新泉観音堂
新泉(にいのみ)観音堂は、昔からこの地域の観音参りの地とされてきました。
観音参りの日は地元の方々が、他の地区から来た人を迎えてくれるそうです。
この新泉観音堂には、病魔退散・財宝来福の神として知られる『毘沙門天』が祀られ、駅から近いことから、九十九里七福神巡りの出発点となっているそうです。
参道入口に岩崎山 馬頭観音と刻まれた石柱がたっていますが、実際に観音堂の厨子に納められているのは十一面観音像らしいです。
というのも、厨子は33年毎の開帳と定められた『秘仏』なので、普段はそのお姿を拝見することができません。
次の開帳が待たれるところです。
傍らに陶器製の白馬の置物が奉納されており、地元民の説明によると、明治の頃に訳あってその置物を奉納された頃から馬頭観音と呼ばれるようになったとのことです。
観音堂の右手前にある大師堂には石造りの30センチほどの大師坐像が奉られています。
平安時代に空海(弘法大師)という名僧が行脚したらしく、この地での大師様への信仰が伺えます。
七福神の『毘沙門天』のルーツは、インドにあるそうです。
東を守護するドリタラーシュトラ(持国天)、西を守護するヴィルーパークシャ(広目天)、南を守護するヴィルーダカ(増長天)に、北を守護するヴァイシュラヴァナ(多聞天:毘沙門天)を加えて、四天王と呼ばれていました。
日本では上杉謙信が丸に「毘」の字をかたどった戦旗を使用していたという話が有名で、上杉謙信自身が毘沙門天の生まれ変わりであると信じていたという説もあるそうです。
インドの地では、財宝神とされており、武神として伝わったのは、中央アジアから中国へ至る過程であったといわれています。
戦闘の神様がなぜ、福の神である七福神の一員になったのかは、妻が幸福の女神である「吉祥天」だからと言う説や、軍神的性格が貧乏神退散に繋がったと言う説などいろいろ有り、学業成就のご利益もあるそうです。
この新泉観音堂には神主は常駐しておりませんが、すぐ近くの光明寺で管理しており、御朱印も光明寺で発行してもらえます。
ここを出発点として、九十九里の七福神巡りをしてみてはいかがでしょうか。
御利益があると思いますよ。