耳なし芳一
思い立ってぶらりと参拝してきました。コロナ禍と平日と言うこともあってゆっくりと参拝できましたが、むかーしコロナ禍の前に正月過ぎに行った時はすごい賑わいでした。
赤間神宮は、山口県下関市にある神社です!
旧社格は官幣大社で、壇ノ浦の戦いにおいて幼くして亡くなった安徳天皇を祀っている場所です。
江戸時代までは安徳天皇御影堂といっていたそうで、仏式により祀られていたんだそうです。平家一門を祀る塚があることでも有名で場所で、前身の阿弥陀寺はあの『耳なし芳一』の舞台になった場所でもありますが、廃仏毀釈により神社となり現在に至るようです。
歴史をや成り立ちを紐解いて見ると貞観元年(859年)に阿弥陀寺として開闢されたのが始まりだそうです。
文治元年(1185年)の壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇の遺体は現場付近では発見できなかったが、赤間関(現在の下関)に建久2年(1191年)勅命により御影堂が建立され、建礼門院ゆかりの尼を奉仕させ、以後、勅願寺として崇敬を受けたそうです。
明治の神仏分離により阿弥陀寺は廃され、神社となって「天皇社」と改称したこともあったみたいで、歴代天皇陵の治定の終了後、安徳天皇陵は多くの伝承地の中からこの安徳天皇社の境内が明治22年(1889年)7月25日、「擬陵」として公式に治定され、天皇社は明治8年(1875年)10月7日、赤間宮に改称し、官幣中社に列格した。昭和15年(1940年)8月1日、官幣大社に昇格し、赤間神宮に改称したそうで、実は今の「赤間神宮」になったのは結構最近の話だったみたいで正直驚きです。
悲しい歴史として、第二次世界大戦により社殿を焼失したことがあったみたいですが、昭和40年(1965年)4月に新社殿が竣工し、今の姿に生まれ変わったみたいです。
昭和50年(1975年)、全国平家会が設立され、 昭和60年(1985年)、源平八百年を期に石川県輪島市にある平時忠の子孫「時国家」に御分霊が親授されており、その際に邸内社が建立され「能登安徳天皇社」の称号が授与されたとのことです。
下関散策をされる際は、立ち寄る候補の一つに選んでみるのはいかがでしょうか??