建仁寺
建仁寺は京阪電車祇園四条駅から歩いて5分くらいのところにあります。電車の駅からも近いですが、バス停からも近いですし、北門の近くには駐車場(30分250円)もありますので、どんな交通手段でも訪れ易いお寺です。
建仁寺は建仁二年(1202年)に将軍源頼家がお寺の土地を寄進し、栄西禅師を開祖として宗国百丈山を模して建立されました。
当初は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として、当時の情勢に対応していました。
その後、正嘉元年(1258年)東福寺開祖円爾弁円(えんにべんえん)が入寺し境内を復興し、禅も盛んとなりました。
正元元年(1259年)宋の禅僧、建長寺開祖蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺してからは禅の作法、禅院の規則が厳格に行われ、純粋に禅の道場となりました。
室町時代には、中国の制度にならった京都五山が制定され、その第三位として厚い保護をうけて栄えました。
天正年間(1573年から1592年)に安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が方丈や仏殿を移築し、徳川幕府の保護のもと堂塔が再建修築され、制度や学問が整備されました。
明治に入り政府の宗教政策等により臨済宗建仁寺派として分派独立して建仁寺はその大本山となりますが、廃仏毀釈、神仏分離の法難により塔頭の統廃合が行われ、余った土地を政府に上納、境内が半分近く縮小されて現在に至っています。
決して順風満帆で現在まで残っている寺院ではありませんが、それでも今なお残っていて訪れることが出来るという事は、何か意味があって残されているという気がしてなりません。
今回はこの歴史深い建仁寺に、絵をメインに観たいと思って訪れました。
有名どころでは俵屋宗達の『風神雷神図屏風』。本物は京都国立博物館にあるのですが、元々あった場所はどんなところなのか気になってました。屏風絵は綺麗な日本庭園が見えるお部屋に飾られていました。風神雷神も美しい日本庭園を見ながら、毎日癒されているのかなぁと勝手な想像を膨らませました。
他には安土桃山時代の絵師海北友松(かいほうゆうしょう)の『雲龍図』『竹林七賢図』等や現在の染色作家鳥羽美花作の『船出/凪』もあり、古くて良いものだけではなく、新しくて良いものも取り入れている建仁寺の柔軟さとセンスの良さに感動しました。
一度だけでは堪能しきれなかったので、日を改めてもう一度訪れたいと思います。