

埼玉県寄居町桜沢地区に社を構える八幡神社は、地元民に慕われていて「はちまんさま」と呼ばれています。参詣には鳥居をくぐり抜けて50段程の緩やかな階段を登ると前面に社殿が現れます。階段下から見上げる社殿は八幡山の木々を背負ってとても厳かで神秘的な雰囲気に包まれていますよ。境内には神楽殿があって、私が子供の頃は祭礼の時、巫女に扮した子供が優雅に神楽を舞っていたのを覚えています。神社の横に桜沢地区公民館がありますが、昭和40年初頭はここが旧桜沢小学校でした。当時の運動場が今は公園や駐車場となっていますが、昭和50年頃には桜沢山崎区と南飯塚区で合同盆踊り大会が開催され、夏の夜に大勢の人で賑やかで楽しかった懐かしい思い出の場所です。ちなみに今では八幡神社が寄居町の鐘撞堂山ハイキングコースのスタート地点の一部になっていて、登山者は神社駐車場を無料で利用が出来ます。また秩父鉄道桜沢駅も近いので利便性が良くて週末には多くの登山者で賑わっていますよ。 神社の創建年代は不詳ですが、1221年(承久3年)に地元領主である藤田氏が石清水八幡宮を勧請したと伝えられています。また別説では隣町の美里町にいた豪族の猪俣氏(鎌倉武士)が祀ったとも云われています。何れにせよ古くから桜沢地区に在る神社なんですよね。社殿は標高200m程の八幡山を背にし、神社前面には熊谷から甲府を結ぶ秩父往還(国道140号)、川越街道(国道254号)、深谷街道(県道深谷寄居線)が交差していて、さらに近くには鎌倉街道が通る交通の要地なので戦略的に重要地点であったのがうかがえます。 寄居といえば小田原北条氏が上州群馬方面を治める重要拠点としていた場所であり、現存する鉢形城が有名です。城主の北条氏邦は八幡神社前に関所や柵を設けて堅固な守りを固めていたそうです。その鉢形城は豊臣秀吉による小田原北条攻めの際、北方から進軍した5万の連合軍(前田氏、真田氏、上杉氏)に攻め込まれ、最後は籠城戦にて落城となりましたが、その戦でも八幡神社周辺は重要地点であった事が想像できて、実際に現地を見ると、この地点に武神である八幡神を祀り崇めた理由が判りますよ。 是非とも寄居町にお越しの際には「八幡神社」を参拝してみてください。