」(たいらのまさかどのらん)で敗死した「平将門」(たいらのまさかど)の首が近くに葬られ、その首塚は東国(関東地方)の平氏武将の崇敬を受けたのです。

嘉元年間(14世紀初頭)に疫病が蔓延した際は、その原因を平将門の祟りであるとして供養が行われ、1309年(延慶2年)に祀られました。平将門神に祈願すると勝負ごとに勝てると言われています。

江戸時代には「江戸総鎮守」として、徳川幕府を始め江戸庶民にも敬われ、明治時代になってからは東京の守護神として存在。関東大震災では社殿が消失してしまいましたが、1934年(昭和9年)に鉄骨鉄筋コンクリートで総朱漆塗の社殿が再建。第二次世界大戦中の東京大空襲も耐え抜きました。現在ではアニメ文化の聖地巡礼を受けるようになり、多くの人に親しまれています。

神田明神の見どころ

社殿

権現造りの社殿は、近代神社の建築を手掛けていた建築家の「伊東忠太」(いとうちゅうた)や「大江新太郎」(おおえしんたろう)、「佐藤功一」(さとうこういち)らによって建造。

当時の建築としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリートで頑丈な造りだったため、たび重なる災害も耐え抜くことができたのです。江戸開府400年である2003年(平成15年)には、国の有形文化財に登録されています。

さざれ石

神田明神の境内には、君が代の歌詞でも歌われるさざれ石が設置。さざれ石とは、小さな小石が集まりひとつの大きな岩となった物であり、永久に続く団結や繁栄の象徴です。隣には、神田明神のご神木である大イチョウがあります。

神田明神文化交流館 EDOCCO

アニメ文化の発信地である秋葉原が近くにあり、神田明神はアニメの聖地巡礼の地として知られるようになりました。2018年(平成30年)12月15日、神田明神文化交流館「EDOCCO」(エドッコ)が境内に開館。

2029年(令和11年)に「創建千三百年奉祝の年」を迎えるため、その記念事業の一環として敷地内に建てられました。700人収容可能な多目的ホール「神田明神ホール」や物販、飲食スペースなどを備えています。

日光二荒山神社

日光二荒山神社の歴史

日光二荒山神社

日光二荒山神社の創建は、「勝道上人」(しょうどうしょうにん)が767年(神護景雲元年)に二荒山(男体山)の神を祭る祠を建てたことだとされています。

782年(延暦元年)、勝道上人は二荒山に登頂した際、奥宮を建てて二荒修験を開始。その後、神仏習合の霊場として栄え、日光山信仰の始まりとなりました。

鎌倉時代には山岳信仰が最盛期を迎えたと示唆されており、このときに神社祭礼も確立されたと言われています。

しかし、戦国時代には後北条氏に加担したため、豊臣秀吉に領地を没収され衰退。その後、江戸時代に入り、「徳川家康」の側近で天台宗の僧「天海」(てんかい)によって徳川家康を祀る「東照社(日光東照宮)」を徳川幕府が創建すると、日光二荒山神社も朝廷や大名、民衆からも敬われるようになりました。

主祭神は招福や縁結びの神様である「大己貴命」(おおあなうちのみこと)であり、縁結びのご利益があるとして人気。多くの参拝者が訪れます。

日光二荒山神社の見どころ

本社

日光二荒山神社は、日光三山を含む日光連山8峰や華厳滝いろは坂などを境内配置し、その広さは3,400ha。伊勢神宮に次いで2番目の広さを誇る神社です。

本社は日光東照宮の西奥にあり、日光にある社寺のうちでは最奥の位置。1617年(元和3年)の東照宮造営の際に移転し、社殿も新しくなりました。

八棟造の本殿や入母屋造の拝殿を始めとして、11棟が国の重要文化財に指定。「化灯籠」(ばけどうろう)と呼ばれる銅灯籠(国の重要文化財)は、火を灯すと怪しげな姿に化けたと言われており、警護の武士によって日本刀で斬り付けられた傷が多く残されています。

夫婦杉

本社の鳥居をくぐるとすぐに見えてくるのは、大きな夫婦杉。この夫婦杉は2本の根元が繋がっており、夫婦円満のご利益があると言われ、パワースポットとしても有名です。また、縁結びの御神木である楢の木もあり、ご利益を求めて多くの参拝者が訪れます。

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