
満福寺は、神奈川県鎌倉市腰越にあるお寺です。江ノ島電鉄の腰越駅を降りて海岸側に約250メートル行き、踏切を渡った所にあります。主人の従兄弟がこのお寺のお墓に入る事になり知ったのですが、とても明るい空気を感じるお寺です。いつも綺麗に清掃されており、お参りしやすい環境です。
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満福寺は、神奈川県鎌倉市腰越にあるお寺です。江ノ島電鉄の腰越駅を降りて海岸側に約250メートル行き、踏切を渡った所にあります。主人の従兄弟がこのお寺のお墓に入る事になり知ったのですが、とても明るい空気を感じるお寺です。いつも綺麗に清掃されており、お参りしやすい環境です。
京で平家討伐をした源義経は後白河法皇から検非違使左衛門尉に任ぜられる。源頼朝はかねがね自分の御家人が無断で朝廷から官職をいただくのを固く禁じていた。義経も頼朝に弁明はしているが、さらにその上、縦五位下、大夫判官の地位が法皇より下される、そしてとうとう院の昇殿まで許され、拝賀の式が行われた。武士は元来庭に拝座し、上よりのお言葉は朝臣を通じて伝えられるようになっている。だから、院の昇殿を許された時の義経の喜びは想像に難くない。 しかしこの日のことは大江広元によって逐一鎌倉へ報告され、どれだけ頼朝が激怒したことか。 報告した広元は頼朝の知恵袋と言われたほどの能吏です。このころすでに広元は鎌倉の公文所に勤め、京よりの文書を取り次いで報告文を綴ったと思われ、のちの腰越状もこの広元を介しているのである。少なくとも義経のために有利な展開をはかってあげたとは考えられない。 広元は式部少輔維光の子として生まれ、早くから後白河法皇のもとで政策を学び、その院生に通暁していた官吏です。兄の中原親能が頼朝と昵懇であったことから兄に次いで鎌倉に下り、頼朝に仕えた。草創期の鎌倉にあって広元のような頭脳明晰、政治に明るい官吏が重用されたことは当然であった。 京からの凱旋の筈が義経は腰越のここ、満福寺でひたすら兄の沙汰を待つことになる。義経は終日満福寺にこもり、血涙を以て兄に向かって文章を綴った。これを当時の慣わしとして直接宛名を頼朝とすることは憚られ、広元に差し出すことになる。大江広元がこの兄弟のキーパーソンであったことに疑いない。 この腰越状については義経自身の作ではないよいう説があり、使っている言葉などから作者は当時の人ではなく後人の創作ではないかとのこと。まあヒーローには語り継がれ、演目や物語(小説)となっていく過程で創作はつきものってことでしょう。 鎌倉に入れず京へ引き返し、奥州へ流れ、義経はもう一度ここ腰越に戻ってきます。首だけとなって。首は藤沢市の白旗明神の地に埋められたとも。義経ファンはこちらも行ってみてはいかがでしょう。
こちらは、満福寺と書きまんぷくじと読みます。 なんだか縁起の良さそうな名前のお寺です。 こちらへのアクセスは、公共交通機関では江ノ電で腰越駅下車徒歩3分です。 江ノ電沿いにあり、踏み切りを渡り、階段を登ると到着します。 こちらには広い駐車場がありマイクロバス、普通車が駐車できますが、満車の場合は近隣にコインパーキングをご利用願います。 こちらの参拝時間は、午前9時から午後5時となっていますが、コロナ感染予防対策の為、参拝時間に変更がありますので、事前にお電話でのお問合せをおすすめいたします。拝観料は大人200円、中学生100円、小学生以下は無料となっています。 こちらは源義経ゆかりのお寺として有名です。弁慶の腰掛石、弁慶の手玉石などゆかりの品々があり一番有名な所蔵品は『腰越状』といわれる書状で、ここ万福寺にて源義経が兄の頼朝に和解の書状を書いたといわれており弁慶ゆかりの所蔵品があります。 こちらでは、供養を行なっており、水子供養、動物供養、人形供養などを行なっております。また海沿いに七里ガ浜霊園を設けております。 こちらにはお食事処として、義経庵が併設されており法要でのご利用はもちろんですが、ふらっと立ち寄ることも可能です。但し、現在コロナ感染予防対策の為、営業時間に変更がありますので、事前にお電話でのお問合せをおすすめいたします。こちらではしらす丼、ハーブティーなどのご利用できます。 こちらは、高台に建立されていますので、江ノ島側の眺望は大変見ごたえがありました。
壇ノ浦で平家一門を滅ぼし鎌倉に凱旋してきた義経が、兄頼朝に鎌倉入りを止め置かれた場所の立つ寺。謀反の気持ちがないことを綴った「腰越状」の下書きが展示されていて、非常に興味深く拝見しました。
満福寺は、神奈川県鎌倉市江ノ電腰越駅近くにあります。鎌倉に旅行に行った時に立ち寄りました。源義経が兄源頼朝に宛てた腰越状や義経や弁慶の像もあり、歴史を感じました。
江ノ電腰越駅から徒歩で3〜4分のところにあるお寺です。ここのお寺は義経とゆかりのあるお寺として地元で有名だそうです。本堂内に入ると義経の生涯を漆画で書いた32面の襖絵があります。
腰越駅から徒歩3分、参道が江ノ電と交差している満福寺です。踏切から、参道の急な階段を登ったところにあり、江ノ電とお寺の撮影スポットとなっています。さらに源義経ゆかりの寺で有名ですが、人形の供養も有名で多くの人形見れます。
江ノ電の腰越駅から徒歩三分のところにあります。 通りから脇道に入り線路を越え坂道を登るとお寺があります。 源義経ゆかりのお寺で義経にまつわる色々なものが見られます。 境内の中の天井や壁なども綺麗でゆっくり見てまわれます。 上に食事どころもあり美味しいシラス丼もたべれますよ!!
腰越駅を出て左手に海のほうに進み路地を左に入り、踏み切りを渡るとあるお寺です。 中には建物の上に眺めの良いご飯屋さんもあります。 お寺の中はそんなに広くはありませんが内装がとても綺麗で見ていて飽きませんでした。 敷地内にあるお墓に行く通路がライトアップされたりしています。
江ノ島電鉄¨腰越駅¨から徒歩約3分です。 1185年に源義経が頼朝に鎌倉入りを止め置かれた場所に建つお寺です。また、義経が謀反の気持ちがないことを綴った『腰越状』の下書が残されています。
江ノ電腰越駅から踏み切りをわたり山門に向かって急な坂道を昇ってゆくと満福寺があります。ここは、義経・弁慶ゆかりのお寺として有名で、頼朝の勘気を鎮めるために弁慶によって書かれた腰越状や弁慶の手玉石・弁慶の腰掛石・硯の池 ・襖絵などが残っています。 義経・弁慶ファンにお勧めのスポットです。
源義経が鎌倉入りを拒まれて逗留したといわれるお寺です。 この時頼朝の怒りを鎮めるために弁慶が書いた 『腰越状』の下書きが展示されています。 境内には弁慶が腰掛けたといわれる石もあります。
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