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神社・寺院

神社・寺院情報

平安時代に創建した神社/ホームメイト

平安時代というひとつの時代の中でも信仰が大きく変化し、様々な神社が創建。初期頃までの神社信仰は、各々の土地の氏神信仰が主流でしたが、中期頃からは御霊信仰(ごりょうしんこう:天災や疫病の発生について、怨みを持って死んだ人間の霊の仕業であるとし、その霊を鎮めて神として祀る考え方)によって、稲荷や八幡・天神・伊勢といった各社が勧請(かんじょう:神仏の分身や分霊を他の地に移して祀ること)され、各地に広がりを見せていきました。

今回ご紹介する4つの神社も、平安時代初期から中期にかけての信仰の変化を感じ取れるところばかり。勧請によって、主祭神が同じであるため、各地の神社間に繋がりが生まれました。

また、歴史的に貴重な建造物として評価され、国宝や重要文化財として認定されているのです。平安時代に何が起き、どのような歴史の中で神社が建てられていったのか、そして、それぞれの神社にどのような見どころがあるか詳しくご紹介します。

北野天満宮(京都府)

北野天満宮」は、「菅原道真」(すがわらのみちざね)を主祭神としてお祀りする全国約12,000社の天満宮、天神社の総本社。平安時代中期に創建されました。

北野天満宮の歴史

北野天満宮 御本殿

関白太政大臣となった「藤原時平」(ふじわらのときひら)の讒言(ざんげん:事実と異なることを作り上げ、目上の人に悪く伝えること)によって、菅原道真は左遷。903年(延喜3年)に菅原道真が大宰府(現在の福岡県太宰府市、筑紫野市)で没したのち、都(現在の京都府)では落雷などの災害が相次ぐことに。これらの災害は御霊信仰と結びつき、菅原道真の祟りであるとして恐れられたのです。

942年(天慶5年)、都に住む少女「多治比文子」(たじひのあやこ)に託宣(たくせん:神が人に乗り移ったり、夢の中に出現したりして意志を伝えること)があり、5年後の947年(天暦元年)にも近江国(現在の滋賀県)に住む幼児「太郎丸」に同じ託宣がありました。

このような事態を受け、多治比文子や近江国の比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧「最珍」らが神殿を建て、菅原道真を祀ったのが北野天満宮の始まりです。

北野天満宮の見どころ

梅仕事

梅仕事とは、境内の梅にかかわる仕事のことを言い、神職や巫女、職員が総がかりで行っている業務。北野天満宮には菅原道真ゆかりの梅が50種、約1,500本植えられており、「天神さまのご神徳が宿る」と言われています。

正月の縁起物として大人気の品種「大福梅」や「思いのまま」は神職や巫女、職員が長い期間をかけて作っているのです。なかでも「思いのまま」は、ひとつの枝に紅白の花が咲くという珍しい品種。縁起物として購入し、家で楽しむのも良いですが、境内に咲いているたくさんの「思いのまま」を鑑賞するのもおすすめです。

国宝社殿

社殿は、総面積約500坪の雄大な檜皮葺屋根(ひわだぶきやね)で作られています。建物内は、本殿と拝殿が石畳の廊下でつながっており、本殿の西に脇殿、拝殿の両脇に楽の間がある構造。この構造は八棟造あるいは権現造りと称され、神社建築の歴史を伝える貴重な建築物として国宝に指定されています。

宝物殿

北野天満宮は創建以来、皇室や公家・武家・商人達が持つ数多くの宝物が奉納されてきました。国宝に認定されている「北野天神縁起絵巻 承久本」の複製品や古文書、日本刀などといった美術的にも価値のある工芸品が収蔵。貴重な文化遺産を鑑賞できる場所ですので、興味のある方はぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

鶴岡八幡宮(神奈川県)

鶴岡八幡宮」は、「応神天皇」(おうじんてんのう)や「比売神」(ひめがみ)、「神功皇后」(じんぐうこうごう)を主祭神として祀る神社。「鎌倉八幡宮」とも呼ばれています。平安時代後期に創建されました。

鶴岡八幡宮の歴史

鶴岡八幡宮

1063年(康平6年)に河内国(現在の大阪府東部)を本拠地とする河内源氏の2代目「源頼義」(みなもとのよりよし)が京都府にある「岩清水八幡宮護国寺」を、鎌倉の由比郷鶴岡に「鶴岡若宮」として勧請したことが鶴岡八幡宮の始まり。

1081年(永保元年)には河内源氏の3代目「源義家」(みなもとのよしいえ)が修復を加え、1180年(治承4年)に河内源氏の後裔である「源頼朝」(みなもとのよりとも)が鎌倉の地に遷しました。以後、鎌倉幕府の中枢となる施設を設備していき、守護神として篤い崇敬を受ける宮となったのです。

鶴岡八幡宮の見どころ

大石段

大石段

大石段とは、鶴岡八幡宮の象徴である正面参道の大きな石段のこと。61段の大石段を上ると「本宮」(上宮)に辿り着き、鶴岡八幡宮から由比ヶ浜まで鎌倉の街を一望できます。

特に、空気が澄んだ晴れの日には太平洋や伊豆大島まで見えるため、絶景スポットとして人気のある場所です。

柳原神地(やないはらしんち)

柳原神地は、池の周りに柳が生い茂り、柳の名所だったことにちなんで名付けられたと伝えられている場所。紅葉の名所として知られ、秋になると美しいモミジやイチョウが楽しめます。

6月下旬には「蛍放生祭」、9月には「鈴虫放生祭」を開催。柳原神地は、命の尊さや自然を感じられる隠れた名スポットです。

本宮(上宮)

本宮(上宮)は1191年(建久2年)に造営され、1828年(文政11年)に徳川幕府第11代将軍「徳川家斉」(とくがわいえなり)が再建しました。

建築様式は流権現造(ながれごんげんづくり)で、国の重要文化財に指定。祀っているのは主祭神の応神天皇や比売神、神功皇后です。町で起こる火災が本殿まで及ぶことがないよう、61段ある大石段を上った先に作られたと言われています。

石清水八幡宮(京都府)

石清水八幡宮」は、「誉田別命」(ほんだわけのみこと:応神天皇の本名)や「比咩大神」(ひめおおかみ)、「息長帯姫命」(おきながたらしひめのみこと:神功皇后の本名)を主祭神として祀る神社。平安時代前期に創建されました。

石清水八幡宮の歴史

石清水八幡宮

859年(貞観元年)、「南都大安寺」の僧である「行教」(ぎょうきょう:空海の弟子)が、豊後国(現在の大分県)の「宇佐神宮」で「われ都近き男山の峰に移座して国家を鎮護せん」と、八幡大神から託宣を受けました。

そして、860年(貞観2年)に「清和天皇」(せいわてんのう)が「石清水寺」の境内に八幡造の社殿を作ったのが、石清水八幡宮の始まり。その後、清和源氏の足利氏や徳川氏、今川氏、武田氏などの源氏諸氏族から氏神として崇敬され、鶴岡八幡宮など多くの八幡宮に勧請されることとなりました。

石清水八幡宮の見どころ

タブの木

タブの木は、石清水八幡宮の「高良神社」にあり、厄除けの木として古くから信仰されてきた存在。樹齢約700年を誇り、高良神社の御神木として地元の人々から大切にされています。

一ッ石

一ッ石

本殿へ続く石敷になった参道の三ノ鳥居付近中央には、自然石が露出している部分があり、「一ッ石」・「勝負石」・「お百度石」などと呼ばれています。

昔はこの石をスタート地点として、馳馬(はせうま)や競馬(きそいうま)をしていました。そこから「ひとつ目の石=一ッ石」と名付けられたと言われています。

八幡造り御本殿

859年(貞観元年)に清和天皇による勅命を受け、木工寮権允「橘良基」(たちばなのよしもと)は六宇の宝殿と八幡造りの社殿を完成。1634年(寛永11年)には、徳川幕府第3代将軍「徳川家光」(とくがわいえみつ)が社殿を修造しました。

御本殿は、随所に当時の名工の極彩色彫刻が施されている社殿であることから、本社10棟と附(つけたり)棟札3枚が国宝に指定。

また、南総門から御本殿を見てみると、向きが少し傾いていることが分かります。参拝の帰りに神様に向かってお尻を向けてしまわないよう工夫されており、細かなところにも主祭神への気配りが感じられる場所です。

太宰府天満宮(福岡県)

太宰府天満宮」は、菅原道真を主祭神としてお祀りする天満宮のひとつで、京都府の北野天満宮と並んで全国約12,000社の天満宮、天神社の総本社です。平安時代中期に創建されました

太宰府天満宮の歴史

大宰府天満宮

北野天満宮のところでご紹介したように、菅原道真は藤原時平の讒言によって太宰府へ左遷され、903年(延喜3年)に死去。門弟が菅原道真の亡骸を牛車に乗せて「安楽寺」へ運ぼうとしたところ、牛が伏して動かなくなりました。

「ここに留まりたいという菅原道真の遺志だ」と考えた門弟は、安楽寺の境内に廟(びょう)を建立し、埋葬したと言われています。

一方、都では疫病や天災が起き、藤原時平が39歳の若さで死去。不吉なことが続くのは菅原道真の祟りだと考えられ、「醍醐天皇」(だいごてんのう)の勅を受けた「藤原仲平」(ふじわらのなかひら)が太宰府へ向かい、919年(延喜19年)に社殿が建立されました。

「安楽寺天満宮」と名付けられた社殿は、のちに「太宰府天満宮」と名称が変わります。

太宰府天満宮の見どころ

宝物殿

宝物殿」は、太宰府天満宮の主祭神である菅原道真御神忌1025年大祭を記念して、1928年(昭和3年)に創建された総合文化施設です。1992年(平成4年)には全面改装され、装いを新たに開館。国宝である「翰苑」(かんえん)を始め、重要文化財に指定された宝物が数多く所蔵・展示されています。

御本殿

太宰府天満宮は、919年(延喜19年)に藤原仲平が醍醐天皇の勅令を受けて造営されましたが、何度も焼失。現在は「小早川隆景」(こばやかわたかかげ)が再建し、1591年(天正19年)に竣工した御本殿の姿が見られます。

築400年以上を経過しても五間社流造(ごけんしゃながれづくり)と檜皮葺屋根を残され、国の重要文化財に指定されました。

菅公記念館

主神祭である菅原道真の一生を、人形のジオラマで展示している記念館。制作が難しい博多人形に衣装を着せた「装着博多人形」を使って、16の場面を綴っています。

また、庶民に広まった各地の「天神人形」が展示されていたり、映像や写真などで太宰府天満宮の1年間を紹介していたりするなど、太宰府天満宮についてさらに詳しく学べる施設です。

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