

妙宣寺(みょうせんじ)は地元では「家之子仁王尊」とも呼ばれているそうで、由緒あるお寺だそうです。 南北朝時代と言われた室町時代はじめの1343年に、後醍醐天皇の孫娘(華蔵姫)が、殺された父(護良親王)の菩提を弔うために開いた寺と言われております。 後醍醐天皇の息子で護良親王(もりよししんのう)は、後醍醐天皇が鎌倉幕府を討幕した時に味方をしてくれた足利尊氏と対立していました。 足利尊氏が後醍醐天皇に「護良親王が、天皇の座を奪うため兵を募っている・・・」というデマ?を吹き込んだため、護良親王は捕らえられて、足利尊氏によって鎌倉へ連行され、幽閉されてしまいます。 その後、足利尊氏の弟の足利直義の命令によって、暗殺されたと言われております。 護良親王の娘である華蔵姫(けぞうひめ)は囚われた父を慕うあまり、京の地から鎌倉へと向かいます。 しかし、彼女が鎌倉へ辿り着いたときには、すでに護良親王は暗殺された後でした。 華蔵姫は鎌倉にいるのは危険と判断して、味方の多い上総の地へと逃れました。 そして彼女は仏門に入り、父の菩提を弔うため開基した寺が、今の妙宣寺の始まりと言われているそうです。 この寺のもともとは禅宗の尼寺だったそうです。 そして70年あまり後の1417年、日顕上人により日蓮宗へ改宗し、妙宣寺となったそうです。 現在の正式名称は『日蓮宗華藏山妙宣寺』となっています。 道路側の一番手前には総門があり、そこをくぐると、参道の奥に仁王門が見えます。 この仁王門の両側には怖い顔をした仁王尊がこちらを睨んでおり、このお寺を守っているようです。 この仁王尊は護良親王の守護神であったと言われており、華蔵姫も厚く信仰され、以来今日まで善男善女の信仰を集め霊験あらたかに幾多の利生物語が伝えられているそうです。 仁王門をくぐると、階段の上に本堂が見えます。 このような経緯で開基されたお寺で、現在は毎年行われる除夜会や新年初祈祷会、節分会などの行事があり、檀家の人々や地元の人々がたくさん集まってきます。 境内も綺麗に整備されており、地元地域のコミュニティーセンターも併設されている、とても良いお寺です。