館林市 の神社・寺院(1~30施設/62施設)
群馬県館林市の神社・寺院を一覧でご紹介します。「旅探たびたん」では、館林市にある神社・寺院の所在地の他に、皆様から投稿頂いた情報を一覧にて表示しておりますので、施設探しの際にぜひご利用ください。施設名をクリックすると神社・寺院の詳細情報はもちろん、周辺情報を確認することができます。館林市で寺社・教会巡りをしたい方におすすめです。神社・寺院一覧は、①アクセス数、②動画、③写真、④口コミの多い順に掲載しています。
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関東地方
- 館林市の神社・寺院
- 62施設
- ランキング順
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青竜山茂林寺
所在地: 〒374-0033 群馬県館林市堀工町1570
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- 館林市堀工町にある、おとぎ話の分福茶釜お寺として有名です。 因みに分福茶釜はぶんぶくちゃがまと読みます。 茂林寺へのアクセスは、電車ならば東武伊勢崎線の茂林寺駅から徒歩7分です。 車ならば東北自動車道館林インターチェンジから、約4.5km(約15分)です。 大きな駐車場があるので、駐車場の心配は無いと思います。 茂林寺に伝わる分福茶釜を見るには宝物拝観料として大人300円、子供150円を支払う必要があります。火曜、水曜、木曜は定休になります。本堂の中を見学しながら分福茶釜を見る事が出来ます。この分福茶釜は、写真撮影が出来無いので注意が必要です。 お寺の本堂は立派な茅葺き屋根で雰囲気があります。 茂林寺の本堂周辺には沢山の木々があります。この中でも特に印象深いの本堂近くにある、魔除けとして植えられたラカンマキの木です。この木は樹齢590年、高さ14m、胸高幹周2.9mあり群馬県天然記念物になっています。 下から眺めて見ると幹は苔に覆われていて幹もとても太いので、年数の重みを感じます。 分福茶釜の茂林寺と上毛カルタの(ふ)の札になっています。上毛カルタとは、群馬県民ならば知っている群馬県の歴史、自然、人物、産業等を読んでいる全44札の郷土カルタの事です。 寺の門をくぐると参道の両脇から沢山のタヌキの置物がお出迎えをしてくれます。 更に参道を進むと東武鉄道株式会社が昭和35年4月に寄贈をした高さ約2.5mある大きなタヌキの置物があります。 その他にも境内には沢山のタヌキの置物を見る事が出来ます。 タヌキの置物は縁起物とされています。 その理由はタヌキという言葉は、他抜きとの語呂合わせになります。これは商売において競争相手を出し抜いて成功する事を願う意味が込められてます。 その為、タヌキの置物は商売繁盛の象徴として広く使われています。 沢山のタヌキの置物から運気を、趣のあるお寺の本堂、境内の木々から癒しを沢山、貰う事が出来ました!
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富士嶽神社
所在地: 〒374-0041 群馬県館林市富士原町1127‐1
- アクセス:
- 投稿ユーザーからの口コミ
- 場所は館林市富士原町の国道122号線沿いにあります。 富士嶽神社の読み方はフジタケジンジャです。創立の年代は不明ですが、歴史はかなり古いです。文禄元年(1592年)に館林城主榊原康正再建したと伝えられています。その後に榊原忠次、松平乗寿、徳川綱吉などの歴代の城主によって、社殿の修復が行われてきました。 富士嶽神社には寛文10年(1670年)に綱吉の社殿修築の際の棟札が現存しています。因みに棟札とは神社、民家等の建築や修築の記録又は記念として、棟木や梁など建物の内部の高所に取り付けた札の事です。 駐車場は広く充分に車を停める事が出来ます。トイレも敷地内にあります。 一ノ鳥居の右手側には大きな御神木のイチョウがあります。このイチョウの木が紅葉によって深黄色に色付くのは大変見応えがあると思います。 社殿古墳の上にあります。この社殿への道は表参道と裏参道があり、それぞれに富士山登山に見立てたよう、合目石が置いてます。その為、この神社は富士山登山を味わえます。またこの階段を登る時に幾つかの神社があるので社殿がある頂上に着くまでも参拝が出来ます。
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- 投稿ユーザーからの口コミ
- 愛宕神社と書いてアタゴジンジャと読みます。東武伊勢崎線の館林駅から徒歩で10分位の場所にあります。 愛宕神社の御由緒は、文武天皇4年(700年)に修験道の開祖である役小角(えんのおづの)が山城国(現在の京都府南部の旧国名)愛宕神社の祭神「火産霊命(ほむすびのみこと)」を勧請(離れた場所にいる神様や仏様に対して、こちらへ来てくれるように祈り願う事)したと言われています。 鎌倉幕府5代執権の北条時頼が社殿を建てました。その後は慶長7年(1602年)には館林城主の榊原康政が社殿を修復などをするなど歴代の歴代館林城主から崇敬されました。この中には後の5代将軍となる徳川綱吉もいました。綱吉は、社殿を改築し建物に葵の御紋の使用を許可しました。その為、賽銭箱や屋根などに葵の御紋を見れます。以後その修理を幕末まで幕府または館林藩が行ってきました。 この神社の御朱印は館林長良神社で頂く事が出来ます。 拝殿の奥に小高い山(多分、山とは呼ぶ事は出来ない高さですが)があり、御本殿はその上にあります。 住宅街の中にありますが、自然に囲まれているので落ち着いた雰囲気です。この雰囲気に癒されます!
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八幡宮
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- 投稿ユーザーからの口コミ
- つつじが岡 第二公園の中にあります。 社殿を覆屋が囲っています。 この、八幡宮の創建は不明ですが、館林城の築城時に鎮守社として八幡神の分霊を遷宮したのがこの神社の始まりされています。 鎮座地は八幡郭と呼ばれてました。歴代の館林城の城主、館林藩の藩主から崇敬されてきました。 明治時代に廃藩置県となると、近くの尾曳稲荷神社に合祀されました。 明治時代の後期になると旧上毛モンスリンが館林城の跡地に建てられたので、現在の位置に移動されました。 近隣には向井千秋記念子ども科学館、つつじが岡公園もあるので館林観光でまわるにはいい神社です。
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