全国 の神社・寺院(5,971~6,000施設/41,695施設)
全国の神社・寺院をご紹介します。「旅探たびたん」では、全国の神社など所在地の他に、皆様から投稿頂いた情報を一覧にて表示しておりますので、施設探しの際にぜひご利用ください。施設名をクリックすると寺院までの交通アクセスをはじめ、拝観時間、拝観料、駐車場の有無といった詳細情報をはじめ、周辺情報などをご確認することが可能です。気になる神社・寺院をはじめ、自宅から近い神社・寺院を探したいときにおすすめです。神社・寺院一覧は、①アクセス数、②動画、③写真、④口コミの多い順に掲載しています。
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- 慈広寺は千葉県山武市の七福神めぐりに入るお寺です。 慈広寺は、弘仁11年(820年)に慈覚大師の開基によるものと言われており、本尊は阿弥陀如来となっております。 建立縁起は慈覚大師円仁御作の浪切聖観音菩薩の尊像を安置されていたものだそうです。 駐車場に車を停めると、大きな門を潜って行きますが、両側に居る大きな仁王像に睨まれてちょっと怖いです。 中に入ると正面に本堂があります。 左側を見ると、当時物の本堂でしょうか? とても歴史を感じる建造物が見えてきます。 近くに行くと、なんとも頭でっかち?な建造物で、地震が来たら倒れそう・・・ と思いましたが、よく見ると横に筋交いがとってあり、倒れないようになっていました。 慈広寺は七福神めぐりに入るお寺として、恵比寿神が奉納されているそうです。 恵比寿神は七福神の中でも唯一日本古来の神様で、海の守護と商売繁昌、庶民救済の神として崇敬されています。 その姿は釣竿を担いで反対の手には大きな鯛を持ったおなじみの姿で、皆さんも一度は見た事があると思います。 その容姿の意味は、鯛は古来より福を表し、釣りザオがその福を釣るということから、人は何もしないでいては幸福や安楽は得られない。 知恵を働かせ、体に汗を流してこそ真の幸福、安楽は得られるのであるという事を示されているそうです。
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新泉観音堂
所在地: 〒289-1344 千葉県山武市新泉2-1
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- 新泉(にいのみ)観音堂は、昔からこの地域の観音参りの地とされてきました。 観音参りの日は地元の方々が、他の地区から来た人を迎えてくれるそうです。 この新泉観音堂には、病魔退散・財宝来福の神として知られる『毘沙門天』が祀られ、駅から近いことから、九十九里七福神巡りの出発点となっているそうです。 参道入口に岩崎山 馬頭観音と刻まれた石柱がたっていますが、実際に観音堂の厨子に納められているのは十一面観音像らしいです。 というのも、厨子は33年毎の開帳と定められた『秘仏』なので、普段はそのお姿を拝見することができません。 次の開帳が待たれるところです。 傍らに陶器製の白馬の置物が奉納されており、地元民の説明によると、明治の頃に訳あってその置物を奉納された頃から馬頭観音と呼ばれるようになったとのことです。 観音堂の右手前にある大師堂には石造りの30センチほどの大師坐像が奉られています。 平安時代に空海(弘法大師)という名僧が行脚したらしく、この地での大師様への信仰が伺えます。 七福神の『毘沙門天』のルーツは、インドにあるそうです。 東を守護するドリタラーシュトラ(持国天)、西を守護するヴィルーパークシャ(広目天)、南を守護するヴィルーダカ(増長天)に、北を守護するヴァイシュラヴァナ(多聞天:毘沙門天)を加えて、四天王と呼ばれていました。 日本では上杉謙信が丸に「毘」の字をかたどった戦旗を使用していたという話が有名で、上杉謙信自身が毘沙門天の生まれ変わりであると信じていたという説もあるそうです。 インドの地では、財宝神とされており、武神として伝わったのは、中央アジアから中国へ至る過程であったといわれています。 戦闘の神様がなぜ、福の神である七福神の一員になったのかは、妻が幸福の女神である「吉祥天」だからと言う説や、軍神的性格が貧乏神退散に繋がったと言う説などいろいろ有り、学業成就のご利益もあるそうです。 この新泉観音堂には神主は常駐しておりませんが、すぐ近くの光明寺で管理しており、御朱印も光明寺で発行してもらえます。 ここを出発点として、九十九里の七福神巡りをしてみてはいかがでしょうか。 御利益があると思いますよ。
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- 草津市青地町にある浄土宗のお寺、西方寺。こちらのお寺は地域とのつながりをとても重視されていて地域住民を招いてヨガ教室や絵画教室、体操教室、ボーイスカウトなども企画されています。こちらの副住職さんがピアノがお好きで境内に自由に弾けるピアノが設置されています。本堂の前にアップライトピアノ!本堂内に電子ピアノ!本堂裏手にある墓地と駐車場の空きスペースには何と、グランドピアノが収められている小屋があります!グランドピアノは滋賀大学の学生さんがデザインされてピンク色に塗装されてデコレーションもいっぱい!とても可愛く仕上げられています。全て自由に弾くことができて、僕もピアノを習っている息子を連れて行ってきました。息子も可愛いピアノを見てテンション上がり楽しくピアノを弾かせてもらいました。墓地の奥にはヤギが飼育されています。小さい子どもを連れて行くにはとても良いですね! 地域とのつながりをとても大切にされている西方寺。とても素晴らしいと思います。
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居木神社
所在地: 〒141-0032 東京都品川区大崎3-8-20
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- 居木神社(いるぎじんじゃ)は東京都品川区に所在する神社の一つで、大崎の鎮守として知られる。 創建時期は明らかでないものの、かつては目黒川にかかるゆるぎ橋という橋の近く(現在の山手通り居木橋付近)に位置していたとされ、その頃は『雉子ノ宮(きじのみや)』と称され、境内には『ゆるぎの松』と呼ばれた大木があったとされる。江戸時代初期に目黒川の氾濫による被害を避けるため、現在の場所に遷座(せんざ)された。その際に周囲に鎮座していた『貴船明神(きふねみょうじん)』『春日明神(かすがみょうじん)』『子権現(ねごんげん/ねのごんげん)』『稲荷明神』の四社を合わせて祀ったことから、『五社明神』とも呼ばれた。その後、明治5年に現在の社号である『居木神社』に改め現在に至る。 御祭神は主祭神、配祀神(はいししん)、合祀神(ごうししん)に分けられている。主祭神は『日本武尊(やまとたけるのみこと)』、配祀神は『高?神(たかおかみのかみ)』『大國主命(おおくにぬしのみこと)』『倉稲魂命(うかのみたま/くらいなたまのみこと)』『天兒家根命(あめのこやねのみこと)』『菅丞相(かんのじょうしょう)(菅原道真公)』、合祀神は『手力雄命(たぢからおのみこと)』『淀姫命(よどひめのみこと)』『大山咋命(おおやまくいのみこと)』である。 境内には品川区指定有形文化財の一つである『厳島神社(末社)』がある。この厳島神社は元は神社の傍にあった旧居木橋村の名主・松原家に屋敷神として祀られていたもので、後に居木神社が引き取り、末社とした。小型の神社建築ではあるものの、質の良い彫刻装飾が多くみられ、その多くに彩色が認められ、彫刻部分以外の柱等にも彩色が施されている。 御朱印は居木神社の通常御朱印のほか、月替わりの御朱印や神事や行事、季節ごとの限定御朱印、境内末社の稲荷神社、厳島神社の御朱印がいただける。限定御朱印は数量限定のものや期間が非常に短いものなどがあるため、あらかじめ確認しておくことをおすすめする。
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- 正榮山・妙海寺(しょうえいざん・みょうかいじ)は千葉県勝浦市にあります。 この妙海寺の由来は 妙海寺は室町時代初期 延文4年(1359)に日蓮宗の本山 茂原藻原寺 第五世 日海上人が、勝浦の出水に開創されたお寺です。 江戸時代 明暦2年(1656)に領主植村土佐守が浄土宗のお寺香花院創設に際し建築の都合上、移転を余議なくされ慧妙院日心上人の(植村玄藩の父)甚労により新官に移転し現在にいたります。 となっています。 この妙海寺では「頼りになる」「心と体と整える」「良いつながりをえる」を心がけ、より「良く生きることを叶える」お寺を目指しているということだそうです。 また、様々なイベントも随時行っており、「菩薩づくりでまちづくり」を掲げ、自らの幸せと他者の幸せを重ねて生きていくという菩薩の生き方を伝道し地域振興に力を入れ、街の文化祭の場などに寺を開放。映画会やランチ会など、地域の人たちに交流の機会を提供、都会の人に「瞑想」「マインドフルネス」などを根本とした、「最高の休み方」を体験してもらう「テンプルステイ」など開催しています。 現在、「寺」「仏教」という、よりよく生きるために必要な「体験コンテンツ」を楽しくわかりやすい形にブラッシュアップするとともに、「民泊」を運営していくことで、お寺と地域がともに気になっていくことにチャレンジしています。 また、地域のハブとなり、地域の人々が支えあうことのできるより良いコミュニティーを作っていきたいと考えており、職種や地位などにかかわらず人と人が安心して出会える場所「サードプレイス」であり、小さくても強いコミュニティーの在り方を模索中ですとのことです。 この妙海寺の特筆すべきは、海洋葬を行っていることです。 太平洋の美しい海で散骨し、その後もお寺で供養が続く新しい葬送のかたちです。 散骨したいけど、手を合わせる場所も作りたいという方へ。 特徴 美しい外洋の海へ散骨します。 海の見える高台に、手を合わせて供養する場があります。 お寺がある限り手厚い供養が続きます。 家族による管理・継承を必要としません。 宗教、宗派は問いません。 となっています。 元旦には 初詣と除夜の鐘 〜初詣は妙海寺へ〜となっており、様々なイベントや法要のある良いお寺です。
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六本木天祖神社
所在地: 〒106-0032 東京都港区六本木7丁目7-7
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- 六本木天祖神社は六本木エリアの氏神として知られており、別名は龍土神明宮。御祭神は『天照大御神(アマテラスオオミカミ)』『伊邪那伎命(イザナギノミコト)』『伊邪那美命(イザナミノミコト)』の三柱で、境内の末社には七福神の一柱『福禄寿(フクロクジュ)』及び『倉稲魂命(ウカノミタマノカミ)』が祀られている。 東京都港区内にある8か所の社寺(通常の七福神に加え、宝船を祀る神社が含まれる)をめぐる「港七福神」の福禄寿にも選ばれている。 神社へのアクセスは都営地下鉄大江戸線「六本木駅」から徒歩約3分、東京メトロ日比谷線「六本木駅」および都営地下鉄千代田線「乃木坂駅」からは徒歩約5分と非常に良好。 神社の住所が「六本木7丁目7番7号」と7が三つ続いていることから、住所にスリーセブンの入った非常に縁起の良いパワースポットとして有名(意図的であるか、偶然であるかの真偽は不明)で、社紋もそれにちなんで三つ巴に漢数字の「七」が重ねられた社紋になっている。 神社の創建は南北朝時代の後小松天皇の御代、1384(至徳元)年8月16日に芝西久保・飯倉城山(現在のホテルオークラ南側付近)と伝えられる。江戸時代の元和年間(1615〜1624年)、旧社地が江戸城拡張の御用地となったため、現在地へ遷座したとされている。 別名である「龍土神明宮」は、その昔品川沖から毎夜竜が神社に御灯明を献じたという故事、「龍燈山の伝説」から。その神社のあった一帯(旧社地一帯、現在のホテルオークラ南側付近)を「竜灯」と呼び、「竜灯」がなまって「竜土(りゅうど)」と呼ぶようになり、社名もまたそのなまりに影響され今の「龍土神明宮」と呼ばれるようになったといわれている。 御朱印は毎月の辰の日と元旦〜成人の日のみの授与だが、御朱印帖には通常御朱印とは異なる社紋の御朱印が書き入れられている。 毎年正月には「龍神様おみくじ」が数量限定で頒布されており、 また、末社の一つである満福稲荷神社には七福神の一柱である福禄寿が祀られており、こちらの開龕も正月の三箇日のみとされている。
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真宗大谷派廣讃寺
所在地: 〒453-0058 愛知県名古屋市中村区城屋敷町3-30
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- 中村区の西方、市バス稲葉地本通下車 北方へ徒歩1分に位置します。創建は1504年から1517年 月々の行事や法話が行われています。若い住職ですが参拝者の立場をよく理解される優しい人柄です。先代は同朋大学の講師などもされており地元では有名なお人でした。現在の住職さんはホームページやメール対応もされ、少しでも若い世代の人たちにお参りしていただける環境作りもされておられます
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- 八坂神社は千葉県東金市にあります。 ご祭神は健速須佐之男命(素盞嗚尊)だそうです。 神使が牛となっており、牛の石像が対になって拝殿の前に立っています。 ご由緒: 鎌倉時代に北条久時が上総下総安房三ヶ国の守護職として松之郷久我台に館を設けた際、その鬼門の鎮守として正応2(1289)年松之郷金谷から現在地に勧請したとの伝えがあります。 後の元禄4年(1691)に一間社流造の本殿が建立され、明治27年には現在の本殿が建立されたそうです。 現在の本殿は、棟札によると明治27年4月12日再興とあって、棟梁は松之郷字西本郷の中村勝次郎、彫刻は東金の大木茂八であり、残されている鏑矢(かぶらや)部分により同年3月7日に上棟式の行われたことが分かります。 また、縮尺15分の1で正面と側面を描いた板図も残こっており、明治24年に計画されたことも知られています。 その他、高欄親柱(こうらんおやばしら)の擬宝珠(ぎぼし)には明治33年の寄進銘があります。 内殿につきましては、千葉県指定有形文化財となっています。 本殿は総欅造りで、向拝回りは彫刻で飾られており、質の良いものとなっています。 柱の太さや面取りを位置によって変えたり、垂木間隔を向拝部分のみ狭くしたりするなど芸の細かいところがあります。 建立年代は新しいが、覆屋的要素をもつ本殿という一つの傾向を示す遺例といえます。 この八坂神社のある東金市松之郷の総氏神であり、各部落に鎮座する19の神社はすべて摂社であるそうです。 厄除神、除疫神として篤く信仰されており、初詣、七五三詣、厄除け祓、地鎮祭等の外祭の御祈祷なども受け付けております。 また、女性の宮司さんと巫女鳥の「アジサイ」というインコがおみくじを引いてくれる神社として、テレビ等でも紹介されておりました。 境内には厳島神社、子安神社、菅原神社の神殿も建立されており、様々な神様への崇敬もできるようになっております。 綺麗に整備された、良い神社だと思います。
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東祥寺
所在地: 〒270-1613 千葉県印西市鎌苅543-1
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- 印西市鎌苅にある曹洞宗の古刹です。開山から約550年の歴史があり、1658年以前に建てられたという鐘楼堂と一体となった山門がございます。こちらのご住職さんはとてもお話好きで、訪問時に色々とご案内をいただきました。HPにのっているお坊さんのキャラクタですが、ご住職様にソックリですよ。本堂の裏手には広い墓苑も運営されております。駐車場は、山門横から境内に入り、左側に置けます。目の前が本堂になります。ぜひ、お立ちより下さい。鐘楼門は一見の価値ありです。
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東照寺
所在地: 〒276-0017 千葉県八千代市平戸697
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神崎線「「平戸入口」バス停留所」から「東照寺」まで 徒歩7分
東関東自動車道「千葉北IC」から「東照寺」まで 10.8km
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- 八千代市の北西部にある日蓮宗のお寺さんです。山号は安養山といいます。広大な田園風景が目の前に広がっていて風の通りが爽やかです。敷地は少々めですが、本堂や隣接している客殿も外連味が無くて渋いです。境内足元もしっかりと整備されていますね。山門横に駐車場出入り口がありまして、3台位は停められます。出るときは少々見通しが悪いのでお際付け下さい。
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- 長秀寺は千葉県勝浦市にある寺院です。 小高い丘の上にあるお寺で、境内から外房の海が見渡せます。 長秀寺の歴史 千葉県勝浦市東部の部原にある天台宗の古刹。延暦年中(782〜806)最澄の開基、貞観二年(860)円仁により再建とあります。 寛文三年(1663)の火災で、一切の記録・什宝類を失って詳細は不詳。 寛政八年(1796)に、檀徒が協力して現在地を開き堂宇を建立した。 現在の豊浜海水浴場にあたる砂浜が左に見え、太平洋上に黒煙を吐く蒸気船などが見える。 この頃の寺域は750坪余で、名門江澤家(博覧図に干鰯・搾粕「江澤潤一郎邸宅之図」がある)をはじめ、名主・網元の菩提寺として栄えていた。 となっています。 長秀寺では永代供養というものを行っており、お墓参りに行けないご遺族にかわって、ご遺骨を責任をもって管理・供養してくれるそうです。 継ぐ人がいない方、子供に負担をかけたくない方、事情によりお墓参りが困難な方などご安心してお任せいただけるということです。 また、長秀寺が発行する御朱印は波切不動堂の御朱印と関東百八地蔵七十九番札所の御朱印の2種類あるそうです。 御朱印は受付にて頒布しております。 境内には鐘楼堂があり、年末には除夜の鐘が鳴り響きます。 初詣での参拝者が大勢お参りにやってきます。 その他、年中を通して様々な行事も行っており、地元民に親しまれている寺院となります。 また、関東地方に存在する百八箇所の地蔵尊霊場の七十九番札所となっており、身代り延命地蔵尊や水子地蔵尊などのお地蔵様があります。 少し離れた場所に「波切不動堂」があり、聖観世音菩薩/水子地蔵尊などをお祀りしております。 この波切不動堂は外房の海が一望できる高台に建立されているので、境内から見える景色は素晴らしいものがあります。 聖観世音菩薩/水子地蔵尊の作者は、彫刻 刻銘 木彫師 中根村四関 彫工 高光作 (大谷高光)/木鼻 刻銘 島村光俊作だそうです。 地域に密着した良い寺院だと思いますが、駐車場が少ないようですので徒歩で行くことをおすすめします。
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日吉神社
所在地: 〒283-0815 千葉県東金市大豆谷860
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- 日吉神社は、千葉県東金市に古くからある神社です。 御祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ)『日本書紀』 名前の「くい」は杭のことで、大山に杭を打つ神、すなわち里山の所有者を意味する地主神だそうです。 また、実りをもたらす大年神の子であり、農耕(治水)を司る神とされます。 神話や伝承によると醸造の神としても有名で、子孫繁栄の御神徳があるそうです。 比叡山・延暦寺の守護にはじまり、京の都や江戸の鬼門を守護する役割を担ったことから要地の守護に用いられることが多く、それが転じて、家内安全や地域鎮護の神として篤い崇敬を集めてきたそうです。 御由緒 大同2年(807)伝教大師最澄が寺院建立するにあたり、日吉大社の御分霊を東金市の守護神として鴇ヶ峰(山王台公園)に勧請したのが始まりです。 その後の嘉慶元年(1387)東金市史によると「和泉ヶ池に大蛇が棲んでいた。これは和泉家の娘であり、色欲盛んで邪心が深いため身が変じたもので、老若の境無く人を呑み込み傷つける。 この災禍をおさめるため、社を移したところたちまちに大蛇を静めた」とあります。大蛇の話は伝説であるが、疫病や災禍が起こり鎮めるために遷座されたと伝えられています。 大永元年(1521)酒井氏が東金城へ本拠を移し、鬼門の守護神と崇敬され、江戸期には天領となり徳川家康・秀忠・家光と篤い崇敬を受けています。 特に慶長19年(1614)家康公が鷹狩りに来られ当神社に三日間参篭して国家安泰、武運長久、一族繁栄を祈願されました。大坂の陣後、再び鷹狩りに訪れた際、大願成就の御礼として御本殿改築を命じられたそうです。 東金市指定文化財にもなっております。 日吉神社本殿 元和6年(1620) 家康公の命を受けた代官高室金兵衛が大工棟梁鈴木佐渡守に下命して創建 日吉神社の神使 元禄8年(1695) 正面にある一対の猿は神さまのお使い『神猿-まさる』 向かって左の『まさる』は勝ち運を授ける『勝る』。右は厄災を祓う『魔去る』と云われ大変愛されている。 日吉神社表参道杉並木 (樹齢400年以上) 39本の大杉並木で全てが御神木であり、近在では稀に見る御神域です。 境内は綺麗に整備されていて、とても良い神社です。
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日蓮宗 常不軽寺
所在地: 〒270-1318 千葉県印西市小林1845
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- 小林駅南口からまっすぐに南下したところに有る日蓮宗のお寺さんです。山号は一乗山、創建は1977年なので新しいですね。お伺いした時に入口が良くわからなくて少々迷いました。小山の竹林に囲まれた静かな境内には庭木が沢山植えてあってセミの鳴き声が染み渡りますね。本堂なのですが、まるで旅館のような佇まいで雰囲気的には、山間の古民家風です。駐車場がございませんのでご注意くださいね。
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