館林市 の神社(1~30神社/31神社)
館林市にある神社を一覧にしました。
神社には「有名な神社」「面白い神社」「縁結びの神社」「パワースポットの神社」など、それぞれ特徴があります。
館林市の神社一覧ページでは、それらをアクセス数やお参りした方々からの投稿数によってランキング順に掲載しました。施設情報ページでは、アクセス方法や境内の様子などが掲載されており、神様にお参りする際に便利。また、御朱印の写真も投稿されているので、神社巡りをして御朱印集めをしている方にもおすすめです。神社一覧は、①アクセス数、②動画、③写真、④口コミの多い順に掲載しています。
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関東地方
- 館林市の神社
- 31神社
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富士嶽神社
所在地: 〒374-0041 群馬県館林市富士原町1127‐1
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- 投稿ユーザーからの口コミ
- 場所は館林市富士原町の国道122号線沿いにあります。 富士嶽神社の読み方はフジタケジンジャです。創立の年代は不明ですが、歴史はかなり古いです。文禄元年(1592年)に館林城主榊原康正再建したと伝えられています。その後に榊原忠次、松平乗寿、徳川綱吉などの歴代の城主によって、社殿の修復が行われてきました。 富士嶽神社には寛文10年(1670年)に綱吉の社殿修築の際の棟札が現存しています。因みに棟札とは神社、民家等の建築や修築の記録又は記念として、棟木や梁など建物の内部の高所に取り付けた札の事です。 駐車場は広く充分に車を停める事が出来ます。トイレも敷地内にあります。 一ノ鳥居の右手側には大きな御神木のイチョウがあります。このイチョウの木が紅葉によって深黄色に色付くのは大変見応えがあると思います。 社殿古墳の上にあります。この社殿への道は表参道と裏参道があり、それぞれに富士山登山に見立てたよう、合目石が置いてます。その為、この神社は富士山登山を味わえます。またこの階段を登る時に幾つかの神社があるので社殿がある頂上に着くまでも参拝が出来ます。
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- 投稿ユーザーからの口コミ
- 愛宕神社と書いてアタゴジンジャと読みます。東武伊勢崎線の館林駅から徒歩で10分位の場所にあります。 愛宕神社の御由緒は、文武天皇4年(700年)に修験道の開祖である役小角(えんのおづの)が山城国(現在の京都府南部の旧国名)愛宕神社の祭神「火産霊命(ほむすびのみこと)」を勧請(離れた場所にいる神様や仏様に対して、こちらへ来てくれるように祈り願う事)したと言われています。 鎌倉幕府5代執権の北条時頼が社殿を建てました。その後は慶長7年(1602年)には館林城主の榊原康政が社殿を修復などをするなど歴代の歴代館林城主から崇敬されました。この中には後の5代将軍となる徳川綱吉もいました。綱吉は、社殿を改築し建物に葵の御紋の使用を許可しました。その為、賽銭箱や屋根などに葵の御紋を見れます。以後その修理を幕末まで幕府または館林藩が行ってきました。 この神社の御朱印は館林長良神社で頂く事が出来ます。 拝殿の奥に小高い山(多分、山とは呼ぶ事は出来ない高さですが)があり、御本殿はその上にあります。 住宅街の中にありますが、自然に囲まれているので落ち着いた雰囲気です。この雰囲気に癒されます!
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八幡宮
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- 投稿ユーザーからの口コミ
- つつじが岡 第二公園の中にあります。 社殿を覆屋が囲っています。 この、八幡宮の創建は不明ですが、館林城の築城時に鎮守社として八幡神の分霊を遷宮したのがこの神社の始まりされています。 鎮座地は八幡郭と呼ばれてました。歴代の館林城の城主、館林藩の藩主から崇敬されてきました。 明治時代に廃藩置県となると、近くの尾曳稲荷神社に合祀されました。 明治時代の後期になると旧上毛モンスリンが館林城の跡地に建てられたので、現在の位置に移動されました。 近隣には向井千秋記念子ども科学館、つつじが岡公園もあるので館林観光でまわるにはいい神社です。
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