崇徳上皇をお祀りする神社
安井金比羅宮は東山区に建つ神社ですが、縁切り神社として全国的にも有名です。
お祀りしているのは崇徳上皇。菅原道真、平将門と並び日本三大怨霊とも呼ばれています。
平安時代末期、保元の乱にて後白河天皇と対決し、敗北した崇徳上皇は讃岐に配流されます。
天皇が流刑に遭うなどということは滅多になく、奈良時代に一度あったきり実に400年ぶりの出来事でした。
崇徳上皇が怨霊になったとされる由縁はいくつかあり、ひとつめは自らが天皇・上皇になったときに鳥羽上皇に実験を握られ続けた上に、あげくのはてに保元の乱の首謀者に祭り上げられたこと。
ふたつめは讃岐への流刑、みっつめは流刑地で写本した経典を朝廷に送ったところ、すげなく送り返されてしまったことが挙げられます。
後白河天皇のあまりの態度に怒り狂った崇徳上皇は、自らの血をもって経典を書き連ね、最期には非業の死を遂げたとされています。
それ以降、皇族の人間が病にかかったり、都に天災が降りかかると、幾度となく崇徳上皇の祟りのせいにされてきました。
安井金比羅宮は、崇徳上皇の御霊を安んじるために建てられたわけではありませんでしたが、元々この地にあった寺院の後を継いで、崇徳上皇と金毘羅大権現を祀ったのがはじまりとされています。
崇徳上皇は縁切りの神様としての側面も持っており、崇徳上皇を祀る各地の神社では安井金比羅宮と同様に縁切りのご利益があるとされています。
しかし、この神社が全国的に有名な理由は、境内にある「縁切り縁結び碑」が原因となっています。
「縁切り縁結び碑」は、一見すると白い小山のように見えますが、実は大量の形代が張り付けられており原型を留めていません。
縁切り・縁結び祈願をするには、形代に願いを書き込んだ後に、石碑の中央に空いている大きな穴を表から裏、裏から表と2回潜り抜け、最期に石碑に形代を張り付けて終わりです。
有名な縁切り神社と聞くと怖い印象がありますが、実際はそんなことはなく、境内はよく掃き清められていて明るく清潔です。
むしろ、この神社には多くの人々の切実な願いを受け止める懐の深さのようなものを感じました。






