

堅井之大宮さんは、春の祭礼がとても有名です。近隣の9つの地区からそれぞれ曳山が巡行し、堅井之大宮さんへ集結します。若い衆が掛け声とともに曳山を引き回す様は大変勇壮で、多くの見物客も訪れます。古来より当地とその周辺諸国では用水をめぐる諍いごとが頻繁にあったとのことで、その歴史を想起させるような、大変荒々しい様子でもあります。 地域の結束を象徴する堅井之大宮さんですが、歴史的にも大変由緒深く、延喜式に記載のある式内社「近江国 愛智郡(えちぐん)鎮座 軽野神社(かるのじんじゃ)」の論社(式内社であるとされるいくつかの神社のうちの一つ)とされています。当社の社号標や扁額にも「軽野神社」の名称が見られることからも、堅井之大宮こそが式内「軽野神社」であるという地元の方々の思いが見て取れるようです。 当社の主祭神である袁邪本(おざほ)王は、『古事記』によれば「近淡海蚊野之別(ちかつおうみかののわけ)」という豪族の祖に当たるとのことです。「蚊野(かの)」の地名は現在でも当地にあることから、地域を治めていた豪族の氏神を祀ったのが軽野神社の由緒ではないかと言われています。 『古事記』に由緒が書かれている神社という意味で、歴史好きな方にはもちろんお勧めですが、ぜひ春の曳山巡行を観て、地元の方々の結束の息吹を感じて頂きたいですね。