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一度は見たい京都・奈良の仏像「第六回」飛鳥時代の代表的な仏像 法隆寺

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聖徳太子とのゆかりが深い法隆寺には、日本における仏像文化の黎明期である飛鳥時代の代表的な仏像が多く現存しています。これら国宝仏像の保護の歴史を紐解くと、飛鳥時代に作られた仏像が明治時代以降に評価され、現在までの保存に至っていることがよく理解できるでしょう。

釈迦三尊像(法隆寺)

釈迦三尊像(法隆寺)

奈良県生駒郡斑鳩(いかるが)町の法隆寺は、飛鳥時代における仏教の一大拠点のひとつであり、中でも西院伽藍(がらん)は世界最古の木造建造物群としても名高い名刹です。西院伽藍の金堂(こんどう)内陣には、「中の間」「東の間」「西の間」の区域があり、それぞれの間に本尊が安置されています。

その「中の間」の本尊が、「銅造釈迦如来及両脇侍像(どうぞうしゃかにょらいおよびりょうきょうじぞう)」と呼ばれる釈迦三尊像です。中尊の釈迦如来坐像は、右手は正面に手のひらを前に向けた「施無畏印(せむいいん)」、左手は手のひらを上にして膝付近に位置する「与願印(よがんいん)」を結んでおり、人々に対して「畏れることはありません、あなたの願いを聞きましょう」との意味を発しています。

表情の大きな特徴であるアーモンド型の目と、「アルカイックスマイル」と呼ばれる微笑を湛えており、これは飛鳥時代の代表的なデザインとして名高く、後年の日本的な表情の仏像とは異なった異国情緒を感じさせる面立ちです。

釈迦如来坐像の両脇侍像は、釈迦の右手に「薬王菩薩」、左手に「薬上菩薩」を控えさせ、三尊のそれぞれの背後には「頭光(ずこう)」と呼ばれる光背が設けられている上、三尊全体の背後に大きな蓮型の光背が二重に飾られています。

「釈迦三尊」とは

「釈迦三尊」とは

釈迦如来を中尊とし、両脇に「脇侍(わきじ)」と呼ばれる小ぶりの仏像を配置した物を「釈迦三尊」と呼びます。

法隆寺の釈迦三尊像は、釈迦如来の右手に薬王菩薩、左手に薬上菩薩が控えていますが、文殊菩薩と普賢菩薩、梵天と帝釈天、金剛手菩薩と蓮華手菩薩などといった様々な組み合わせも一般的です。

これらの違いは、鎌倉新仏教で起こった新たな仏教教義によっても異なっており、宗派による脇侍の違いを比較しながら鑑賞する楽しみもあります。

詳細データ

名 称
法隆寺(ほうりゅうじ)
住 所
〒636-0115 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
TEL
0745-75-2555
交通アクセス
JR関西本線「法隆寺駅」下車 徒歩16分
施設の詳細を見る

救世観音(法隆寺)

救世観音(法隆寺)

法隆寺の東院伽藍には、「夢殿(ゆめどの)」と呼ばれる八角堂があり、夢殿の本尊が「救世観音(ぐぜかんのん)」です。「釈迦三尊像」が銅でできた仏像であるのに対して、この救世観音はクスノキの一木彫刻による像であり、漆塗りの上から金箔が施されています。

長い間「秘仏」とされていた救世観音は、1884年(明治17年)まで厨子の扉が閉められたままとなっており、法隆寺の僧侶ですら見た者がなかった程でした。伝説によれば救世観音は、聖徳太子の生き写しと言われる仏像であり、太子の死後に京都で天然痘が大流行した際は、これを聖徳太子の怨霊が引き起こしたと考え、救世観音を祀るための夢殿を建てて太子の霊を鎮めようとしたと伝えられています。

そして、救世観音を見ようと厨子の扉を開くことは、地震などの良からぬことが必ず起きると信じられてきました。1884年(明治17年)に東洋美術史の研究家であるアーネスト・フェノロサと彼の弟子岡倉天心の手によって「秘仏」が開放され、その凛とした飛鳥様式の美しい仏像の全貌が初めて明らかにされたのです。現在でも救世観音は、普段は見ることができず、春と秋の2回だけ開帳されています。

「救世」=観音の別名

「救世」=観音の別名

「救世」の文字からも推測されるように、この観音には「人々を世の苦しみから救済すること」の意味が含まれているのです。

これは「観音」の別の呼び名でもあるため、正式な仏教用語としては「救世観音」とは呼ばれず、この名は民衆の間に広がった観音菩薩信仰から広まっていった名称であると考えられています。

詳細データ

名 称
法隆寺(ほうりゅうじ)
住 所
〒636-0115 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
TEL
0745-75-2555
交通アクセス
JR関西本線「法隆寺駅」下車 徒歩16分
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百済観音像(法隆寺)

百済観音像(法隆寺)

法隆寺の敷地の中央部、西院伽藍と東院伽藍の中間に位置する大宝蔵院の中心にあるのが百済(くだら)観音堂です。

歴史の長い建造物が多い法隆寺の中で大宝蔵院は異色であり、1998年(平成10年)に建造された建物で、その目的は国宝の仏像を安置するためでした。百済観音堂に安置されている百済観音蔵は正式には「木造観音菩薩立像(もくぞうかんのんぞさつりゅうぞう)」と呼ばれ、かつては金堂内陣の裏側に置かれていた仏像です。

制作された年代の詳細は分かっていませんが飛鳥時代の物とされており、八頭身のスマートな躯体が印象的。アーモンド型の目やアルカイックスマイルなどが神秘的な飛鳥様式の代表的な仏像のひとつに数えられています。元来この仏像は「虚空蔵(こくうぞう)菩薩」とされ、その名は「宇宙全体を蔵にして使う程の富をもたらす菩薩」を意味します。つまり、この仏像は宇宙の姿を仏の形にした物であると言えるのです。

大正時代に名が付いた「百済観音」

大正時代に名が付いた「百済観音」

明治時代になるまでこの仏像は「虚空像菩薩」として安置されてきましたが、1886年(明治19年)の調査による目録には「朝鮮風観音」と記載されており、これは岡倉天心の進言による物であると伝えられていますが、「朝鮮風」と名付けた根拠については現在も謎のままです。

そして、1917年(大正6年)の記述に初めて「百済観音」の名称で記載され、この名が定着していきました。

詳細データ

名 称
法隆寺(ほうりゅうじ)
住 所
〒636-0115 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
TEL
0745-75-2555
交通アクセス
JR関西本線「法隆寺駅」下車 徒歩16分
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